14.は?
差し当たって知るべきは目先の問題だった。
マーキスがどういうつもりでサリドラを王太子妃に推す発言をしたのか。欲しがっているのか、それとも他に意図があるのかだ。
「ねえ、マーキス様ってどんな方?」
戦いを制するのには、まず敵――敵と決まったわけではないが、暫定的に敵とする――を知る必要がある。
だというのに、身を乗り出して訊ねたサリドラを迎えたのは、まさかの胡乱な目だった。
「……どんな、とは」
「性格とか、普段の様子とか……。初対面のときには、女の戦いに口が挟めない程度には気弱だけど、案外冷静で周りが見られる人じゃないかと思ったわ。ただ、今日は割と押しが強かったし……言動だけ見れば盲目的だったかしら」
「まあ、第一印象でおおむね正しいんじゃないか」
ソファの肘かけに凭れたロルフが、気乗りのしない様子で頷く。
「確かに今日の様子はいつもの弟らしくなかったが、女に溺れたあいつなぞ俺は知らないしな」
「今までそういう……色恋沙汰はなかったの? うーん、執着心とか、独占欲とか。マーキス様はあなたを尊敬してると言ったのよ。それでも略奪を考えるような人?」
「……」
「それから、腹芸は得意? ああ見えて笑顔が曲者だったりするの?」
「…………」
「ねえ」
「わ、私はあまり、第二王子殿下のことは存じ上げませんので」
投げっぱなしで返ってこないボールに痺れを切らせてエイベンを見るが、慌てて否定を返された。しばらく見つめても頬を染めるだけだったから、これは恐らく本当に情報を持っていない。
早々に諦めてロルフに戻ると、悪い目つきが更に悪くなってサリドラを見ていた。部屋に入ってきたときの張りつめた空気を纏い直していて、こころなしか呼吸がしづらい。
「何よ、その目」
「マーキスに興味があるのか」
「興味があると言えばあるけど……色々知りたいのよ。対応に困るもの。今後のつき合いもあるでしょうし」
ロルフの弟なのだ。何かを企んでいるという疑いが杞憂だったとしても、詳しく知っていて損はあるまい。
「男だぞ」
「当たり前じゃない」
「容姿に惚れた男なのに、詳しく知りたいと?」
「だって、特別でしょう」
「特別、な」
自嘲めいた歪な笑みに眉を寄せた。暗く翳った紫は、驚くほどに陰鬱だった。
すぐにその目は伏せられて、代わりに問いへの答えが返される。
「今の俺と弟には、およそつき合いはない。だから俺は今の弟のことなぞ知らない。三年前、十二歳の弟とはそれなりに仲がよかったと思うが、中身を理解できていたかは怪しいものだ。純粋に慕ってくれていたと信じたいが……当時の俺に対して劣等感はあっただろうな」
早口の言葉を咀嚼するより早く、ロルフはソファから立ち上がった。荒れた足取りで踵を返し、執務机へと向かう。
瞬く間に築かれた大きな壁は、話はここまでという意思表示だった。
「弟の方がよければ言え」
「は?」
彼の中の地雷を踏んだのはわかったが、展開が唐突過ぎてついていけない。思わず間の抜けた声が飛び出した。エイベンがあわあわと両手を泳がせている。
どちらも気にせず、彼は続けた。
「婚約者を変更するよう、はからってやる」
「……は?」
――態度の豹変はまだ理解できた。自己評価が著しく低下しているロルフが、マーキスに興味を持ったサリドラを見てネガティブを迸らせたのだと。まあ、わかる。王太子の座を巡る兄弟の比較は、大きなトラウマになっているんだろう。
しかし、あまりに理不尽な一言だった。サリドラは困惑するより、ショックを受けるよりも早く、激昂した。
目の前が真っ赤になった。さまよわせた手が柔らかいものに触れて、考えもせずに引っ掴んで振り被る。
「さ、サリドラ様、お待ちください!」
エイベンの叫びに、ロルフが何事かと振り向いた。
その顔面に大きなクッションが突き刺さる。柔らかいが、それなりに重みがある。女だてらにそこそこ鍛えられたサリドラの腕による投擲は、ロルフをよろめかせる程度の衝撃を生み出したようだった。
「バッカじゃないの! 私、そんなこと少しも匂わせてないでしょ!?」
ソファを蹴り飛ばすようにして立ち上がる。ついでにもうひとつクッションを投げつけた。
「思い込みも大概にしなさいよ、この捻くれ者!」
吐き捨てながら優雅さのかけらもなく扉を開くと、外に控えていた騎士たちが跳び上がって驚いたようだった。
しかし怒りのサリドラには、他人に頓着するだけの余裕などない。最早駆け足と呼んだ方が正しいほどの早足で去るサリドラを、新しい護衛と思わしき女騎士たちはさすがの反応速度で慌てて追った。
「お、お待ちくださいサリドラ様!」
「嘘でしょ、あの靴でなんであんなに速いのぉ!?」
慣れ親しんだ、高い音を立てる華奢なヒール。ぺたんこの靴を履いて野山を駆け回っていたサリドラには想像もできないだろう。三年間の努力で、こんな凶器のような靴で疾走できるようになるなんて。
変わらないのはサリドラの性根だ。サリドラは我慢強くない。相手が傷ついているからといってなんでも許せるほど寛容でもない。すぐにカチンとくるし、大体しっかり言い返す。
過去、怒りのまま姉の婚約者だった者に罵詈雑言を投げつけた自分は、現在になっても頭に血を昇らせて王子を罵倒し、挙句の果てに手を出した。あまつさえ、その醜態を騎士たちに晒している。
最悪な振る舞いだ。反省しなければいけない。今後も王太子の婚約者としてあるなら――あれるなら。
しかし、それとこれとは別なのだ。
バン、と自室の扉を開け放つと、待機していた侍女たちが目を剥いて振り返った。
脇目も振らず寝室に向かい、一目散にベッドに走り、枕を持ち上げて顔を埋める。
「ロルフのバーカッ!」
全力で叫んだくぐもった声は、はたしてどこまで響いただろうか。
二回しか会ったことのないマーキスと、何度も会って話したロルフを、同じ天秤に乗せる女だと思われた。弟のことを少し聞いたくらいで。お互いまだまだ消えない壁はあろうとも、そこそこの信用は得られていたと思ったのに、手のひらを返す人間だと判じられた。
ロルフはサリドラの中身を見ていてくれていると思ったのに、こんなにあっさり疑われた!
業腹だった。王子を罵倒しクッションを叩きつけたのはいけないが、サリドラには怒る権利くらいはある。絶対に。
「謝ってくるまで許さないんだから」
謂れのない喧嘩を売られて大人しく引き下がる自分ではないのだ。
地の底から響くような怨嗟を枕に吸わせるサリドラを、ひとまず落ち着いたと見たらしい。放っておこうと判断を下した賢き侍女たちは、合流した女騎士と挨拶を交わしていた。
「お休みになるならお着換えをいたしましょう?」
「……うん」
以降、なんだか世話をしてくれる色々な人たちから、突然微笑ましげな目を向けられるようになった。いいのか悪いのかはわからない。