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09.例外の男

「おお、お久しぶりでございます、我が女神様」


 かけられた声には覚えがあったから、足を止めて目を向けた。ついでに淡く微笑みをくれてやる。

 夢見るような瞳でサリドラを見るのは、宝飾品やドレス、美術品を中心に広く商売を手がけるドレジ子爵だった。

 彼の見る目に性欲はない。とにかく美しいものが好きだというドレジは、サリドラを至高の美術品と考えているらしい。欲しがりはするが、指紋をつけようとは思っていないのだ。

 価値ある美術品を更に磨き上げたいと、美容に関する商品を次々開発しては献上してくる。サリドラがその材料を領地から仕入れてくれないかと提案したところ、二つ返事で頷く――ことはなく、きちんと精査した上で了承した。美術品は至高だが、美術品の持ち主たるサリエリ伯爵家を肥やしてやる必要は感じないということだと思う。

 なんという新境地。誰にも言わないが、サリドラはその瞬間、この太鼓腹の男との結婚を僅かながら考えるほどに感動した。あいにく子爵は既婚者だったのですぐに断念したが。


「こんにちは、ドレジ卿」


 腹を揺らして駆け寄った男は、上から下までサリドラをざっと見て、満足そうに頷いた。今日の見目も良好、ということだ。あからさまな検分すらやはり嫌悪を覚えないから、本当に特殊な人である。

 彼は日向で寝転ぶ猫のような柔和な顔で微笑んだ。


「この度はご婚約おめでとうございます」

「あら、ありがとうございます。おめでたいと思ってくださる?」

「勿論ですよ。何せ王家ですから、あなた様を害そうと目論む愚かな者を、きっと一網打尽にしていただけます」

「乱暴なご意見ね」


 気持ちよく祝いの言葉をくれる人もまた珍しい。世の祝辞とは、主に嫉妬と恨みに塗れている。貴重な祝辞は素直に受け取って心にしまった。


「今日は王妃様に?」


 なお、そこそこどうでもいいことだが、サリドラは王妃直々に敬称に様を使うことを許されている。お気に入りアピールのためだ。


「ええ。あなた様にお贈りした新しい化粧水を売り込みに」

「本来であれば王妃様が先でしょう。いけない方ね」


 するりと手袋から指を抜く。

 爪の先まで漂う色気に、子爵がただでさえ細い目を細めた。眼福だという視線に粘着さはなく、悪いものではない。


「見て。指の先が少しだけ気になっていたのだけれど、こんなに綺麗になったのよ」

「いやはや、拝見するたび完璧を更新なさる。商品開発の甲斐があります」

「先日お会いした、卿の奥方様の肌艶もよくなっておられましたね」

「ほっほ、女神の恩恵ですな」

「ところで領地で新しい薬草が見つかりましたの。何かに使えないか、今度一度見ていただいても?」

「喜んで! では後日おうかがいします。ああ、そうそう。王妃殿下に化粧水を気に入っていただけましたら材料の仕入れを増やしたいのですが」

「まあ嬉しい。姉に話を通しておきます。あなたの商品だもの、きっとお気に召されるわ」

「煽ててくださるからには頑張って木に登らねばなりませんなあ。では、頑張って参りましょう」


 手の甲に口づけするフリをして、彼はあっさりと退散して行った。こうして会話を粘らないところも好印象だ。仕事を優先できる男って素敵。

 サリドラに魅了された人間で、素手に触れるのを許されているのはドレジ子爵くらいだ。ドレジと同じように貢献できれば自分も触れられるのだと、哀れな男たちは頑張っている。領地が潤うので助かってはいるが、生憎と性欲でギラギラする男に触れさせる気は毛頭なかった。お触り禁止の美術品が、手入れを許しているようなものである。

 しかし、よくも悪くも彼もサリドラに魅了されている一人なのだから油断はすまい。しっかりと手袋を装着し直し、意図的に作った隙を塞いだ、瞬間。


「サリドラ」


 庭園の方から顔を覗かせたロルフに目を丸くした。


「あらロルフ様、ごきげんよう。散策ですか。今から私とお庭を歩く予定ですのに、フライングで」

「下見だ。今のはドレジ子爵だな。親しいのか」

「領地によくしてくださるの。美容にいい物を色々と作っているから、王妃様の覚えもめでたいのですよ」


 へえ、と寄越す半眼は、まるで不貞を責められているで居心地が悪い。別にそういう不誠実なつき合いではないから、適当に流してくれればいいのに。

 過剰なくらいに控えた護衛たちを声の聞こえない距離に追い払い、腕を組んで歩き出す。


「遠ざけていいの?」

「第二王子派が焦ってきているから、あまりよくはないが……中々衝撃を受けることがあってな」


 護衛が増えているということは何か実害でもあったのだろうか。ざっとロルフの全身を確かめるが、歩く姿にぎこちなさはない。ひとまず大きな怪我はなさそうだ。


「衝撃って?」

「護衛に牽制された。サリドラに近づくなだと」

「それはええと、御愁傷様」

「俺の護衛だぞ? 凄いだろう。初めての経験だ」

「その人は」

「もう外された」

「美しさは罪ね」


 たまにいるのだ、そうして理性が突然ブチ切れる人が。

 王太子の警護など誇りある仕事であったろうに、一時の衝動に負けるなど可哀相なこと。言うほど同情はしないが、少々の罪悪感くらいは抱く。


「……男だというのに、子爵とは仲が良さそうだったな」


 別の話題を挟んだのにまだ続けるのかと呆れて見上げるが、前を向いたままの彼とは視線が合わなかった。

 まるでではなく、本当に不貞を責められているようだ。


「男女ではなくて、商人と美術品の関係よ。私は子爵にとって人じゃないの。……ねえ、まさか妬いてるの?」

「妬いてはいないが、きみを好意的には思っている」

「惚れてはいないんでしょう」


 困惑をあらわにするサリドラにちらりと目をやり、彼は片眉を上げた。


「そう思う」

「じゃあ何を拗ねてるの」

「……あの男は、きみにとって特別なのか」

「そうね、あの人の価値観が独特なおかげで特別と言えば特別だけど……。関係を疑われるようなヘマしないわ。絶対に二人きりになんてならない。安心してちょうだい」

「…………そうか」


 異性関係の評判を気にする話かと見当をつけたのだが、どうにも曲がった唇が解けない。

 対等な立場の相手を気持ちを推し量るには、残念ながらサリドラは経験が足りなかった。素直に思いのたけを吐露してくれればいいのに。全くわからなくて、サリドラも同じように唇を曲げた。

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