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18.仲直りと進展

 人選、時間、様々な手間が無駄だからという理由で、王妃は日常のエスコートの全てを排除している。サリドラも正式な相手がいない場所ではこれ幸いと王妃に倣っていた。

 扉が開くと、王妃は軽い身のこなしで馬車を降りて行った。続いてタラップに足をかけたサリドラに、突然手が伸ばされてギョッとする。


「おかえり」

「え、ええ……ただいま戻りました、ロルフ殿下」


 どうやらわざわざ迎えに出てきてくれたらしい。澄ました顔をしながらも、機嫌をうかがうような目をしてロルフが手を差し伸べていた。不意打ちに驚きつつも手を重ねて馬車から降りる。

 久しぶりに会ったし、久しぶりに触れた。それがなんだか嬉しいせいか、今日のロルフはいつもよりどことなく見目よく見える。普段は顔など気にならないのに。

 温かい手をついそのまま握っていると、王妃に話しかけられて放すタイミングを逃してしまった。


「ロルフ、サリドラの機嫌をしっかり取りなさいな。とても不機嫌にさせてしまったから」

「何をしたのです、母上……」

「わたくしは何もしていないわ。人聞きの悪い」


 過ぎたことを報告されただけだ。特別何もされてはいないので肯定する。ロルフは苦い顔で頭を振った。


「ただでさえやらかしているんだ。私が見捨てられたら母上のせいですよ」

「人のせいにするのではないわよ。おまえが不甲斐ないのでしょ」

「否定はできませんが、最低限悪化をさせないでくれと言っているのです」

「女々しい。何が起ころうと離さないくらいの気概を」

「見捨てませんわ」


 反射的に口を挟んだサリドラに、ぱっと二対の目が集中した。

 とりわけロルフの視線が痛い。彼が目を向けるのは、後天的に視力を失ったという理由の他、魔力の指向精度を上げるためでもあるという。今はそこまで真剣になってこちらを見る必要があるとも思えないのだが。

 思わぬ勢いに僅かに身を引いたが、あいにくサリドラの手はロルフに取られたままである。

 サリドラは別にロルフを愛しているわけではない。ない……と思うが、人として好意は抱いている。一緒にいると楽しいし、会わない期間はなんだか物足りなく感じた。


「いえ、その……私が殿下を見捨てるなど、そんな畏れ多いことはいたしませんと……」


 しかしそれを外野もいる中で率直に伝えるのは気が引ける。しどろもどろに嘘ではないが真実でもないそれっぽいことを口にすると、王妃はあからさまにがっかりとした顔をした。


「……ロルフ」

「なんですか。舌打ちをするな」


 互いに軽く睨み合っていた親子だったが、ふと王妃が片眉を上げた。

 細い指が伸びたかと思えば、前触れもなくロルフの胸倉を掴む。当然驚く息子を気に留めず、無理矢理に引き下ろして額を合わせた。


「なんなんだ一体!」

「ロルフ、おまえ……?」


 隣に立つサリドラには、母親の突然の急接近に叫ぶロルフの顔は見えなかったが、王妃の顔はよく見えた。

 僅かに見開かれた瞳が揺れる。透き通る金色の中に見えたのは喜色だろうか。ぽってりとした厚めの唇が震え、不自然ではない程度に噛み締められた。

 一連のそれらは全て、瞬きほどの時間で幻のように掻き消えた。息子の手で引き剝がされるより早く、皺の寄った胸倉が解放される。


「今夜、陛下の部屋においで。話があるわ」

「……悪い話ではないことを祈ります」


 高らかに靴音を響かせながら去る背中に溜息をぶつけたロルフが、気を取り直してサリドラに向き直った。

 なんだか苦労しているようだ。サリドラも王妃に疲れさせられたばかりである。労わりたい気分になって繋がる手を両手で握ると、驚いた顔をした後に頬を緩ませた。


「早速例の話をしたいところだが……先に移動してもいいか」


 移動を拒否する理由はなかった。サリドラは高圧的な美女を演じることで男避けをしているが、未来の鬼嫁などと呼ばれたいわけではない。二つ返事で了承して、馬車止めから王宮に入る。

 辿り着いた先は、くだんの執務室だった。今日は愉快な側近は不在のようだ。

 人の目が消えると、サリドラはロルフにうかがいを立てず先日のソファに腰を下ろした。見覚えのあるクッションを取り上げ、損傷がないことを確認して抱え込む。


「失言をしたらまた投げてくれてもいいから、今日は飛び出して行かないでくれ」

「失言をしなければいいのよ」

「難しいんだ、俺には。気をつけるが」


 向かいのソファに座るかと思われたロルフは、決して軽そうではないテーブルを雑に退かしてサリドラの前に跪いた。床に膝をつき、武骨な手でサリドラの指先を取る。


「この間は悪かった」


 下から見上げられると、部屋の明かりをたっぷりと含んだ紫の目がいつもより艶やかに見えた。僅かな濁りが溶けて、まるで宝石のようだ。ロルフを見下ろす機会などそうそうない。ひとしきり無言で美しい宝石を満喫する。

 焦らしに焦らしてから口を開く頃には、彼の眉尻は情けなく降りていた。そうするとどことなく弟に似ている。


「ねえ、本気で私がマーキス殿下を選ぶと思ったの? マーキス殿下の方が条件がいいかもって?」

「いや」


 伏せられた目はすぐに上がった。


「衝動的にああ言ったものの、恐らく……俺を選んでくれるものだと、きみを試したのだと思う」

「意地が悪いわ」

「すまない」


 怒られた犬のような上目遣いに、せっかく作った厳しい顔が緩む。

 試されたこと自体は業腹であるものの、サリドラが侮られていたわけではないという事実には溜飲が下がった。弱っていたところに不愉快な流れを受けて、拗ねて、甘えてみせた。であればサリドラ側にわだかまりはない。

 もういいだろう。繋がれた指先を引っこ抜き、代わりに力強く握手をする。これで仲直りだ。喧嘩の終わりはそうするものだとサリドラは幼い頃に教わった。悲しいことに喧嘩をするような相手はいなかったので、日の目を見ることは今までなかったのだが。


「いいわ、許します。私もクッションをぶつけてごめんなさいね」

「構わない。痛くなかった」

「でも、もうああいう言い方は止めて。本気で腹が立ったんだから」

「すまない。言い訳になるが、その」

「あの日、あなたが大変だったってことは聞いたわ」


 詳細を暈して告げれば、安堵の息を吐いた。

 誰だって自分の傷口を抉りたくはない。説明などしたくないだろう。王太子をロルフのままにするためにサリドラとの婚約を薦めた親が、今更王太子の交代を考えているらしいなどとは。


「……そのくらいで揺らぐなど、情けないことだと思っている」

「傷つくには十分じゃない。こっちに当たるなって言いたいけど、当たりたくもなるわよ」


 項垂れる男の手を引き、隣に座らせた。いつまでも跪かれていてはこちらが気まずい。


「ねえ、今から言うこと、誰にも言わないって約束して」

「ああ。なんだ?」

「私、両陛下に腹が立ってるの」

「……ここだけの話にしておけよ」

「わかってるわ。だから誰にも言わないでって言ってるんじゃない」


 テーブルが退かされているのをいいことに遠慮なく長い足を組む。足の形が悪くなるとか、そういうことはサリドラには関係ない。大体何をしても美しい形を保ち続けるので。

 ツンと澄ました王妃の顔を思い出して、抱えたクッションに拳を打ちつける。


「子供に対して、親である前に為政者って何よ! 勿論それも大事だし、優先しなきゃいけないときもあるだろうけど、生物として為政者より親が先でしょうが!」

「まあ、どちらもというのは難しいだろうからな」

「努力をなさいよ! せめて言い訳をしようという気はないの? 言い訳ってね、潔く見えないように思うけど、結論までの葛藤を知るのは大事なことなのよ。人間なんだもの。色々加味してこうせざるを得なかったんだっていわれれば、まあ仕方ないかなって思えるじゃない。何も知らなかったら、ただ切り捨てられたんだとしか思えないでしょう!」


 憤り、ばふばふとクッションを叩き続けるサリドラに、そうだなと諦念の混じる相槌が打たれた。

 そんな寂しそう顔で頷くということは、案の定伝わっていないのだ。王妃が大変上手に押し隠した家族愛は。


「両陛下がロルフを家族として大事にできないなら、私があなたを貰うわよ。私があなたの一番の家族になるの。後悔したって遅いんだから」

「一番の家族?」

「そうよ」


 鼻息荒く宣言したサリドラに、ロルフは心底驚いたようだった。幼子のように目を丸くして、ぽかりと口を開ける。


「私にとって一番の家族はお姉様だったわ。お母様はお父様が亡くなって大変だったから、私の面倒を見てくれたのは基本的にお姉様だったの。相談するならお姉様。嬉しいことも楽しいことも悲しいことも、まず一番に報告するのはお姉様」


 そのせいで多大なる迷惑をかけてしまったが、それでも優しい姉は未だにサリドラを気にかけてくれている。母に感謝をしていないというわけではないし、大切な家族だとは思っている。でも、サリドラにとっては姉が一番なのだ。

 これから姉は伴侶を得る。彼女にとってのサリドラがどういう位置にいるかはわからない。けれど、少なくとも今後、姉の一番はきっと見たこともない夫になるのだろう。


「ロルフにとって、そういう人は誰だった?」

「……いない、な。王族としての相談事は両親にしていたが、個人的な感情については自分で処理するものだった。幼い頃は乳母に聞いて貰っていたか」

「絶対おかしいわよそれ」


 膝に置かれたロルフの手を再び取り上げる。


「ねえロルフ。私の一番の家族になって。代わりに、あなたの一番の家族になれるよう努力するわ。お互い王族としての判断を優先しなければいけないときもあるだろうけど、それでもできる限りロルフの感情を大切にする。不満があったら言って。私も言えることはちゃんと言うから」

「サリドラ……!」

「陛下と王妃様が恋愛感情で結ばれていないのだし、私たちも愛し合っていなくても支えあう立派なパートナーになれると思うの」

「……サリドラ」


 感動に目を輝かせたロルフは、次の瞬間しょんぼりと肩を落とした。

 気持ちはわかる。夢のある未来を語っているのに、夢のかけらもない政略結婚の話を持ち出すなということだ。でもそれが現実なんだから仕方がない。


「愛し合う努力もすればいいだろう」


 不満そうに言われて目を逸らす。


「できない理由があるのか」

「……」

「他に好きな男でもいるのか」

「それはいないわよ」


 未だかつて好きな男というものができたことがない。そこだけはしっかりと否定した。

 ではどうしてと見つめられても、サリドラの勝手な誓いは口にし難いのだ。

 端的に言うと、今の関係を美貌に壊されたくないためあなたの目が治らないといいなと思っている女だから、あなたを愛するのは申し訳ないし、愛されるのもまた申し訳ないです、などとは。更には、現状維持を願う反面、サリドラの外見を見た上で中身まで愛してくれることを願っている面倒くささの極みにいる女でもあります、などとは。


「言えることはちゃんと言うんじゃないのか?」

「言えることと……言えないことが……」


 目をさまよわせるサリドラに、ロルフはしばらくじっとりとした目を向けていたが、やがて諦めてくれたらしい。

 これ見よがしに堂に入った溜息を吐いて、繋いだ手をぶらりと揺らした。


「わかった。できればいつか教えてくれ」

「……善処するわ」


 全く信用できないという顔をされたが、追及の手からは逃れられたようで安堵する。


「では、俺も言えることは言っておく」


 そうして気を抜いた女を呼び戻すように、彼は空いた手をサリドラの頬に当てて上向かせた。

 驚きに目を見開く。至近距離にあるロルフの顔を認識して反射的に離そうとした身は、握った手を引かれて実行に移せなかった。

 仏頂面に、王子様スマイルとはまた違う優しい笑みを乗せて彼は言う。


「今まできみと仲良くなろうとしてきたが、これからはきみを愛する努力をするし、愛される努力をするつもりだからよろしく頼む」

「え?」


 咄嗟に理解できなかった。愛する努力、愛される努力とは?

 疑問を浮かべるサリドラの額に柔らかいものが当たる。もしかして口づけを落としたのだろうか。額への口づけなんて、母親と、仲が良かった頃の姉くらいにしかされたことがないのだが。

 視界一面を占拠していた太い首筋が消え、代わりにはにかむ笑顔が現れた。


「俺の一番の家族になると言ってくれて、とても嬉しかった。ありがとう」


 寂しさも憂いもない、幸せそうな顔だった。

 雨降って地固まる。喧嘩があっさりと終わって仲が深まったのはいいことだ。いいことだけれど。


 この日からロルフはスキンシップが増えて、妙に言葉のチョイスが甘くなった。甘い言葉には慣れているはずなのに、ついつい逐一反応してしまう。顔はすぐに赤くなるし、鼓動が馬鹿みたいに高鳴る。

 まだ大丈夫。大丈夫なはず。ロルフは愛される努力をすると言ったが、サリドラはそんなものに屈したりはしないのだ。

 そう思いながらも、悪い自分が唆す。

 じゃあ王族であれど一夫多妻を認めていないこの国で、サリドラと結婚をするロルフは一生男女間の愛情を得られないのかと。それなら相手がサリドラだろうが歪な愛であろうが、得られるものは得られた方がよくはないか。

 待て待て、都合のいい声に耳を傾けるな。彼を愛することでただでさえ面倒なサリドラの捻くれ方が、より一層悪化する可能性を考えろ。

 いや、でも――もしも本当に先に内面を愛してくれるのなら、葛藤の根本はなくなるのでは?


「頬が熱いな。照れてるのか」

「ちょっと黙って」


 頬を擽る指先から逃れつつ、心の内から響く悪魔の囁きに唸り声を上げた。

 サリドラを揶揄う彼はすこぶる楽しそうだったから、今すぐ結論を出さずとも、まだ猶予はあるだろう。とりあえずは現状維持で行こうと思う。

 ところで、楽しそうなのはよいことだが少しペースを落としてはくれないだろうか。ちょっと息切れを起しそうなので。

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