Ⅴ 神意の行方 -9
サラは白い石段に座り、物思いに更けていた。
豊穣祭が無事終わり、あと三ヵ月で婚礼の儀が執り行われる。豊穣祭前の浮かれた雰囲気とは違い、どこか重苦しいような、それでいて、そう感じてはいけないような、居心地の悪い空気が神殿を覆っていた。
無理もない。どう言い繕っても、巫女姫が死んでしまうのだ。
婚礼の儀を初めて経験する巫女は、不安な顔で辺りを窺い、経験している年配の巫女は口をつぐんでいた。
恐ろしい。
そう思ってしまう自分の罪に打ち震えながらも、サラはごまかすことができなかった。
今でも、巫女姫を見て、真っ先に浮かぶのは「リン」という名だ。サラの舞を褒めてくれたリンの笑顔がすぐに浮かぶ。
それにアシュラン。リンが巫女姫になったのは自分のせいだと、あの夜サラの前で泣いた。しかし泣いたのはあの夜だけ。次に日からは、人が変わったように、巫女姫に尽くした。涙はもう見せない。自分のせいでと謝ることなど、絶対にしない。覚悟を決めたアシュランは、昔のような笑顔も二度としなくなった。
一体、太陽神は何を欲しておられるのだろう。
「サラ」
急に呼ばれて、サラは物思いから覚めた。声の主を認めて、ぎょっとする。
「リ……巫女姫様」
そこにはいるはずのない人物。今まさにサラの頭の中を占めていた本人が、ニコニコ笑っていた。
しーっとリンは人差し指を口に当てる。そして、サラの横に座った。
「セレネの目を盗んで、忍んできたの」
屈託のない様子に、サラは思わず見とれる。三ヶ月後に死ぬ人にはとても見えない。
「豊穣祭の舞、とても素晴らしかったわって、サラにどうしても伝えたくて」
今年の豊穣の舞も、結局、サラが舞うことになった。リンの前で舞うことができて良かったと、素直にうれしく思った。
今年が最後だ。
「ありがとうございます。でも来年は若い巫女になると思います。一人、とても上手な子がいて……」
しゃべっているうちに、失言をしたことに気が付いた。リンには来年がない。
サラの声がとぎれていった。
「うん」
リンは労わるように返事を返す。
「だから、サラの最後の豊穣祭の舞が見れてよかったわ」
笑顔で言う。
サラの目から大粒の涙が零れ落ちた。涙は一旦溢れると、止めることなど不可能だった。次から次へと流れ落ちる。
「サラ……」
リンはサラの名を呼んだきり、サラの涙をじっと見ていた。リンの目からは涙はこぼれなかった。やがて嬉しそうに、ほほ笑んだ。
「ありがとう」
「祈りの形を解いた後、花嫁の寝台に横になって下さい。両手を臍の辺りで組、静かに目を閉じます……それで終わりです」
ユアナは静かに語り終える。
長い沈黙の後、凛は訊いた。
「わたしはどうやって太陽神の元へ行くの」
それまで凛の顔を見るともなしに説明していたユアナの目線が、凛の目に向けられた。
唇が微かにわななくのを凛は見ていた。
「手練れの剣士が胸を一突きします。痛みも苦しみもないはずです」
口調には何の感情も現れなかった。
代わりに、一緒に訊いていたアシュランの喉が、ヒュッと鳴った。
「それで手はお臍のところなのね」
凛は的外れなことを言い、それからため息をついた。
「わたしを手にかける人も、嫌な思いをするかしら」
皆を心安らかにしたいと思うのに、苦しむ人を増やしている気がする。
昨日のサラの涙は凛の心を癒してくれたが、サラの心は苦しんでいる。
こんなに苦しい思いをして、命を捧げようとしているのに、それでもまだ、アシュランの命もユアナの命も要るという。
たくさんの人の苦しみの上に成り立つ、婚礼の儀。一体、誰の幸福を呼び込むのだろう。
それでも。
それでも、後戻りすることは出来ない。
わたしは巫女姫を全うしなくてはならない。
「では、最初から」
ユアナに促されて、凛は立ちあがり、最初から舞い始めた。
透明で、凄絶な舞。
振り付けは優雅で、どちらかというと可愛らしいものだが、巫女姫が舞うと、日を追うごとに、それは様相を変えていく。
前任の巫女姫もそうだった。
凛の舞を見ながら、ユアナは自分の舞姫を思い出していた。
可愛らしくあどけない顔の巫女姫が舞うと、その舞は花が咲いたようだったのに、婚礼の儀が近づいてくると、巫女姫は憑りつかれたようになり、その舞は鬼気迫るものになっていった。
伝承役は二度、巫女姫の死を見届けなくてはならない。
自分の巫女姫の死と、婚礼の舞を伝えた巫女姫の死。
死が怖くないかと訊かれたが、二度目の婚礼の儀の後、生きていくことなどできないだろう。
貴方を見送ったら、やっとわたしは悲しむことができる。あの娘の死も、貴方の死も。その悲しみを抱いて、死ぬことができる。
ユアナは凛に気づかれないように、ほほ笑んだ。




