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 気まずいまま花咲く庭園を歩くと、やがて一面の薔薇の中、白木造りの東屋が姿を現した。

 植物を絡ませたその中には、用意されたティーセットと、飾られた数輪の薔薇の花。


「まあ素敵。下見って、ここのことですの?」

「そうだよ。婚約者のために場を整えるくらいするだろう」

「王妃殿下に朴念仁と言われたのを気にしていらして?」

「気にしていたつもりはないが」


 手を引かれて席に着く。侍女は茶を注いですぐに遠ざけられたので、お互い適当に被った猫をさっさと剥いだ。そんなにコロコロと外面を変えて失敗しないか、最初こそ心配していたのだが、存外自分は器用であったらしい。


「まあ、朴念仁と呼ばれても仕方がなかったかもしれないとは思ったな」

「と言うと」


 用意された茶は、以前サリドラが気に入ったものだった。菓子は花の形をして目を楽しませてくれる。

 花瓶に活けられた大輪の赤薔薇は、首を折ることもなく背筋を伸ばしていた。指先で触れた花弁は瑞々しく、手折られてからあまり時間が経っていないのだろう。気高い姿に目を細める。

 棘がないことを確認して、一本の花を手に取った。深く息を吸い込むと、濃厚な香りが鼻孔を満たす。


「薔薇は好きか?」

「ええ。私の目指した姿なの。こういうふうになりたかったわ」

「そうか。棘は程々にしてくれよ」


 片肘をテーブルに突き、ひらりと振られた右手には、まだ新しい傷痕があった。


「思ったより鋭くて驚いた」

「……もしかして、ロルフが摘んでくれたの?」


 それはすでに答えだったが、つい疑問が口から飛び出した。

 ロルフは基本的に素直だ。こくりと頷くと、照れることもなく詳細を伝えてくる。


「母から薔薇のようにどうのと聞いた覚えがあったから、多分薔薇が好きなんだろうとあたりをつけた。どの薔薇が綺麗に咲いているのかを調べるのは、魔力コントロールの練習になっていいな。細部まで魔力を這わせて、こう、凹凸の具合を確かめて」


 普段、彼の目の事情については忘れがちである。歩くのはスムーズだし、会話に支障はないからだ。でも、事実として彼の目は確かにおよそ見えていない。こちらを向いていても視線は僅かに合わないし……美しい薔薇を一緒に楽しむことはできない。

 それでも嬉しそうに話してくれる様子に、サリドラの胸が僅かに疼いた。馴染みのない感覚が少し怖くて、落ち着かない気持ちになる。


「一等綺麗だと思った薔薇を摘むときに、触るなと突き刺された」

「殿下と過ごすときは、わたくしの棘は落としてありますのでご安心を」

「それは助かるな」


 手元の薔薇に視線を落とし、棘のない茎を弄ぶ。


「綺麗な薔薇だわ。今まで見た中で一番」

「そうなのか。俺も見られたらよかったが」


 それは自虐ではなく、本心からの言葉らしかった。少し視線を上げて、すぐに落とす。……息を呑んだことに気づかれていないといい。


「……ありがとう。とても嬉しいわ」

「喜んでいただけたようで光栄だ、俺の青薔薇」

「青薔薇?」

「青い目をしていると」


 青い目、そうか、それで。

 青い薔薇になりたかった。奇跡を示す、存在しない薔薇。人では決して手の届かぬ薔薇。

 でも、青薔薇たる自分は間違いなくこうして存在しているし、触れるがままに手は届く。

 手の中の花をくるりと回す。今の自分はこういう姿をしているのか。触れられるままに許す姿は、あまりに無防備過ぎる気がした。


「公爵令嬢と過ごしたことはあるが、彼女の好みを考えたことはなかったから、俺は気が利かない朴念仁だったんだろう」


 肩を竦めた締め括りに、言いようのないくすぐったさが呆れに変わる。


「元婚約者の話をするなんてデリカシーがないと思うの。汚名返上はまだ先ね」

「女心は難しいな」


 それからの時間は和やかだった。結局最初の不機嫌はなんだったのだろう。

 今更掘り返す気も起きずに楽しく過ごしていると、何やら騒がしい足音が聞こえてきた。


「殿下、ご歓談中申し訳ございません」


 慌てた様子で早足に近づいて来たのは、騎士ではなく文官だった。

 東屋の入り口辺りでサリドラと目が合った。途端に顔を赤くして、続いてすぐに蒼褪める。


「ひっ」

「……?」


 目を逸らしたかと思えばチラチラとこちらを見て、また慌てて目を逸らす。

 珍しい反応だった。間違いなくサリドラの外見に惹かれながらも、物凄い勢いで抵抗している。

 興味深くてついつい身を乗り出すと、猛獣に目をつけられたかのように悲鳴を上げて後退った。


「近づかないでいただきたい! 好きになってしまったらどうするのです!」

「あら、耐えてらっしゃるの? 素晴らしい忠誠心だわ。おもしれー男」

「止めてください! 止めてください! その涼やかな妖精のしらべで私の心を揺らすのは!」

「愉快な人ね」

「あまり揶揄ってやるなよ。どうした、エイベン」


 銀縁の眼鏡が似合う、一見クールな見た目をした男は、ロルフの側近であるらしい。

 へっぴり腰で渡された一枚の紙に目を通すにつれ、ロルフの眉が険しく寄った。


「サリドラ、悪いが……」

「本日も楽しゅうございましたわ。いってらっしゃいませ」


 すまないなと返すのが早いか、歩き出すのが早いか。颯爽と背を向けたロルフを、一拍遅れてエイベンが追う。

 サリドラの美貌に見惚れていて少し遅れたのだ。その目に欲がないわけではないが、必死に抵抗する様が新鮮でよい。ああいう慎ましやかな人ばかりなら、サリドラももう少し棘を減らして生きられただろうに。


「いかがなさいますか?」


 いつの間にか傍らに寄った侍女の声を聞き、小さくなったふたつの背から視線を外す。

 いつものサリドラなら、用事が済んだらすぐに帰る。家というのは最も面倒が起こりにくい場所であるから。けれど。


「そうね……もう少しここにいたいわ。せっかくご用意くださったのですもの」

「かしこまりました。では新しいお茶をお持ちいたします」


 庭園の花々は、こころなしか先程までのように輝いては見えない。テーブルの上の薔薇だけが色鮮やかで、サリドラは眉尻を下げる。

 引き抜いた一輪は、相変わらず瑞々しく、愛される自信を持って咲き誇っていた。


「ロルフ、見るなら赤い薔薇だけにしてね。青い薔薇などその目に映さず」


 目を閉じて、胸に灯った温かな光をそっと鎮める。

 単純なことだ。好みを知って、薔薇を用意して貰えたくらいで希望に心を揺らすなど。

 青い薔薇、奇跡の花。奇跡の塊、神の祝福そのものたるサリドラが奇跡を願ったとして、万が一が起きない根拠がどこにある。サリドラにとっての奇跡が叶ってしまったら困るのだ。


 ――見て、私を。


 サリドラが願えば、ロルフの目は見えるようになるだろうか。それなら願うべきなのだろう。でも、できない。もう、この心地よい時間を手放せない。視力が戻れば、ロルフが喜ぶだろうことはわかっているのに。

 いいのだ。だって、サリドラは性格が悪いのだから。


 ――愛して、私の全てを。

「愛さないわ。誰も私の全てなど愛せないから」


 見なくていい。見えないままでいい。中身も外見も両方なんて誰も見られない。

 ロルフだって、この美貌を見れば中身なんて関係なくなる。一目見てサリドラを好きになる。それから抱く好意など、どうせ見た目に引っ張られているだけなのだ。外の輝きに目を眩ませるくらいなら、このままサリドラの中身だけを見ていて欲しい。

 好意的には思っているとロルフは言った。サリドラも同じだ。好意を抱いている。嬉しい、楽しい、一緒に過ごす時間が心地よい。それだけでいい。これは風邪の引きはじめみたいなものだ。それ以上の感情などいらないのだと、強く自分に言い聞かせた。

 もしも彼を愛してしまったら、きっと一生引っかかる。中身だけを見て欲しいのだと願い、目が治らないことを願ってしまう。

 視力が戻らないことを喜びながら、この忌々しい外見まで、自分の全てを愛して欲しいと勝手なことを心の中で思い続ける。

 そんな汚い愛情など誰のためにもならない。


「お待たせいたしました」


 近づく足音に目を開く。

 湯気を立てて注がれた茶の香りが、一時的に薔薇の芳香を流した。添えられた菓子を口に運ぶと、仄かな甘みが頭を癒す。


「美味しいわ、ありがとう――ここは綺麗な庭園ですわね」

「はい。ここ一帯の薔薇の花は王妃殿下が手をかけていらっしゃいますので、特に美しいかと」

「そう、どうりで気に入るはずだわ」


 目を刺さぬ、等しく色褪せた世界に、サリドラは心安らかに微笑んだ。

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