Ⅰ 針森の村 -10
宴をしている広場から、少し上ったところに、凛のお気に入りの場所がある。村を流れる川っぺりに、大きな岩がごろんと一つ転がっており、その上部のくぼみが、凛にぴったりなのである。岩なので硬いのだが、そのくぼみに寝転んで、川のせせらぎを聞いていると、トロトロと眠たくなってくる。今はもう、くぼみに入っても体は外から見えるのだが、幼い頃はすっぽり隠れてしまっていたので、柳に怒られたときは、よくここに隠れていた。しばらくすると、決まって蘭が探しに来た。
宴のご馳走もあらかた食べてしまうと、凛は人に疲れてしまった。人としゃべるのが嫌ではなく、むしろ好きなのだが、急に疲れを感じて一人になりたくなることが、凛にはよくあった。今日もそういうわけで、岩のくぼみにはまっているのである。
「やっぱり、信だったかぁ」
先ほどの蘭と剛の会話を思い出し、ため息をつく。
何となく、そうだろうなぁと思っていた。同じ歳の男で一番親しいのは、間違いなく信だからである。
「いいなあ」
嫉妬というよりは、うらやましいと思った。信に抱きしめられたり、触れられたり、口づけられたりしたら、どんな感じだろう。
はなまつりへの憧れ、信への憧れが、ないまぜになって、凛は自分を持て余した。
「ああ、凛、ここにいたの」
物思いにふけっている最中、急に男の声がしたので、驚いて顔を上げると、今まさに頭の中にいた信が見下ろしていた。
人が上ってきたことにも気が付かないほど、妄想に没頭していた上に、当の本人が現れたので、恥ずかしさに凛の顔は熱くなった。
「ちょっと疲れちゃって」
努めて自然にしゃべったつもりが、どことなく言い訳がましく響いた気がした。
「俺も」
信は岩の淵に腰かけると、ふうっと息をひとつ吐いた。
信の体をジロジロ見てしまいそうで、凛は不自然なほど信から目を背けた。自分でも不自然だと思い、ギクシャクと首をもどしたりしていた。挙動不審な凛に、信は首をかしげた。
「凛?どうかした?」
剛はやんちゃなガキ大将といった感じであったが、信は子どもの頃から、柔らかく、優しい男の子だった。
「はなまつりは蘭と過ごしたの?」と口元まで出かけて、凛は言葉を飲み込んだ。
もうこのことを考えるのはやめだ。
凛は自分に言い聞かせた。信も蘭も今年十六歳になった。わたしは来春十六歳になり、はなまつりで女になる。それだけのことだ。
凛は頭を振ると、信に向き直った。
急に凛が頭を振ったので、信は驚いた顔で見ていた。
「昨日から、村中がバタバタしていて、落ち着かないね」
太鼓の音が聞こえてくる広場の方を眺めて凛が言うと、信はため息交じりに頷いて、膝を抱えて顎をのせた。
「ここに来ると落ち着くよ」
「昔に戻った気分になるよね。信と剛と蘭とわたしで、よくこの大岩に上って遊んだよね」
「凛はよくこのくぼみにはまって泣いていたよね」
信はくすくす笑いながら言った。
凛は口を尖らせてみせながら、何でもない取るに足らない会話に、とても幸せを感じた。ふと、思いついて
「そういえば、信はどちらの技を学ぶの? もう決まった?」
信の父は石師、母は川師であった。石師は石を削って武器や器を作り、川師は川に関わるあれこれ…川魚や貝を獲るのはもちろん、川が氾濫しないように堤を整えることなどが仕事であった。どちらも信には合いそうである。
「んー」
抱えた膝に顔を埋めながら、信はくぐもった声を出した。
「まだ、決めてない。どちらもやってみたい気はするんだけど…まぁ、でも、姉さんが川師をしているから、石師は継がないと、父さんが泣くかな」
笑いながら言うと、「蘭は?」と聞いてきた。
「まだ決めていないみたい。というか、わたしがどっちがいいか考えている」
困ったような凛の言い方に、信は「あぁ」と頷いた。
「蘭も大人になったんだから、そろそろ妹離れしないとね」
宴が開かれている広場の方で、歓声と拍手が起こった。信は立ち上がり「そろそろ戻ったほうがいいかな」とつぶやいた。
「凛は? まだここにいる?」
凛は「もう少し」と答えて、手を振った。
「先に行っていていいよ。もう少ししたら、行くから」
じゃぁ、と大岩から飛び降りた信を見て、凛は自分が促したにも関わらず、なぜだか慌てた。
「信ははなまつりの時、誰といたの?」
気づけば、聞きたくて堪らなかった質問、でも胸にしまっていた質問が、口から飛び出していた。……ダレトイタノ?
あれ?という顔で信は振り返ると、あっさりと答えた。
「蘭だよ。蘭に聞かなかった?」
信はにっこり笑って、手を振った。
「凛は来春だよね。大変だけど、楽しいお祭りだよ。楽しみにしておいで」
……やっぱりそうだよね。蘭は明言しなかったけど、否定もしなかったことで、剛は蘭と信がお互い相手だったと確信していた。凛もそうだ。だから、はっきり言われても、驚きはしない。ただ、信の声で、はっきり伝えられると、心を貫いた。
「早く戻っておいでよ。蘭が探しに来ちゃうよ」
そう言って、信は戻っていった。
陽の光が川面に反射して、キラキラと輝いていた。森の中でも少し開けたこのあたりでは、川は緩やかに流れている。凛は衣を脱ぐと、大岩から川へ滑り降りた。宴の最中に川を泳いでいたら、怒られるだろう。そう思いながらも、冷たい水に身体を漂わせていた。
「美しい身体ね」
突然岸から声をかけられて、凛は文字通り飛び上がり、派手に水しぶきをあげた。声のしたほうを見ると、昨夜の金色の髪の女が立っていた。
「あなたを迎えに来たわ」




