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17.国主であり親であり

 厳重に警備された馬車に乗り込むと、サリドラはすぐに閉められたカーテンに隙間がないかを念入りに確かめた。僅かな隙間から見えた美貌に惹かれ、うっかり馬車の前に飛び出す人間がたまにいるのだ。


「城に戻ったらロルフと会うのですってね。もう気が済んだの?」

「はい。わがままを言いました」

「わたくしがおまえと同じことを言われたら何をしていると思う」

「張り手……いえ、拳でしょうか。鼻っ柱に」

「わかっているではないの。クッションをぶつけたり無視する程度のこと、何か問題がある?」

「不思議とわがままではないような気がしてきました」


 雑談の最中、カーテンを捲って外を覗き見ていた王妃が顔を顰めた。

 コンコンと窓を叩き、外の騎士に無言で指示を出す。細い指先の指し示す場所に何があるのだろう。好奇心に駆られてカーテンに手をかけたが、じろりと睨まれて諦めた。


「不審な者でも?」

「そうね。愚かだこと」


 窓から離れ、王妃は背凭れに身を預けた。

 外からは怒声や悲鳴がしばらく聞こえてきたが、すぐに捕縛が完了したらしく落ち着きを取り戻す。

 馬車が進む音と、騎士たちが上げる声、馬の嘶き。息苦しさのない環境音に耳を澄ませていたサリドラに、王妃は再び声をかけた。


「おまえに王宮に留まるよう言って、警護を強化したでしょう」

「はい。女性騎士を融通いただきありがとうございました。おかげで今までになく快適に過ごしています」


 礼の言葉にひらりと手を振って、彼女は続ける。


「あれはわたくしと陛下、ロルフで話し合った結果なのだけど、その後にマーキスも同じ進言をしてきたわ」


 思わぬ名に、取り繕うことも忘れて顔を歪めた。母親には悪いが、あまり聞きたい名前ではない。


「マーキス殿下が?」

「ええ。婚約者となったのだから、邸宅との行き来で何かあったらいけない。サリドラを王宮に留めてはどうかとね。愛する女を守りたいのか、それとも何か思惑があるのか。おまえ、どう思う?」


 口元を扇で隠した王妃に聞かれ、答えかねて視線を泳がせる。

 守りたいなら余計な火種を生むなと罵りたい。思惑があるなら、嫌な息子ですねと苦言を申したい。残念ながら王妃に盾突くだけの気概はなかった。


「……王妃様が嬉しそうだなと」

「なるほど。そうね」


 あからさまにはぐらかしてしまったのだが、彼女はお気に召したようだった。

 腹を満たした猫のように目を細めて扇を揺らす。邪魔な前髪を耳にかけ、金色の目を悪戯に輝かせた。


「気が弱くて怯えてばかりだった子が暗躍できるようになるとは、嬉しい誤算だわ」


 嬉しそうなのは何よりなのだが、サリドラの立場としては複雑だ。


「止めはしないのですか」


 思ったよりも低い声が出た。非難を乗せた言葉に、しかしこの豪胆な王妃が怯むはずもない。

 優雅に長い足を組み、赤い唇の端を上げる。まるで挑発するかのような態度でサリドラを見返した。


「マーキスに王としての資質が生まれたのであれば、王太子の交代も視野に入ってくる。――ロルフが蹴落とされたなら、それまでということよ」

「そんな!」


 思わず腰を浮かせたサリドラに、外の騎士が警戒の様子を見せた。王妃が気にするなと手を振る。その、なんでもないという様子が気に障った。


「なぜおまえが憤るの。王妃になりたいわけではないのでしょう」

「なぜって」


 座れと促されて渋々従う。警護対象が落ち着いていなければ、騎士たちは外部に集中できない。腹の奥がぐらぐらと煮え立つのを、唇を噛んでやり過ごす。


「今更では、ないですか……」


 サリドラは王妃になりたいわけではない。ならなくていいのであれば、その方がいいとも思っている。

 でもロルフは違うのだ。王太子の座に執着するような言葉は聞いていないが、さりとて彼は、一度もサリドラに対して王太子の座を退きたいと伝えたことはない。

 長く彼を見てきた側近、エイベンは言った。失明をしてすぐの頃は交代を望むこともあったと。

 しかし彼は一年をかけて立ち上がり、歩き出した。今もなお前進している。話をしていると、ロルフがどれだけ国のことを考えているかがわかる。見えない目で辺りを見回し、いつでもできることを探している。

 王太子でありたいと、できることなら王になりたいと、声に出さないだけで願っていることは、短い付き合いのサリドラですらわかるのだ。

 彼の今の働きが未来の国王に足るかどうかはサリドラには判定できない。けれど、マーキスと立場を代えるなら今でなくともよかったではないか。なぜ今更なのか。なぜ、それを望んだ当時ではいけなかったのか!


「……おまえ、随分ロルフに肩入れしているのね」


 意外そうに眉を上げた王妃は、一瞬だけ常にない言い表しがたい表情をした。

 扇を閉じ、高圧的な姿勢を崩す。少しだけ丸くなった背筋がとんでもなく珍しい。


「わたくしは……わたくしたちは、親である前に為政者よ」


 強く輝く目を伏せた彼女は、吐息に混ぜるような声音で小さく語った。

 消沈したロルフが、先の見通せぬ状況で王太子という重圧に押し潰されそうになっていたことは知っていた。それでも他に次期王にふさわしい者はおらず現状維持を決めた。マーキスには任せられなかった。当時の次男は間違いなく、突然降って湧いた責任に耐えられる心を持っていなかったから。

 苦しみ続ける姿に、選択は間違っていたのかと何度も親として後悔をし、為政者としても再考したが、やはりロルフの他には考えられなかった。

 歩き出したロルフを見て、親としても、国主としても喜んだ。最低限の仕事ができるようになったロルフに対し、国の発展に期待するより維持を望んだのは当たり前のことだった。臣下たちは大なり小なり、盲目の君主の息子に対して侮りを見せるだろう。王があまり高きを望めば、それは親馬鹿よと評価を下げることになりかねない。

 そうしてロルフは苦しみ、悲しみ、疲弊することになった。その裏で、同じくマーキスも嵐に巻き込まれ続けてしまった。


「情を優先させるわけにはいかなかった。そしてこれからもわたくしたちは為政者としての立場を優先する。今更であれ、マーキスの方が王としてふさわしいならば、選ばなければならないわ。勿論、被害が大きくなりそうな事態は防ぐし、無暗に均衡を乱そうとする者は正すけれど」


 伏せた目を上げサリドラを射抜く。いつもの堂々たる姿勢を取り戻した王妃からはもう、先程まで存在していた弱さのかけらも拾えなかった。


「わたくしは、次期王に選択肢ができたことを嬉しく思っているわ」


 確かにそこには、潰さざるを得なかった情が存在していたのに。新たな一面を見せたマーキスを誇りつつも、ロルフへの罪悪を滲ませていたのに。全てを押し隠して笑う王妃を尊敬するより苦々しく思う。

 サリドラでこれなのだ。ロルフはどんな気持ちでこの宣言を聞くことになるのだろう。

 そう考えて、ふと嫌な予感を覚えた。


「ロルフ様には、すでにそれを伝えたのですか」

「伝えたわ」

「いつです」


 ロルフはたまに導火線が短くなるとはいえ、さすがに暴言の場では短すぎやしなかったか。むしゃくしゃしていたのかなと適当に流してしまっていたが、兄弟間のいざこざをこじらせたにしても、ああも露骨にサリドラにあたるような人柄ではないだろう。

 シートに爪を立て、唇を引き結んで返答に備える。一足先に怒りを漲らせるサリドラの顔を、王妃は感嘆の息を漏らしながらしばし見つめて口を開いた。


「予想している通り、婚約パーティーの後よ」


 整えられたサリドラの爪は強い。早速座席に傷がついたが、知ったことではなかった。


「伝えていない方がよかった?」

「……いいえ」

「ではタイミングが気に食わなかった?」

「…………いいえ、後に回しても、同じことだと思います」

「そう。では、なぜおまえが憤るの」


 再び使い回された疑問の言葉に、理性的な答えは思いつかなかった。

 気に食わないからだ。ただ気に食わない。為政者としての立場を優先したことを理解はできる。でも気に食わない。

 それではロルフが可哀相ではないか。親子の情より政治を優先された上、その政治的な地位すらも奪われる可能性を説かれたら。サリドラなら癇癪を起す。だったら最初から親子の情を寄越せばよかっただろうとひたすらに暴れ回るに違いない。


「おまえは怒る顔まで本当に美しいわね。わたくしでもまだ見慣れられないくらい。マーキスが惚れるのも当然だわ。あれはわたくしに似て美しいものが好きだから」

「ありがとう……ございます……」

「でも、マーキスはロルフのことが大好きで、誰よりもロルフのことを尊敬して慕っていたわ。ぽっと出の恋情などに惑わされるものかしら」

「さあ……」

「サリドラ、怒りを押し殺しているつもりなら表情まで整えなさい」

「あまり押し殺しているつもりもないです」

「そう」


 目を閉じて、深く深く震える息を吐く。

 物凄く気に食わないけれど、サリドラが王妃を感情論で怒鳴りつけても意味がない。では親子の情を優先させればよかったかと言われたらぐうの音も出ないからだ。多少スッキリするかもしれないが、サリドラがスッキリしたところでなんだという話である。これがロルフなら怒ってやれと尻を蹴飛ばしたいところだが。


「言いたいことがあればお言い。問題にならない程度に」

「いえ、結構です」


 今のサリドラに言葉を許すということは、そうは見えなくとも罪悪感を抱いているということだろう。親として責められたいのだ。

 ならば、それこそ何を言ったところで王妃の自己満足につき合う結果にしかならない。王妃には多大な恩があるけれど、それをしてやる義理はなかった。

 手のひらを立て、きっぱりと断って、サリドラは最後にと王妃を睨みつける。


「これは王妃様に言うことではないので、ロルフ様に言います」

「……そう」


 それからは王宮に到着するまで、どちらも口を開くことはなかった。

 これは後で聞いた話だが、馬車の中の重い沈黙に、外で騎士たちが気を揉んでいたらしい。王妃と王太子の婚約者の諍いと無言。なるほど、申し訳ないことをした。

新作「Hi,close World」投稿しました。よければそちらも読んでいただけたら嬉しいです。

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