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31.懸念と衝撃

 ルルナのしたことは許されることではなかったが、サリドラを慕う気持ちは本物であったと思う。ドレジ子爵と同じく、その献身にサリドラは確かに救われたのだ。二度と会うことはないだろう彼女には、感謝の気持ちを込めて、刺繡を施したハンカチを一枚贈った。

 また、誘拐の件でいくらかの家が秘密裏に罰則を受けることとなった。誘拐の事実を少しでも漏らせばわかっているな、と脅されて、ただでさえ心折れていた男たちは二つ返事で頷いたそうだ。なお、仮に醜聞が広がったところで、この美貌の力で言いくるめられる自信があるので問題はない。

 誘拐の罰則に加え、シャタローザ公爵の件で王宮に仕える貴族の数が減り、ドレジ子爵の件でそれなりの使用人が解雇された。よって現在の王宮はかつてないほどの人手不足だが、ロルフいわく、さして困ってはいないらしい。


「マーキスが王太子の位を簒奪する気がないと表明してくれたおかげで、第二王子派の牽制がいらなくなってな」


 浮いた戦力を空いた場所に回したようだ。新しい人材を補充する必要性はあるものの、当座は凌げる程度だという。

 マーキスが引いたことで、やる気がないのならと両陛下は王太子の再考を取り止めた。持ち上げられていた本人の宣言により、反対の声も音量を下げた。よほどのことがない限り、ロルフが王となるだろう。

 視力を失って以来の順風満帆ぶりだと彼は笑う。サリドラはそれに微笑み返しながらも、素直に喜べない己の汚さを悔いた。


 神の制作物(サリドラ)という劇薬がロルフの婚約者になったのは、彼の不安定な足場を支えるための政略だ。足場の固まったロルフに、はたして危険物など必要なものだろうか。

 年月をかけて王妃としての教育はされている。しかしサリドラは元々野生児だったから長い月日が必要だっただけで、高位貴族の令嬢であれば今からでも王妃教育は間に合うはずだ。王太子妃であると発表をしたけれど、サリドラを王太子妃とするデメリットを掲げれば、変更もやむなしと納得して貰えるだろう。

 婚約を解消すべきだ。誠実なロルフは、恐らく自分からは言い出さない。両陛下にはその内呼び出されるかもしれないが、シャタローザ公爵に対してサリドラを囮にした手前、言い出しづらいかもしれない。ならばサリドラが自分から言い出すのが、きっと一番角が立たない。……言わずともなくなりはしないだろう。両陛下は息子より国を優先した方々だ。


 暗い気持ちが嵩を増し、彼とまともに目を合わせられなくなった。

 なぜこんなに落ち込むのか。さすがのサリドラでも、もう認めざるを得ない。彼のことが好きなのだと。

 一緒にいるのが楽しいとか、男なのに触れられても嫌じゃないとか、そういう気持ちを友情みたいなものだと誤魔化してきたが、誘拐された一件で痛感した。ロルフ以外に触れられたくない。触れられるのが平気なのではなく、ロルフには触れて欲しいのだ。


「馬鹿だわ……」


 元々愛しているなんて言えないと思っていたが、今となっては一層無理だ。今更サリドラがロルフに好きだと伝えたら、盤石になったロルフと婚約を解消したくないと訴えるようなものだろう。

 だからと言って自覚などしなければよかったとは思わなかった。別れを思えば身を切られる心地になるが、好きだという感情を認めてしまえば、ロルフと過ごす時間にかつてない幸せを感じる。

 今後、こんなに幸せを感じられることがあるだろうか。恐らく二度とないと思う。だからまあ、記念と思って残りの貴重な時を過ごして行こう。


 そんなこんなで三か月。特に婚約についての話を持ち出されることはなく、日々を穏やかに過ごしている。

 会話こそ軽快であれ、相変わらず視線を合わせることはできていない。しかしロルフにはサリドラの目がどこを向いているかを視認できないので、あまり不審には思われていない……はずである。使用人も新しい者が増え、サリドラの侍女も数を戻した。

 そうそう、王妃に命じられて神殿にも赴いた。婚約解消を目前にしてそれはどうなのだと首を傾げたが、ロルフと二人、馬車に詰め込まれては抵抗もできない。ロルフが幸せになりますようにとなけなしの信仰心で願って帰ってきた。

 このままの日々が続けばいいのになと思っていたが、世の中そう上手くはいかない。ある日の夜会の前、ロルフは言った。


「夜会から帰ったら話がある」


 ついにこの日が来たようだ。強張った顔で重く頷く。

 何をそんなに緊張しているんだと笑われて頬を撫でられたから、もしかしたら違う話なのかもしれないが、とにかく覚悟だけはしておかないと、みっともなく縋ってしまいそうだった。


「王太子殿下、少々よろしいでしょうか」

「ん? ああ、王妃殿下の……サリドラ、少し離れる」

「ええ、ごゆっくり」


 エスコートの手を離して背を向けたロルフを目で追って、誰にも気づかれないよう小さく嘆息した。手にしたグラスを揺らしながら警備に立つ騎士の位置を確認し、壁を彩るべく移動する。

 婚約を解消されたら、サリドラはどうしようか。身の振り方を考えておかなければならないだろう。王家の後ろ盾をなくしたサリドラでも、身に着けた礼儀作法は消えない。社交界でそのままやっていけるといいのだが。ロルフが他人と結婚する姿を見るのは辛いし。

 ……もし駄目だったら故郷の野山に小屋でも建てて住み着こう。


「サリドラ様」


 再び野猿となる可能性を視野に入れたところで、声をかけられて顔を上げた。

 にこにこと笑う恰幅のいい男は、確か王宮で働く医者の一人だっただろうか。であれば無下にはしたくない。動こうとした騎士を目で制する。

 上擦った声、舞い上がった様子で交わした挨拶によれば、彼がサリドラに話しかけるのは初めてのようだった。そんな彼がなぜ今初めてサリドラに声をかけたかと言えば、声をかける大義名分に値する話題を得られたためらしく。


「王太子殿下の視力を取り戻す術が見つかったとうかがいました。心よりお喜び申し上げます」


 頭の中が真っ白になった。彼になんと返したかはあまり記憶にないが、無難に礼を述べてやり過ごせたと信じたい。気がつけば彼は去っていて、サリドラは一人窓際に立っていた。ショックを受けた自分がショックで、なんでもない顔をするのに恐ろしく手こずった。

 ロルフの目が治る。素晴らしいことだ。どうして自分はそれを喜べないのか――やはり自分は喜べないのか。性根の汚さに泣きたくなる。

 見ないで欲しいと傷つき続けたサリドラが泣き喚く。せっかく手に入れた心地よい関係が、きっとそれで崩れてしまう。

 見て欲しいと欲深いサリドラが顔を覗かせる。もしかしたらとあさましく期待を込めて、中身も外見も愛して欲しいと手を伸ばす。

 どちらの自分も渾身の自制で心の奥底に沈め、サリドラはふらふらと人気のない場所へ……行ってはいけないのだった。また誘拐されるような不手際はいけない。視線を彷徨わせていると、新しくサリドラつきになった侍女が、給仕に紛れて近寄ってきた。


「サリドラ様、どうなさいましたか」

「もう帰りたいわ」

「……体調が?」

「すこぶる元気なのだけれど」


 侍女が使用人の通用口を見る。ラヴェーヌが顔を出していて、ちょいちょいと手招きしていた。


「トラブルですかぁ?」

「すこぶる元気なのだけれど帰りたいわ。そろそろパーティーも終わる時間だし、抜けてもいいのではないかしら」

「そこは具合悪いとか嘘吐きましょうよ」


 だって、体調不良など訴えたら方々に迷惑をかけてしまうではないか。心が不安定になったからといって、無用な仕事を増やすのは本意ではない。

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