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32.愛

 どうにか穏便に場を離れられないだろうかと考えていたのだが、もだもだと会場の縁で集まっているのは、何やら注目を集めていたらしい。


「サリドラ、何かあったか?」


 戻ってきたロルフに声をかけられて、肩を跳ねさせそうになるのをかろうじて抑えた。


「いえ、何もないのだけれど、急に帰りたい気分になって……」

「反応を見るに、殿下絡みで何かあったみたいですよ。フォローをお願いしますねぇ」

「そうか、わかった。少し早いが引き上げるか」


 酷い裏切りを見た。愕然とラヴェーヌを見ると、やり遂げた顔で親指を立てている。後で聞いたところでは、あのなんとなく腹の立つ自信に満ちた顔のことをドヤ顔と呼ぶらしい。

 サリドラの手を問答無用で腕にかけ、颯爽と主催者の元に歩み寄ったロルフが暇を告げる。サリドラが適当に笑みを浮かべている間に帰城の準備が整って、あれよという間にその身は馬車の中へと運ばれた。

 二人きりの箱の中、こちらはとんでもなく緊張していたが、ロルフも少々緊張した様子を見せているようだった。恐る恐る抱えていた頭を持ち上げて、真っ直ぐに引き結ばれた口元から、視線を上へとずらしてみて。


「……っ」


 ハッと息を呑む音はロルフの耳に届かなかったことを祈る。

 どうして今まで気づかなかったのか。目元の引き攣れた痕は、よく見れば傷を装った化粧のようだった。傷と呼ぶにはやや不自然だが、注視しなければ誤魔化しが効く程度に生々しい。以前は確かに本物の傷であったから、徐々に治癒していったのだろう。開いた目に濁りはほとんどなく――そうだ、マーキスと並んだとき「よく似ている」と思ったことがあった。あのときにはもう、初対面の頃とは違い、随分澄んでいたはずだ。度々王妃に呼ばれていたのは経緯観察のためだったに違いない。


「サリドラ、執務室でいいか?」

「何が」


 ふいに話しかけられて首を傾げる。

 気がつけば、どうやら王宮に到着していたらしい。馬車から降りたロルフに手を差し伸べられて、無意識にその手を取った。


「話があると言っただろう」


 そういえばそうだった。衝撃的過ぎて忘れていた。馬車を降りても必要のないエスコートは外されず、まるで連行されるように部屋へと促される。

 ずっと停滞していたはずの彼の目は、なぜ回復してきたのだろうか。ともあれ、これで彼自身の痘痕は何ひとつなくなる。弟王子との王座争いは収まり、失っていた視力が戻れば、残るはサリドラという負債だけだ。

 執務室に辿り着くとロルフはサリドラをソファに座らせ、自分も手を離さないまま、すぐ隣に腰かけた。


「誰に何をされた?」

「……何も。たいしたことじゃない……いえ、たいしたことを聞いてびっくりしただけよ。それより話って?」


 しばらく無言で圧をかけられたが、それがサリドラに効いたためしがないことを思い出したのか、早々に諦めた様子で目尻を和らげた。

 代わりに向き合って強制的に目を合わされる。


「俺の視力を戻す治療が行われることになった。ようやく確信が持てたからな」


 正直なところ、まず目の話をされたことにホッとした。より嫌な話はできる限り後回しにしたい。

 乱雑に目元の化粧を拭い、彼はサリドラに素顔を見せた。よく見なければわからないほどに薄くなった引き攣れを見て、安堵を覚えられたことが嬉しかった。指先でそっとなぞって残る化粧を取り払う。

 最後かもしれないから、この澄んだ瞳をよく覚えておこう。彼の目は貰った首飾りの宝石とよく似ていた。婚約解消を切り出されたら、この首飾りだけは手元に残せるよう交渉したい。


「実はもう、これだけ近ければ表情くらいはなんとなく見えている」


 思わず彼の目を塞ぐように手のひらを押し当てた。バチンという派手な音と小さな悲鳴に、慌てて暴挙を謝罪する。

 おかしな顔をしていなかっただろうか。心配しながらほんの僅かな時間だけ唇を噛んで、できるだけなんでもなさそうな声を出した。

 ほんの僅かな時間だけ唇を噛んで、なんでもないという声音で返す。


「……そう、よかったわね。今度から目隠しして会いましょうね」

「折角取り戻したものを隠す意味がわからない」

「どうしてよ。私を見たら惚れるわよ」


 我ながら高慢極まりないセリフだが、事実なので仕方がない。

 この気安い態度が豹変する瞬間を見たくはなかった。思い出を綺麗なままにしたいと徹底するなら、目隠しどころか二度と会わないべきであるとも思う。

 だというのに、あろうことか彼は私の言葉を鼻で笑った。


「あなたまさか……私の美貌を信じてなかったの?」


 愕然と呟いたが、すげなく否定される。


「護衛にまで牽制されたんだぞ、護衛対象の俺が。信じない方が難しい」

「じゃあ、どうして」

「今現在、もう惚れてるから問題はないだろう」


 あっさりと落とされた爆弾発言に目を瞠った。

 ぱくぱくと無様に口を動かして、やがて声を絞り出す。


「確信って、もしかして目の治癒が確実ってことじゃなくて……」

「きみを愛してるという確信だよ。愛する努力をすると言っていたのを覚えていないのか?」

「お、おぼ、覚えてるけど」

「あのときにはもうあと一歩というところだったから、努力するまでもなかったがな」


 ロルフがソファから立ち上がり、いつかと同じくローテーブルを足蹴にした。空いたスペースに跪くと、サリドラの片手を取る。蠱惑的な色の指が白い手に絡んだ。その姿は正装と相まって、まるで絵本の中の王子様のようだった。いや、間違いなく王子様そのものなのだが。

 茹蛸のようになったサリドラに、ロルフは緊張の面持ちで告げる。


「サリドラ、きみの中身を愛している。そして視力を取り戻した俺は、サリドラの努力の結果を必ず愛するだろう」


 深く、誠実で、それは疑う余地もなく愛に満ち溢れた声だった。


「きみの全てを愛することを約束する。そうしたら……きみに口づけてもいいか?」

「――ッ!」


 返事か、それとも声になる前の呼気か。

 考える前に飛び出したサリドラの反応は、突如乱暴に開かれた扉の音にかき消された。


「話は纏まったかしら!?」

「王妃よ……今いいところだから……」


 仁王立ちをする王妃と、酷く居心地の悪そうな顔をして細くなる王の乱入に、ロルフが盛大な舌打ちをする。

 憎らしげな顔は直前まで愛を紡いでいた男とは思えないほどの殺意に満ちているのだが、そんなものが王妃に効くはずもない。普段の気品はどこへやら、どかどかと室内に踏み込んだ王妃は、爛々と目を輝かせてサリドラに詰め寄った。


「わたくしはやってやったわよ、サリドラ! ちょっとロルフ、そんなところにしゃがみ込んでいては邪魔よ。さっさとお退き」

「おい」

「すまんロルフ、本当にすまん」


 王と共に渋々向かいのソファに移動したロルフを完全に無視して、王妃はサリドラの眼前に一枚の紙を掲げた。何か書かれているようだが、あいにく近過ぎて見えない。

 少々皺の寄った紙を受け取ると、それは神殿が発行した契約書のようだったが。


「……なぜ打ち震えて喜ばないの」

「不勉強で申し訳ございません」


 神官でもないのに神語の契約書がすらすら読めるか。遠回しに指摘すれば、王妃はいかにも出鼻を挫かれたというようなもどかしい顔をした。

 紙を奪い取り、コホンと咳払いをして仕切り直す。ああ、神聖なる紙が一層ぐしゃぐしゃになった。

次で本編完結です。

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