27.再び
シャタローザ公爵が捉えられ、周辺の膿が取っ払われた。
サリドラの部屋に不審物を置いた内通者と思わしき侍女も炙り出されたが、こちらはどうやら公爵とは無関係だったらしい。彼女はサリドラに憧れていて、サリドラの美貌を記録したくて道具を隠していたそうだ。実に紛らわしい犯行だったが、それはそれで駄目なので、当然処罰されることとなった。
目先の脅威が去ったからには、ようやくサリドラの厳重な警戒も解除される。数を減らした警備を見ると、そこそこに平和な日常が戻ってきたのだと実感が湧いた。
しかし、まだ邸宅に戻る許可は下りていない。というか、王妃がもうこのままでもいいのではないかと主張しているので、もしかしたら結婚まで王宮に滞在することになるのかもしれない。
サリドラはあらゆる面で楽なので構わないが、対外的に問題はないのだろうか。まあ、問題があろうがそこをなんとかしてしまうのが王妃であるから、ひとまず静観の構えを取ることにした。
そうしてリラックスすると、少しばかり開放的な気持ちになる。
「少し歩いてでもこようかしら」
「でしたらおすすめの場所がありますよ」
小さな呟きに、ルルナが小さな庭のことを教えてくれた。王妃の庭ほどの華やかさではないが、こぢんまりとした佇まいが一風変わっていて面白いとのこと。
早速ドレスを着替えて、女騎士二人を伴い部屋を出る。ルルナにはロルフ宛の言づけを頼んでおいた。いくら暗殺騒ぎが落着したとて、サリドラは変わらず王太子の婚約者なのだ。所在を明確にしておく必要がある。
ルルナの姿を見送っていると、控えめな女騎士の方が珍しく声をかけてきた。
「……サリドラ様、こちらをお召しください」
「あら、可愛い首飾り」
「王太子殿下よりお預かりしました。外に出るなら光らせておけとのことです」
髪をかき上げて細い首を晒す。女騎士に背中を向けると、彼女は失礼しますと一声断り、礼儀正しく首飾りをつけてくれた。
アメジストに似た小粒の宝石があしらわれた、シンプルながらも品の良いアクセサリーが寂しい首元を飾る。控えめな佇まいが気に入った。豪奢なアクセサリーはこの美貌を申し分なく引き立てるが、個人的な好みはこういうものなのだ。
「贈り物なら直接渡されたかったものだわ。……まだ忙しそうね」
「要人がだいぶ減りましたからねぇ。嫌ですね、駄目なお偉いさんって」
王宮を少人数で歩くのは久しぶりだった。コツコツと響く足音の数は少なく、鎧が擦れる音も控えめで、なんとなく心もとない気持ちになる。
彼女たちの腕を信用していないわけではないが、やはり数というのは偉大である。体格のいい騎士たちは周囲の目も物理的に遮ってくれていたので、久々に突き刺さってくる他人の視線が少々煩わしい。
「サリドラ様、最近外でもちょっと気を抜くようになってくれましたねぇ」
「こら、ラヴェール。無駄口をきかない」
のんびりとした声を上げるラヴェールを、前を歩く女騎士が軽く叱った。
気を抜くとがなんのことかと振り向けば、溜息を吐いてましたよと指摘をされる。驚いて口元を押さえた。
全くの無意識だった。以前は人の視線がある場所では常に気を張っていて、隙を晒すことなどなかったのに。護衛を信用して頼り切ってしまっているのだろうか。それとも日頃気を抜くことが多くなって、たるんでいるのだろうか。
顔を引き締めるサリドラに、彼女は猫のように笑った。
「四六時中張り詰めてるよりいいと思いますよぉ。とはいえ、少し牽制した方がいいかもしれませんね」
「……それは、そうですね。未来の王太子妃ということで手を引いていた者が、サリドラ様が和らいだのを見て不埒を働く可能性はあります。様子を見て増員も検討しましょうか」
「私がしっかり猫を被り直せばいいのではない?」
「えー、せっかく緩んできたのに勿体ないですよ。顔面丸ごと覆うような猫被りなんて公式行事のときだけで十分じゃないですか。王妃殿下も優しい顔をするのは対外向けのときだけですし」
前を行く女騎士も同意するから、楽を覚えたサリドラは、思わず二つ返事で言葉に甘えてしまいそうになった。王妃はそれで不自由なくやっていけるからいいのであって、サリドラとは事情が違うのに。
危ういところで自制をして、改めてツンと顎を逸らす。寄れば冷たく睥睨するぞと言わんばかりの空気を纏うと、あーあとラヴェーヌが嘆息した。ラヴェーヌは可愛いものが好きらしく、部屋で寛ぐサリドラの方が圧倒的に好きだと言う。ちなみにルルナは、隙を晒すサリドラも高慢に振る舞うサリドラも、等しく美しいと言って憚らない。
話をしながら歩いていると、目的の場所に到着した。
「ここですね。先を確認してきますのでお待ちください」
背の高い生垣に囲まれた庭は、一見では内部の様子がわからない構造をしていた。入口付近の生垣が折れ曲がり、覗き見ができないように造られている。
女騎士が安全を確認しに中へと踏み込んだ。ラヴェーヌと二人でしばらく待っていたのだが、彼女は一向に出てこない。そう広い庭ではないどころか、むしろ狭い空間のはずなのだが。
痺れを切らしたラヴェーヌの声かけにも返答はなかった。
「……妙に静かですね」
「防音性が高いのかしら?」
「いえ、これは」
突如、空気が揺れる気配と共に、金属が打ち合う音が響いた。振り返るサリドラの目に、剣を抜いたラヴェーヌの姿が映る。その前にはローブで顔まで隠した怪しい者が肉薄し、剣を振りかぶっていた。
「サリドラ様、お下がりを!」
二度、三度と刃が火花を散らす。横から飛び出してきたもう一人の不審者が、更にラヴェーヌに斬りかかった。
「誰か、敵襲だ!」
小柄な襲撃者たちは、ラヴェーヌを攻撃しながらも、時折小さな庭への入り口に立つサリドラに近づこうとした。その都度鋭い切っ先に牽制を受けて戦闘へと引き戻されているのだが、果たしてそれはラヴェーヌが上手なのか、それともラヴェーヌの呼吸を乱すためのフェイントなのか。
重なる剣戟を巧みに捌く女騎士の横顔に余裕はない。頬に、腕にと増える傷。徐々に詰められる距離に、じりじりとサリドラの踵が下がる。これだけ騒いでいるにも関わらず、未だ警備兵は駆けつけない。
襲撃者の手が閃いた。サリドラに向けて投擲されたナイフは、寸でのところで弾かれて生垣に突き立った。近くで鈍く光る凶器が恐ろしくて、また一歩後ろに下がる。背中に生垣が当たった。折れ曲がった生垣の奥は、当初の目的地であった小さな庭だ。
様子を見に中に入った女騎士も、同じように襲われたのだろうか。襲われたのだとしたら、ラヴェーヌの戦いと同じように音がするはずだが。
――ふと、剣戟の音が聞こえなくなっていることに気づいた。顔を上げれば、今なお剣はぶつかりあっているのに。
ああ、つまり、防音の魔法が張り巡らされているのだ。
罠を張られていたのだと気づいたときには遅かった。横手から手が伸びて、サリドラの腕を強く引いた。庭の中、血を流して地に倒れ伏す女騎士の姿が見えた。次の瞬間には視界が暗転して、サリドラは恐らくそのまま意識を失ったのだろう。