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23.襲撃

 それはティアナの一件の翌日、深夜のことだった。


「失礼いたします!」


 前触れもなく開かれた扉に、寝入っていたサリドラは心臓が止まるかというほど驚いた。美しく鍛えられた腹筋で起き上がり、震える手で跳ねる胸を押さえる。


「ご無事ですか、サリドラ様」

「……ラヴェーヌ? 無事よ。何かあったの?」


 闇に慣れた目が灯りに焼かれたが、何度か瞬くと視力を取り戻した。

 普段はこの上なく緩い女騎士が、険しい顔をして室内を警戒している。共に入室した数人の女騎士たちは、ベッドの下やあらゆる隙間を覗き込み、窓を見張り、扉の前に立つ。

 物々しい空気に戸惑いながら問うと、彼女はサリドラと視線を合わせ、安心させるように微笑んだ。


「不審な者が目撃されています。襲撃を受ける可能性があったので踏み込ませていただきました」


 僅かに残る眠気が吹き飛んだ。

 気づけば窓の外が騒がしい。耳を澄まさなくとも聞こえてくる怒声と、武器鎧の擦れる金属音。

 そこで初めてゾッとした。悠長に眠っていた危機感が今更ながら起き上がり、時すでに遅い警鐘を打ち鳴らす。


「どうやら襲撃犯は無事確保されたようです」

「そう」


 無様に掠れた声に、顔を顰めて呼吸を整える。


「ご苦労様。迅速な対処、頼もしいわ」

「……お任せください。何があろうともお守りいたします」


 気遣わしげなラヴェーヌの視線には気づかぬフリをした。怖いと訴えてしまったら、未だ警戒を解かない彼女の手を煩わせてしまうだろう。残党の可能性を残したまま、騎士が剣から手を離すわけにはいかないのだ。

 震える手を掛布に隠し、強くシーツを握った。指の先がひどく冷たい。背筋に悪寒が走る。寒気で嚙み合わない歯が音を立てそうで、不自然ではない程度に俯いて顎に力を入れた。

 どこか遠くに聞こえる女騎士たちの声に惰性で相槌を打っていると、部屋の外からバタバタと慌ただしい足音が響いた。


「サリドラ!」


 またしてもノックのひとつもなく扉が開かれた。

 息を切らせて入ってきたロルフは、騎士たち以上の無遠慮さで真っ直ぐにサリドラに突進し、布に埋もれる手を拾い上げて握り締める。手加減を間違えたような力強さはサリドラに僅かな痛みを与えたが、代わりにとりとめもなく広がっていた恐怖心を抑えてくれた。


「怪我はないな。……お前たち、よく異常に気づいてくれた」


 ねぎらわれたラヴェーヌが、そうだろうと言わんばかりの顔をする。自信に満ちた姿を見ていると、少し体温が戻った気がした。


「王太子殿下、周辺の確認が完了しました。恐らく危険は排除できたと思われますが、引き続き警戒を強化します」

「ああ、ご苦労。部屋にも異常はないな」

「はっ。不審物は全て取り除きました」


 ……不審物があったのだと知り、戻った体温が再び下降する。

 警備されていた部屋に不審物があったということは、相手が余程の手練れだったか、もしくは内通者がいたということだ。どちらが難易度が低いかと考えると、自ずと答えは見えてくる。

 どっかりとベッドに腰を下ろしたロルフに腕を引かれ、厚い胸に飛び込んだ。


「そうか……部屋の中が安全なら、今夜は結界を張って凌ぐことにしよう。お前たちは退室してくれて構わない」


 ベッドサイドの灯りだけを残して消灯された。礼を取り、騎士たちが部屋を出ていく。その背を最後まで見送る前に、頭までロルフの腕に抱え込まれた。

 就寝のために緩く編まれた髪を解き、硬い指が頭皮を擽るように往復する。


「震えているな」

「命の危険を感じたのは初めてだったから……脅威を目前にしたわけでもないのに情けないわね」

「きみは十分に気丈だ」


 髪を梳く手とは違う腕が動く感触がした。歌うような囁きとともに心地よい魔力が流れる。ぱきんとガラスが割れるような音がすると、途端に安心感に包まれた。そうすると恐怖より好奇心が克って、そろりと顔を上げる。

 きらきらとした光が舞っていた。手のひらで受けると細かい砂のようなものが皮膚につく。それはすぐに空気に溶けて消えた。


「媒体を使用して結界を貼った。日の出までは誰も部屋に入れないはずだ。もし刺客が訪れても騎士たちがどうにかするから安心してくれ」

「……こういうときには、自分が守ってやると言うものよ」

「王子が率先して攻勢にかかるわけにはいかない」

「ロマンを理解して欲しいわ」

「意味もなく嘘を吐くのは気が引けるな」


 いつも通りの会話に心が解れる。力の抜けた体は再び深く抱え直され、子をあやすように背を叩かれた。


「これに懲りて婚約者を降りるなどとは言わないでくれ。俺にとってきみは……特別な人なんだ」


 ぽつぽつとこぼされるロルフの心境を聞く。

 魔術での歩行について、開発したインクについて、他人のためにもなる技術だと褒めて貰えたことが嬉しかった。なくしたものを取り戻すだけでなく、視力を失った自分でも新たなものを作れたのだと知って救われた気持ちになった。

 ロルフについて詳しくなく、最低限の知識しか持っていなかったサリドラだったから、昔の自分と比較されることがなくて楽だった。容姿をどうでもいいと言い切るサリドラからの視線は心地よかった。気楽な会話が楽しかった。困難に負けず立ち向かう姿勢を、出会う前から尊敬していた。


「目が見えなくなってよかったと思うことすらあるんだよ、今は」


 尖った気持ちが丸くなり、眠気まで覚えてきたところで聞くロルフの言葉は、サリドラの天邪鬼を刺激することもなく真っ直ぐに染み入るようだった。

 褒められたがる子供のようだと思った初日のロルフが、そんなに喜んでいただなんて思っても見なかった。サリドラにとっては、思わずこぼれたというだけの何気ない一言だ。インクに関してなどは敬語が剥がれてしまって、当時は失態だとしか思っていなかった。

 サリドラに対して随分好意的だとは、本人の言もあり勿論知っていた。知っていたが、まさかそこまでとは。


「私にとってだって、あなたは特別だわ」

「それは嬉しいな」

「本当よ。姉と同じくらいには」


 言った直後に、そうだろうか、と自問する。サリドラにとって姉が最も特別なのは間違いないが、ロルフを同じ場所に配置できるかというと違う気もする。

 愛の文字が頭を過った。執拗に視界に入ろうとするその単語から必死に目を逸らす。いいや、まだだ。まだ認められない。サリドラは異性を愛したことなどないのだ。言い聞かせている時点でもう遅いのだとは、薄々感じているけれど。

 葛藤するサリドラを撫でる手が、言葉を受けて一瞬止まった。すぐに再度動き出したがどことなくぎこちない。


「きみが……姉と同じくらいと言ってくれるなら、それは最上なのだろうな」


 何か言いたげな素振りを捉え、サリドラも彼の背中に手を回す。促すつもりで薄い布地ごしに背を摩れば、囲う腕が強さを増した。


「できればで、いいんだが」

「なあに」

「……他の男を特別扱いしないでくれないか……いい、なんでもない。聞かなかったことにしてくれ」


 思いがけない発言に、凭れた身を起こして男の顔を凝視する。

 薄暗い室内ですらわかる赤い顔に、それが彼の本音と知った。見るなと視線を遮る手を躱し、耳まで浸食した熱を見つけて口元を緩める。


「驚いたわ。あなたって随分と嫉妬深かったのね」

「なんでもないと言ってる」

「それでドレジ子爵の話をすると不機嫌になってたの」

「聞かなかったことにしてくれ、頼むから!」

「やぁよ」


 項垂れて頭を抱えるロルフに、すっかり恐怖を追いやられたサリドラは声を上げて笑った。


「……楽しそうで何よりだ」

「楽しいわよ。あなたのおかげで」

「捨て身の俺に感謝してくれ。もう寝ろ」


 顔面に掛布を投げられても、その拗ね切った顔を見てしまえば面白いばかりだ。

 サリドラの体を倒し、間を開けてロルフも隣に寝そべる。とにかく笑いが込み上げてくるから照れる隙もない。


「ロルフ」


 最低限の礼儀とばかりに向けられた広い背中に声をかけるが、反応はなかった。寝たフリというよりはただの無視だろう。

 気にせずその背に手を置いて囁く。


「マーキス殿下もドレジ子爵も、あなたと比べてしまえば全然特別なんかじゃないのよ」


 目にすら留まらぬ異性たち。その中で、色々と世話になっているドレジや、ロルフの弟であるマーキスは特別と呼べた。けれどそれはあくまで例外という意味で、大切だとか大事とか、手放しがたいというほどの存在ではない。

 その瞬間の彼の身じろぎにはどんな意味があったのか。わざわざ追及する気は起きず、ロルフの背中に額をくっつけて目を閉じる。

 睡魔はすぐにサリドラの意識を飲み込んだ。


「サリドラ、俺は、きみのことを――」


 あとはもう、朝までぐっすり。

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