08.邂逅
騒動は忘れた頃にやってくるのだと思う。用事を済ませて王宮を辞そうとした馬車止めで、それは前から堂々と歩いてきた。
道を譲って礼をとる。トラブルの権化は、公爵家三女と第二王子の形をしていたので。
近くまで来た女は、これ見よがしに扇を開いてサリドラを睨みつけた。蔑みや嫌悪は、サリドラを見るおよその女性の目に浮かぶものだ。特に気にすることもなく、さっさと行ってくれないかなと白けた気持ちで待機する。
「まあ、嫌だ」
当然すんなりとスルーしてくれることはなく、女はサリドラの前で足を止めた。視線を落としていた第二王子マーキスが腕を引かれて立ち止まり、何事かと顔を上げる。
目が合ってげんなりとした。サリドラを視認した途端、気弱に翳っていた目に熱が宿る。サリドラを見て惚れるのはどうしようもない自然の摂理なので、決して王子が悪いわけではない。わけではないが、やはり嬉しくないものは嬉しくないのだ。
とはいえ、彼は驚くほどに理性的だった。数秒呆然とこちらに見惚れていただけで、ハッと理性を取り戻して傍らの令嬢の様子をうかがった。初対面でこんなに早く視線を外せるなんて、新記録ではないだろうか。
「高慢ちきで男好きの淫乱女。今日も王宮に男を漁りに来たの?」
少々の感動を覚えるサリドラを叩き落すように女が赤い唇を開いた。
正直、方向性は反対だったがこちらにも感動した。直接的過ぎる悪態だ。サリドラには真似ができない。
「わたくし、自分が強い女である自信があったのですけれど」
相手が礼儀のレの字も知らないのであれば、こちらが示しても無駄である。顔を引き攣らせて女を見るマーキスを見なかったことにして、偉そうに顎を上げた。
「上には上がいますのね。出会い頭の数秒間で下劣さを披露できるなんて、並大抵の心の強さではないわ」
「なっ……あなた、バカにしているの!」
バカにしていないと思うのだろうか。誰がどう聞いてもそうとしか聞こえないはずなのだが。
片頬を上げて返答とするサリドラに、女の扇が悲鳴を上げた。煽るように微笑んで、王子に向かって改めて礼をとる。
「申し遅れました。第二王子殿下とはお初お目にかかります。わたくし、サリエリ伯爵家次女サリドラと申します」
「え、ええ。マーキス、です。よろしくお願いします」
「相変わらず礼儀のなっていない女ね。声もかけられていないのにマーキス様に話しかけないでよ」
「シャタローザ嬢、僕の家族となる方です。そんな言い方は……」
礼儀知らずに礼儀を解かれる覚えはないぞと突っ込む前に、柔らかな声が控えめに諫めた。恐らく怒鳴りつけたって彼女は聞かないので、無駄なことは止めた方がいい。
「駄目よマーキス様。最初にきちんとしておかないと、この女はすぐに調子に乗るんだから」
「しかし」
「お気遣いをありがとうございます。大丈夫ですわ。ティアナ様は人のフリを見て我がフリを直せと仰っているのでしょうから」
「なんですってえ!?」
シャタローザ嬢こと、ティアナ・シャタローザ。シャタローザ公爵家で溺愛されている三女であり、何を隠そうロルフの元婚約者だ。特別言う必要性もなかったのでロルフには伝えていないが、彼女と会ったことは何度もある。
同じ集まりに顔を出すと、一々喧嘩を売りにやって来るのである。取り巻きと共に訪れて、ひとしきり嫌味を言い合い、敗走していく。
態度はでかいが忍耐力がないので口喧嘩に弱いのだ。それでも忘れずちょっかいをかけに来るのだから、余程サリドラのことが好きらしい。
最早パーティ名物と言っても過言ではない嫌味合戦だが、サリドラは案外その言い合いが嫌いではなかった。勢いがよすぎて男たちが近寄って来ないので。
柔らかく巻くストロベリーブロンドを揺らして、ヘーゼルの目を吊り上げた子犬がキャンキャンと喚く。女にしては背の高いサリドラより頭半分ほど小さいから、上目遣いになるのが微笑ましい。その隣で紫色の目をした子犬もオロオロとしていて、段々と本当に子犬を相手にしている気持ちになってきた。
しかし、そうして適当に聞き流してあしらっていたところで、ふと聞こえた言葉に眉を寄せる。
「王族と縁を結んだからっていい気になって――そう、私のお古と婚約を結ばれたとか! よかったわねえ!」
「……お古、とは」
お古呼ばわりに激怒するロルフではないだろうが、気分は悪い。
笑みを消して見下ろすと、視線に込めた険にティアナはたじろいだようだった。そうだろう。美人の怒り顔は怖いのだ。サリドラはその威力を知っているので、吠え立てる子犬などを本気で睨んだことはない。
「立場を鑑みれば、どちらかと言えばあなたがお古なのではございませんの?」
「き、傷物だもの、私が捨てたのよ。私のお古で間違いないわ」
なお、お古と呼ばれた男の弟が信じられないものを見る目でそちらを見ているのだが、彼女は気づいているだろうか。マーキスの婚約者の立場を狙いながら好感度を落とすなど、やはりこの女、只者ではない。
たっぷりと軽蔑を乗せて、女の言葉を鼻で笑った。
「少し見た目が変わったくらいで意見を翻すだなんて、ティアナ様ったら自分に自信がないのね」
「少しですって? 目が悪いんじゃないの。せっかく整っていた顔に、あんな醜い傷がついたのよ。サリドラだってあんな傷イヤでしょう!」
視力はすこぶる良い。なぜなら美の神は、完璧な美貌のサリドラに眼鏡というフィルターを装着させたくないからだ。
「醜い傷、ねえ」
人一倍優れた視力でティアナの肌を眺めながら、サリドラは薔薇の花弁のような唇を開いた。
「あなた、想像してみてくださる? 怪我をなさる前の殿下とあなたが並んでいるところ。怪我をなさった後も想像してみて」
「……し、したわよ。それが何よ」
一層冷えた目に射抜かれて、気圧されるまま一歩を下がる女に顔を寄せる。
今日ばかりは遠吠えが目に余った。躾をしなければいけない。きちんとしておかないと、この女はすぐに調子に乗るんだから。
「それでは、わたくしと殿下が並んでいるところを想像なさって」
蒼褪めた顔に手を添わせ、艶やかな笑みを浮かべた。
「ねえ、今あなた、殿下のお顔の差異を思い浮かべられているかしら。黒い髪、褐色の肌、王家の紫は見えている? 目の色は怪我をする前かしら、後かしら。目の周りに傷はある?」
そう。目を合わせて。逸らさずに聞くといい。
「――わたくしの顔しか見えないのではない?」
絶世の美貌を前に、人の顔がどうであろうと関係ないのだ。この微笑みを目の前にして、人は誰も目を逸らせない。
異性を惹きつけることを特性とした神の創りし美貌だが、美貌は美貌。同性であれ、目を奪うことなど簡単にできる。
呆然とサリドラを凝視するティアナに、駄目押しで一言念を押した。
「あんなものは些細な傷だわ。そうでしょう」
我に返った子犬が一目散に逃げて行く。鳴かずば撃たれまいに。これに懲りて、少しは口数を減らすといい。
勝利の虚しさを噛み締めていたが、我に返っていない方の子犬がまだ佇んでいることに気づいて背を伸ばす。一緒に連れて行けばいいものを、なぜ置いて行ったのか。
うっそりとこちらを見るマーキスの目は、酒に酔ったように陶然と揺れていた。白い肌は紅潮し、小さな口が半開きに熱い息を漏らしている。
弟に恋敵扱いされるのかと肩を落とすロルフが思い浮かんだ。誠に申し訳ないが、そういうことになりそうだ。
どう対応するべきかを迷って、さっさと撤退することにした。元々帰る途中だったのだし。
「お見苦しいところをお見せしました。それでは、失礼いたします」
「あ……待ってください」
浮かされたまま伸ばされた手は、触れる寸前で止まった。みだりに淑女に触れるべきではないと思い出したようだ。本当に理性的な人である。
この短時間で著しく評価を上げたマーキスは、恥じた表情で手を引いた。そのまま胸に手を当てて、頭を下げる代わりのように目を伏せる。
「兄を庇っていただき、ありがとうございました。本当は僕が言わなければならなかったのに」
しょんぼりとした顔に、フォローのひとつも入れないのは許容を超えた非道である気がした。放って踵を返すことはできず、溜息の代わりに言葉を紡ぐ。
「彼女を中途半端に諫めても、悪口が倍になって返るだけですよ。言い包められる者が言い包めただけのこと。お気になさらず」
「お優しいのですね」
「優しい女は人前で口喧嘩などいたしません。見る目を鍛えた方がよろしいわ」
「そうでしょうか。見る目は……あるつもりなのですが。僕の好きな人は、皆強くて、凄い人ばかりなので」
そう言ってはにかむ彼が思うのは誰だろう。その中に兄の姿はあるのか。
直接聞くほどの親交も勇気もなくサリドラは沈黙を返したが、疑問の色は漏れていたらしい。
「色々と噂はあるけど、僕は兄を尊敬しています」
それはよかった。ロルフは喜ぶだろう。
思わず口元を綻ばせると、彼は複雑そうな顔をした。
「ただ……」
「ただ?」
「……いえ」
緩く首を振って口を閉ざしてしまったので、サリドラは今度こそ場を後にした。
馬車の中、マーキスが何を言おうとしたのかを考えて――思い当たったことに苦虫を噛み潰す。
家族になる方とは言われたが、義姉とは言わず、婚約に関する言及もなかった。そりゃあわかりやすく一目惚れをした顔だったから、言いたくはないと思う。ないとは思うが。
「まさか略奪を考えてはいないでしょうね……」
信じているぞ、マーキス第二王子殿下。気弱で内気で温厚で理性的な人間は、劣情に煽られて暴走したりはしないと。尊敬する兄を、よもや裏切ったりはしないと。
とりあえず、次にロルフにあったらごめんなさいをしよう。
大体のことは、サリドラが美し過ぎるのが悪いのだ。
ご感想・評価・いいね等ありがとうございます!
毎日更新は今日までで、次回より更新不定期となります。よろしくお願いいたします。