28.誘拐と反抗
再び目を開いたとき、サリドラがいたのは知らぬ部屋の中だった。
酷く豪勢な部屋だった。派手な壁紙といい調度品といい無駄にきらびやかで、全くサリドラの趣味ではない。誘拐犯というのはモラルもなければセンスもないらしい。
一体どれだけ気を失っていたのか。窓がないから、昼か夜かもわからなかった。ただ、王宮内にこんな部屋はないと思われるので、連れ出されたのであればそこそこ時間が経っている可能性が高い。
念のため己の身を確認する。大きなベッドに無造作に転がされていたためスカートに皺が寄っているものの、服の乱れはないようだった。指先で辿ると、首元に光るペンダントも無事なようだ。
ここはどこだろう。誰に誘拐されたのだろう。目的はなんだろう。女騎士たちは無事だろうか。数々の疑問が頭を巡り、吐き気がするほどの恐怖と不安が込み上げる。
「――!」
部屋の外から足音が聞こえた。同時に、男たちが言い合う声も。
段々と近づいてくる音に、ベッドの上で身を縮こめる。どくどくと激しく鳴る鼓動。息が浅くなる。鈍い頭痛がする。
扉が乱暴に開けられた。
「おお、本当にサリドラ様をお連れできるとは!」
どやどやと入ってきたのは、数人の貴族らしき男たちだった。代表のように前に立つ男は、名前こそ知らないが見覚えはある。ということは貴族の当主ではなく、有力貴族の嫡男でもない。サリドラの美貌に引き寄せられて言い寄ってきていたことがある者だろう。
身を固くして震えるサリドラを見て、男たちの目に欲望の火が灯る。
「可愛らしい、まるで生娘のようだ」
呟きが耳に入って顔を歪めた。まるでではなく生娘である。貴族の娘で、なおかつ王太子の婚約者なのだから当たり前のことだ。
ペンダントトップを握り込み、心を落ち着けるため、ことさらゆっくりと呼吸を繰り返した。今にも飛びかかってきそうな彼らを睨みつけ、できるだけ低い声で問う。
彼らがどういう身分であろうと、誘拐犯に敬語はいらない。
「あなたたちが誘拐を? 一体どういうつもりなのかしら」
「そう怖がらないでください、サリドラ様。声を震わせてお可哀相に」
怖いに決まっているだろう! 怒声は寸でのところで堪えた。
取り乱してはいけない。見ての通り、男たちはいつもと違うサリドラに興奮をしている。高みから高慢にねめつける女を、優位から見下ろすことへの高揚。怯えは勿論のこと、感情に任せて怒鳴りつけても盤面はひっくり返せない。
「ご安心ください。あなた様をここにお連れした者たちは皆女ですので、御身にはまだ誰も触れてはおりません。また、シャタローザ公爵のように他国に売ろうなどとも考えてはおりませんよ」
「攫っておいて何を安心しろと言うの。わかっていて、わたくしは王太子殿下の婚約者でしてよ」
「ええ、ええ。わかっておりますとも。あなたは王族に望まれるほど魅力的なお方だと!」
魅力ではなく、王族の婚約者に手を出す行いの結果を理解しているかと聞いているのだが。
「我らの女神は完璧でした。いついかなるときであっても美しく、信奉者を見る目は硬質で、引いた線を崩すことなく。その姿はびっしりと棘に覆われた大輪の薔薇。まさしく手の届かぬお方でした。もうこれ以上はないというほどの高みにおられたのです」
苦虫を噛むサリドラをかいすることなく、男は恍惚として「サリドラ」を語った。
それはまさに己がそうあらんとしていた姿だった。王妃に教えを受け、美にふさわしい教養と態度を得た。日を追うごとに触れづらくなったサリドラに、このところは手を伸ばす愚か者すらほとんど消えていたはずだった。
「しかし、王族の威光を笠に、我らが女神は王太子殿下のものとされてしまった!」
突然の大声に身を竦ませた。愛らしいと告げる目が欲を増す。
「殿下の隣に立つサリドラ様は更に魅力的になられた。硬質なばかりではなくなり、薔薇のごとき美貌でありながら、野の花のように微笑まれる。殿下の腕に身を任せる可憐さといったら、何度殿下を我が身に置き換えて夢想したことでしょう」
これまでの人生で浴びせられた中でも、一等気持ちの悪い眼差しだった。
「殿下は王族ではありますが、サリドラ様とは違い、個人的な神の加護を受けていない人間です。人の手で触れられるのであれば……それが、我らであっても」
暗い一言と共に、男が一歩を詰めた。ベッドの上でもがいて距離を取る。近寄らないでという悲鳴は、のどが引き攣って言葉にならずに消えた。
伸びてくる手が心底おぞましくて、足を引き寄せ、両手で身を抱く。俯き、目を瞑り、見たくない現実からほんの数秒だけ目を逸らす。
「サリドラ様、どうかただ一人のものとなる前に、我ら信奉者にも女神に触れる慈悲を」
つまり、なんだ。ロルフに心を許し隙ができたサリドラを見て、自分もいけるのではないかと思い余ったのか。自分たちもロルフと同じく人間だから、高嶺の花に触れられると。
――誘拐をしでかす犯罪者が、ロルフと同等の人間だとでも?
スッと腹の底が冷え、次いでふつふつと怒りが湧いてきた。恐怖心を凌駕した怒りが熱となり、固まった四肢に血が巡る。握り締めた手の中で、爪が手のひらに食い込んだ。痛みが震えを取り去って、反発心がむくむくと丈を伸ばす。
ゆうらりと上げたサリドラの顔を見て、男たちは息を呑んだ。外されない多数の目の中に映る自分はどんなふうに見えたのだろう。
「誰の許可を得てその汚い手を伸ばしているの。わたくしは一言でもヨシと言ったかしら?」
弾かれたように伸ばされた手が下げられた。
邪魔なものが退いたので、悠々とベッドから足を下ろす。それでもなお詰めた距離を下がらぬ男たちを、サリドラは顎を上げて睨みつけた。柳眉を寄せて目を細める。変化は僅かながらも確実に蔑んでいるとわかるその表情は、王妃直伝の顔だった。