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16.神

「……王太子殿下からお手紙ですよぉ」


 いかにも不服といった露骨な態度で差し出されて、思わず笑ってしまう。

 二つに折られた紙片には、癖のある筆跡で短いメッセージが綴られていた。簡潔な謝罪と、帰ったら話をしたいという旨。申し訳程度の挨拶すらないそれは、いかにも外面を排除したロルフらしい。

 まあ婚約者を続けるのであれば、そろそろ和解が必要だろう。あまり不仲だと噂されても後が面倒くさい。

 それに……少しばかり彼の軽口が懐かしくなってきた。


「了解しましたと伝えてくれる?」

「かしこまりました」


 使者に応対してくれていた侍女が顔をのぞかせたので指示をする。

 久しぶりに顔を合わせるのだと思うと、少々落ち着かない気分になった。薔薇の棘は以前と同じくロルフが処理したのだろうか。念には念を入れてと言わんばかりに、葉まで全て落としてある。


「葉は残した方が見栄えがいいと思うのですが、これは……安全性を優先した徹底的な処理ですね」


 薔薇とサリドラを交互に見て、ルルナはピンを取り出した。


「あまりもちそうにありません。部屋に飾るより、よろしければ服につけて行かれますか」

「派手じゃない?」

「小さな薔薇ですし、コサージュでしたら大丈夫かと」


 試しに胸元にあててみると、思ったよりも目立たない。せっかくなのでお願いすることにした。

 茎を短く切り落とし、手慣れた様子で加工する。飾りの位置を変え、布を移動する。

 あっという間に服に咲いた花は、サリドラのイメージする薔薇とは全く違っていて不思議だった。


「こんな可愛い薔薇もあるのね」

「薔薇は愛される花ですし、種類が豊富ですよ。触れることを躊躇うような気高いものから、こうして手に包んで愛でたくなるものまで様々です。こちらは王妃殿下の温室で拝見したことがある品種ですので、王妃殿下に頭をお下げになられたのかもしれませんね」


 薔薇というのは己を誇示し目立つ花だと思っていたのに、慎ましやかな色の服の中、楚々とした佇まいで彩を添えている。

 けれど決して埋もれることのない鮮やかさは、まるであの日の薔薇のよう。


「もう王太子殿下のこと許しちゃうんですかぁ」

「……可愛い花をいただいたからね」


 女騎士はチョロいですよとでも言いたげな顔をしているが、正直、周囲が身分差の無礼を誰も問題視していないことが不思議でならないくらいである。それに、サリドラはすでにクッションをぶち当てるという報復をしているのだから、もう十分だろう。

 ともあれロルフに会うのは本日の予定を終えてからだ。


「じゃあ、行ってくるわね」


 侍女たちに手を振り、女騎士二人を連れて部屋を出た。




 ああ、憂鬱だ。神殿なんて大嫌い。


「不敬が滲み出ているわね、サリドラ」

「まさかそんな。主神へのご挨拶とあって、緊張しているのです」


 内情を押し隠して澄ました顔をしていても、長らくサリドラを見てきた王妃の目は誤魔化せない。じろりと睨む鋭い眼差しから、そっと視線を外してすっとぼける。

 この国の祀る神は、間違っても美の神ではない。あんな自由極まりないものを祀りなどしたら、三日で国が崩壊するだろう。

 だから、この神殿に祀られているのは憎き美の神ではない。他の神はこの美貌に関係ない。

 わかっているが、それとこれとは話が別だ。生まれてこの方ずっと迷惑を被っている。もう、神という存在自体が嫌いなのだ。不幸な天災があれば「これだから神は」と吐き捨てる。それくらいには広く嫌悪している。完全にとばっちりだが、もし罰を与えるならサリドラではなく美の神の罪にあてて欲しい。

 なお、この国の主神は仲介の神である。神と神、人と人、神と人を繋ぐ神。温厚で、秩序を貴ぶ、神にしてはそれなりに人を尊重してくれる方、らしい。


 祭壇の前で教えられた祝詞を唱えながら、心の中ではひたすらに美の神の不幸を願い続けた。ぜひとも仲介してくれ。美の神をどうにかしてくれそうな某かと。

 サリドラが神を嫌っているのは王妃も知っている。そぐわぬ熱心さで神像に跪く姿に呆れた顔をしているから、何を祈っているのかもおよそ察しているようだ。重い溜息に気づかぬフリを貫いて、格式張った儀式をつつがなく終えた。

 王族のみが祈りを捧げる部屋は、神殿の奥にある。神像はさして大きくはなく、豪華な装飾もない。ただ必要なものだけを置かれた小さな場所だった。

 過剰に感じるほど多い護衛は部屋の外。王妃とサリドラの二人だけ。付き添いの神官もいないし、神への挨拶を終えてすぐに出る思われたのだが、意外にも王妃は片隅に置かれた質素な椅子にサリドラを誘った。


「サリドラ、おまえにとっての美しいものは何?」


 あまりにも唐突な質問で、意図が見えなくて言葉をなくした。

 こちらの戸惑いに構うことなく王妃は答えを促す。その目は妙に真剣で、サリドラは気圧されながら巡りの悪い頭を働かせた。


「花、とか」


 ちらりと胸元に視線を落とす。そこに咲いた赤い薔薇は美しい。


「景色とか、宝石とか、でしょうか」


 花咲く庭園は心に残っている。先日ドレジ子爵が持ってきたアメジストの深い紫色は吸い込まれるようだった。


「他には?」

「他……そうですね……」


 真っ白な天井を仰ぎ見る。

 言われても、すぐには思い浮かばない。迂闊に出歩くとトラブルに激突するので、サリドラはあまり多くのものを目にできていないのだ。

 幼い頃に遊んだ領地の野山は綺麗だったように思うが、何せ古い記憶である。朧気な部分が多いから思い出補正かもしれない。癇癪を起したサリドラをあやす母の優しい声も、姉が差し伸べた手も、また同様に。

 怒涛の三年で擦り切れた、古い記憶を諦める。仕方なしに劣化していない近隣の記憶を漁ると、まだ棚にもしまわれていない最新の場所で心惹かれる光景を見つけた。


「今日、結婚式をしていたご夫婦は……」


 神殿に来る途中、くたびれた教会で式を挙げる夫婦がいた。花嫁のドレスはシンプルで、花婿などは礼服ですらなかった。花束は女性が胸に抱えたひとつだけ。どんなに言葉を選んでも、華やかとは言い難い式だったけれど。


「祝福されて幸せそうに笑う二人は、美しかったと思います」


 サリドラの優れた視力でも顔の細部はまではわからない距離だった。ただ、その空気が暖かくて美しいと思った。


「そう。……例えば、その美しい二人を引き裂く男などが現れたとしたらどう思う?」

「吐きそうなほど醜いですね! 汚らわしい! 幸せな二人を引き裂こうなど、お前が真っ二つに引き裂かれろと思います!」


 間髪入れずに吐き捨てると、はしたないわよと蔑みの目を向けられた。そんな。いざとなればサリドラの罵倒など足元にも及ばないくらい痛烈な言葉を打ち込むくせに。

 サリドラの無言の訴えを無視して、王妃はスッと立ち上がる。


「……では、愛かしら」

「何がでしょう?」


 更には疑問も無視された。

 優雅に裾を捌いて神像の前に跪いた王妃は、サリドラにはわからない言葉を紡ぎ祈りを捧げる。恐らくは神語とか古代魔術語とか呼ばれる言語だと思う。本日のために教え込まれた祝詞と同じような響きをしているので。

 ……これはもしかして今後も神殿通いのために定型文を暗記し続けることになるのだろうか。まさか自分で文章を組み立てられるようになれとは言われないと思いたい。他国の言語を学ぶだけでも悲鳴を上げているのに、この上複雑極まりない神語を追加されるなど、絶対に習得できない自信がある。

 顔色を悪くして冷や汗を流している間に、王妃の祈りは終わったようだった。


「帰るわよ。また近い内に、今度はロルフと来なさい。しっかりと仲直りをして心を通わせてからね」

「難しいことを仰る……そうしたいとは、思います」

「したい、ではなく、するのよ」


 厳しい。したいと思ってできることではないと思うのだが。


「おまえたちを引き裂こうとする者が醜く見えるほど、二人が寄り添う姿を当たり前のものになさい」


 あの幸せそうな夫婦のように、だろうか。それはとても難題だ。だって、あの二人は心から愛し合っているに違いないから。

 まごつくサリドラの反応も見ず、王妃はさっさと部屋を出た。サリドラも後に続き――ふと視線を感じた気がして、神像を振り返る。

 そこには穏やかな面持ちの神の像が立っているだけで、当然ながら誰もいない。久しぶりの外出だったから気が立っているのだろうか。人の視線は的確に捉えられる方なのだが。


「ねえ、神様」


 神像の優しい目に、ぽつりと声が漏れる。

 仲介の神というなら、憎き美の神をサリドラの前に呼び出したりしてくれないものか。神の業、奇跡の御業、お前の所業の詫びを寄越せと、言ってやってはくれないだろうか。


「……ロルフの目を」


 絞り出すような声は、早々に途切れてしまった。自分の性格の悪さに自嘲の笑いがこぼれる。

 目を治して欲しい。そう唱えたところで叶う可能性はゼロに等しいだろうに。神の依り代の前ですら将来の伴侶の幸せを願えないなんて酷いものだ。

 こんな自分がロルフに愛されるだなんて、それこそおこがましい奇跡である。王妃直々に、共にいる様を兄妹のようだと言われていたのだし、いっそ兄妹のように心を通わせるくらいで許して欲しい。それならどうにかなると思う。なんと言ってもこのままいけば将来的には家族になるのだから、家族愛は育めよう。喧嘩中の今はともかく、ありがたいことにロルフは元々サリドラに好意的なのだし。

 あとは、そう。この、いつまでも無様に叶わぬ愛を期待をする自分をどうにかすれば。


「サリドラ、行くわよ」

「はい!」


 ドスのきいた声に慌てて踵を返す。式典よろしく並ぶ護衛騎士の間を早足に通り抜け、勇ましく腕を組んで待つ王妃に追いついた。

 彼女はそのまま何も言わずに歩き出す。珍しい。いつもなら、遅れた理由を聞き出してしっかり詫びさせるのに。

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