29.返り討ちと救出
サリドラは美しい。銀糸の髪に、星空を浮かべたような深い青の瞳。薄く色づく柔らかな頬に細い顎、得も言われぬ眉の曲線、影を落とす睫毛の悩ましさ。白い肌に際立つ唇に目を奪われぬ者はなく、艶やかな微笑みの前に、全ての男はひれ伏すしかない。
己の美貌を知り尽くしたサリドラは、冷たい空気はそのままに、口角を上げて小首を傾げる。肩口からさらりと流れる長い髪を優雅にかき上げ、ベッドの縁に腰かけて足を組む。全力で魅了しようと思えば、この磨き抜かれた神の美貌は、どんな堅物とて落としてしまえる。自分を律することさえできれば、この場の空気を掌握するのは容易いことだった。
王妃の幻影を背負い、視線の配り方、髪の一筋の流れのひとつひとつまでを制御する。
「ねえ、わたくしはそんな安い女に見えるの?」
一挙一動に目を奪われる誘拐犯が、ぶるぶると首を横に振る。
サリドラは立ち上がって醜悪な部屋を横切った。大きな鏡の前で立ち止まり、男たちを振り返る。
「王太子殿下が私に触れたから、おまえたちも触れられる? 冗談も甚だしいわ。ほら、並んでごらんなさいな。鏡を見て。わたくしの隣に立つおまえはどう見える?」
呼ばれた男がいそいそと隣に並ぶ。間を置かず、ヒイとか細い悲鳴が上がった。
「う、薄汚いゴミです!」
「そう。それで、その薄汚いゴミがわたくしに何をしようと? ほら、そこのおまえ。おまえもわたくしの隣に立つ栄誉を与えてあげるわ。おいでなさいな」
倒れ込むように横を退いた男に代わり、腰の引けた別の男が隣に立った。
大きな姿鏡の中には、光り輝くようなサリドラの立ち姿。その隣に並ぶ、等身からして違う凡庸な人間。彼の顔立ちが整っているのか崩れているのかは知らないが、とにかくサリドラという神の造形と比べてしまうと、誰であれ凡庸にしか見えないのだ。
サリドラの美貌だけを見ていた男は、その落差に耐えきれずに腰を抜かして膝を折った。
「ひっ、なんと……なんと罪深い光景……!」
「そう、身の程をわきまえられるだなんていいこね」
「お、お褒めにあずかり恐悦至極!」
床に突っ伏しながら、至近距離のサリドラによる優しい言葉に感涙をする。顔を上げ、鏡越しに目が合った瞬間、目を覆って地に伏した。
残る男たちを振り返る。戸惑いと期待に揺れる男に、サリドラは嫣然として笑った。
「そちらのおまえもわたくしの隣に立ってみたいの? いいでしょう。特別よ。二度はないと思いなさい。ああ、息をするなら離れてね。わたくしを汚そうとした男と同じ空気を至近距離で吸うだなんて、気分が悪いもの」
誘うために手を差し伸べはしない。誘拐犯などという汚らわしい存在に触りたくはないから。
立場をわきまえさせられた二人へと視線を逃すこともできず、サリドラの笑みに吸い込まれるように恐る恐る近寄ってくる。ふらふらとした足取りは全くもって正気ではない。
別に魔法でもなんでもないのだが、美貌に酔い魅了された状態は異常なのだろうか。まあ、なんでもいい。サリドラの美貌のせいで頭がおかしくなろうが知ったことではなかった。サリドラとて神の被害者。己の身は己で守らねばならない。近づき過ぎるのならば容赦せず、両手に握り締めた茨でめった刺しにしてやろうと幼いあの日に決めたのだ。
「さあ、鏡を見てごらんなさい」
無防備なこの身に触れる権利があるのは、触れさせてもいいと思える異性はただ一人。決してお前たちごときではないのだと、骨の髄まで思い知らせてやろうではないか。
「殿下の隣に立つわたくしが一層魅力的になったというのなら、それはわたくしの魅力を引き出すほどに殿下自身が魅力的であったということよ。おまえたちのような慮外者と一緒にしないでちょうだい」
決意を固めたサリドラは、あらん限りの術を駆使して男たちを翻弄した。持ち上げ、落とし、踏みつけて砕き、叩き折っては飴を放り投げて張り飛ばし。
そうして男たちの心が灰よりも細かく磨り潰された頃。
「サリド――うわ……」
王子が率先して突入するわけにはいかないと言っていたのはどうしたのか、真っ先に部屋に雪崩れ込んできたロルフの第一声は、これ以上ないほどにドン引きしたと言わんばかりの呻きだった。ロルフに続いて入ってきた女騎士たちは満足そうな顔でサリドラの無事を喜び、合図の後に入ってきた男騎士や兵士たちは惨状に慄いていた。
死屍累々と床に横たわる男たちはげっそりとして生気なく、ごめんなさいを繰り返している。目からは欲望どころか光すら消えて、死体よりもなお暗い。
この生ける屍の山を築き上げるまで、物理的に邪魔だったので少しばかり蹴ったり踏んだりはしたものの、サリドラは決意の通り、徹底して己の肌に指先一本たりとて触れさせなかった。
完全なる勝利である。
「無事……か……?」
「私は無事よ。何もさせていないわ」
「それはよかった……すまない、予想をことごとく外して動揺した」
死体の山を避けることなく容赦なく踏みつけながら近寄るロルフに、サリドラは無意識の内に手を伸ばしていたらしい。引き寄せられて息を吐く。体温を感じた途端、安心感に包まれた。
「遅くなって悪かった。よく時間を稼いでいてくれた」
「ええ、そう、頑張ったのよ私。とてもね」
「ああ。きみがとても頑張ってくれたおかげで、俺は無事を喜ぶしかすることがない」
「王子様を悲しませなくて何よりだわ。……ねえ、ラヴェーヌたちは」
「怪我はあるがおよそ掠り傷だ。使われた痺れ薬が抜ければすぐに復帰できるだろう」
倒れた二人の女騎士も、大怪我を負ったりはしていないようで安堵した。どうやらサリドラが見た血の大半は返り血であったようだ。
気にかかっていたことが晴れたので、やってやったという達成感に遅まきながら浸りつつ、手際よく死体を処理していく兵士たちの動向を見守る。彼らがサリドラに対して少し遠巻きなのは気のせいだろうか。助けに来てくれた人員の心をわざわざ折るような趣味はないので安心して欲しい。
「ところで、ここって一体どこなの?」
水を向ければ大雑把な場所を教えられた。王都の一角ではあるが王宮からはそれなりに離れている。
意識を失っていた時間がどれほどかはわからないが、誘拐を目論んでいたのなら、男たちがこの場に集まるのは早かっただろう。サリドラが彼らを甚振っていた時間はさほど長くない。よくそんな短時間で誘拐現場を特定できたものだ。
王宮の騎士、兵士は優秀なのだなと感心していると、ロルフはこともなげにサリドラの首飾りを指さした。
「俺の魔力が込められているから、それを辿って見つけた」
インクの改良のためにサリドラの故郷から取り寄せた、魔力を留めやすい性質を持つ素材を用いているとかなんとか。
なるほど、いつの間にやら首輪をつけられていたらしい。外に出るなら光らせておけとはこのことか。何がすることがないだ。今回は気の緩んだ隙を突かれたとはいえ、防犯意識が高くてなによりである。
「…………言いたいことは色々あるけれど、おかげで助かったのね。ありがとう」
「とても似合っている。次は耳飾りでも贈ろう」
至極真面目な顔をして耳たぶに触れるロルフは、次も黙って何かの機能を仕込むに違いない。害を及ぼすことはないと信じているものの、できれば一言了解を得て欲しいと思う。
「楽しみにしているから、そのときは直接手渡ししてちょうだい」
少なくともアクセサリーなど騎士に託すものではない。せめて侍女に渡していたなら理解できるのだが、その辺りは男性ならではの無頓着さゆえなのだろうか。
ブツブツと愚痴をこぼしていたところ、ふとロルフが困ったように眉尻を落とした。
「何?」
「いや……調査が終わって、確定してから伝えたい」
言いづらい懸念があるようだ。反論は聞かないとばかりにロルフはフイと顔を逸らしてしまった。
彼がそうした方がいいと思っているならわざわざ深堀するつもりはないが、少しばかり嫌な予感が湧いてくる。態度を見るに、いい知らせではなさそうだった。さっさと聞いてスッキリしたいような、聞かずに済むなら聞きたくないような。
幸か不幸か願いは通じてしまったらしく、聞かなければいけないことを聞く機会は、城に帰還してすぐに訪れた。