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01.決意の日

※なんちゃってファンタジーのふんわり貴族観です。

※失明したキャラが登場します。

「婚約を破棄させてくれないか」


 サリドラの目の前で、見知った男が頭を下げる。その先にはサリドラの姉が、諦め切った目をして立っていた。

 自分はなぜここにいるのだろうと呆然とする。なぜここなのだろう。人気の多い昼間の公園で、なぜ姉と婚約者の破局の瞬間を見なければならなかったのか。

 いや、違う。本当はわかっている。この悪夢のような出来事を信じたくないだけで。


「アルジラ、本当に申し訳ない。解消ではなく破棄として、慰謝料は払わせて貰う」

「……なぜそれを、このような公の場で仰ったの?」


 冷静なようで少し震える声。男は強がる姉に気づきもしなかった。

 眉を下げ、いかにも反省しているという顔をしながら口を開く。


「確実にあなたとの婚約をなくしたかったんだ。屋内で話をしては、なかったことにされてしまうかもしれないから」


 彼の声はいつからこんなに耳障りになったのだったか。出会った頃は、優しげな声だという印象を抱いていたはずだ。

 あまりにも非常識だ、と声を上げるのは堪えた。それをサリドラが言うべきではない。ぶるぶると震える手を抑え、悪鬼もかくやというほどに歪んでいるであろう表情で、ひたすらに男を睨みつける。


「そうですか。私が、あなたとの婚約の継続を望んでいると思われたのですね」

「それは、そうだろう?」

「そういった事実はありませんが……いいでしょう」


 アルジラは疲れた顔をして首を振った。次いで、予想はついているのであろう問いを口にする。


「婚約を破棄したいと告げるだけならば、私だけでよかったはずです。なぜサリドラまで呼び出したのですか?」


 アルジラは真っ直ぐに男を見ていた。アルジラの婚約者であった男は、サリドラを見て眦を溶かした。

 その顔のなんと見苦しいことだろう。端正なつくりのはずなのに、吐き気すら覚えるほどに醜悪だった。


「サリドラを愛してしまったからだ。私の覚悟を知って欲しかった」


 ちらりと姉の視線がこちらを向いた。感情を見せないようにした目の中に、僅かな嫌悪を見つけて唇を噛む。

 俯いて目を閉じた。そんなこちらのやり取りに構わず、浮ついた男は愛を語る。まるで自分は誠実に対応しているのだと言わんばかりの真面目な顔で。


「サリドラ、一目見た瞬間から、君の美貌の虜になってしまった。アルジラのことは尊敬している。真面目で、賢く、強い。けれど私の愛は全てサリドラにしか捧げられない。ああ、女神のような君。全てをなげうってでもあなたを得なければ、私は幸せになれないんだ。どうか私と婚約を――」


 ドレスの裾を靡かせて、アルジラがサリドラの前に立った。すっきりと伸びた姉の背で、男の姿が隠れて消える。


「それ以上、妹に近づかないでくださいますか」

「君はいつもそうやって妹に嫉妬をして……!」

「嫉妬ではなく、警戒しているのです。妹に色欲を抱くあなたを」

「それを嫉妬と」

「姉は優しいから、私を庇ってくれてるんですよ」


 毅然とした姉とは違い、自分の声はみっともなく震えていた。


「私、あなたのことは義兄としか思ったことがありません。そして、私は優しくて真面目で賢くて強い姉を尊敬しています」


 怒りを抑えられない。抑える価値もない。庇われた背から飛び出し、殺意すら抱いて男を睨みつけた。

 怯む姿が情けない。二十歳の男が、たかだか十三歳の少女に睨まれた程度で!


「公衆の面前で尊敬する姉を馬鹿にして、恥も外聞もなく未成年に言い寄るあなたと、婚約? 頭がおかしいんじゃないの、この犯罪者(ロリコン)!」


 力の限りに怒鳴る。血を流せ、そのまま死ねと心から願いながら、次々と浮かび上がるあらゆる罵詈雑言を投げつけた。

 元婚約者に続く妹の醜態に耐えられなくなった姉の手で回収され、馬車に詰め込まれるその瞬間まで、ただひたすらに世界を呪った。


 馬車の中では一言の会話もなかった。家に戻り、扉をくぐる。

 サリドラに背を向けたまま、姉はぽつりと呟いた。


「あなたが悪いわけではないことはわかっているつもりよ。でも……ごめんなさいね、もう無理だわ」


 その声に強さはない。悲しみに満ちた声には、もう嫌悪すら滲まなかった。いつでも伸びていた背はこころなしか小さく見えて、この強さを折ってしまったのは自分なのだと、サリドラは深い自己嫌悪に塗れた。

 よくぞここまで我慢を重ねてくれたものだと思う。自分がその立場であれば、初めの一歩で蹴り飛ばしている。我慢して、我慢して、我慢してくれて、結局こうなってしまったことを申し訳なく思う。

 サリドラにはかけられる言葉など何も思い浮かばなくて、去り行く背に向けて、ただただ深く身を折った。

 翌日、姉は領地へと戻って行った。サリドラは王都のタウンハウスに残った。父親はすでに死別している。母は最後まで迷っていたが、領地はまだ姉一人では支えられないだろうと後押しをすれば、躊躇いつつも姉と共に旅立った。


 ただでさえ持て余していた広いタウンハウスが、更に広くなってしまった。寒々しさに震えながら、心細く過ごすこと数日。

 ――たった数日で、サリドラは姉の偉大さを改めて嚙み締めた。トラブルに次ぐトラブルに、涙を流す暇もない。

 知ってはいたが改めて思う。姉はどれだけ頑張って、こんな妹の盾となってくれていたのだろう。生まれついてのトラブルメーカーなど捨て置けばいいのに。矢面に立たなかったからと責められることでは決してないのに。


 嫌いな鏡の前に立ち、大嫌いな顔を睨みつける。

 艶めくプラチナブロンドが無駄に眩しく、青い瞳は濡れたように輝いている。十三歳にしては背が高く、発達途上に関わらず、すでにその身は女性らしい曲線を描き出している。可憐なようで妖艶。華奢なようで肉感的。少し間違えば醜悪になる線の上、均衡を得た魅力はあらゆる異性を虜にする。その美貌の前には好みなど些細なものだ。体臭は誰の鼻にも心地よく、声は耳を超えて脳を揺さぶる。

 サリエリ伯爵家次女サリドラは、美の神が「いかに異性を惹きつけるか」ということだけを考え、全力をもって創り上げた奇跡の美少女である。

 美の神が創り上げたような、ではない。創り上げたのだ。ありがたくもなく、神殿からのお墨つきも得ている。

 お陰でどれだけ迷惑を被ったか。不幸中の幸いであったのは、近しい親類の異性が、物心ついた頃にはすでにいなかったことだ。

 男と目を合わせれば、瞬く間にサリドラの美貌に酔う。目を合わせずとも同じことだ。幼子相手に既婚者ですら熱を上げる。


 そんなふうであったから、長女アルジラの婚約破棄はこれが初めてのことではなかった。もう三度目で、加えて、婚約を結ぶ前から破綻した縁もある。サリドラは姉が好きだったし、姉も三歳下のサリドラを慈しんでくれたが、こうも被害を受ければ姉妹仲は円滑ではいられない。

 姉はサリドラに似た己の容姿を嫌い、髪を硬く縛り、悪くもない目を分厚いレンズで隠してしまった。笑顔は少なくなり、柔らかだった声は段々と丸みをなくした。

 なぜ妹を虐げずに気高くいられたのか。それどころか、姉は面倒を見続けてくれたのだ。男に追われる妹を庇い、悪く言われても挫けず。

 後悔している。こうなってようやく、心から。自分は子供だからという甘えた考えなど、自我が芽生えたその日にでも捨てなければいけなかった。


 姉をここまで傷つけて、遅まきながらサリドラは決意した。

 強くならねばならない。自分のことは自分で守らなければ。綺麗な薔薇が己の身を棘で守るように、サリドラも棘を持つのだ。

 そしてこの忌々しい美貌で恩返しをしよう。迷惑をかけ通してしまったサリエリ伯爵家に、伯爵家を継ぐ姉に利益を齎せるように。

 この顔を見たければ見るといい。害がなければ見せてやる。利益があるなら少しは会話につき合ってやるのもいい。けれど、近づき過ぎるのならば容赦はしない。両手に握り締めた茨でめった刺しにしてやろう。


「もっと、もっと美しくなるのよ」


 今のままでは足りない。襲い来るだろう身の危険に対し、棘の数も、鋭さも。

 美を磨き、牽制するのだ。視線の流し方、指先の動かし方まで完璧にして、サリドラは手の届かぬほどの高嶺の花になる。外見に相応しい知性も得よう。いざというとき、口先三寸で言い包められるように。

 でも性格は、極限まで悪くたっていい。


「だって、どうせ誰も性格なんて見やしないわ」


 鏡の中の自分の目は、まるで飢えた獣のようだった。眉を吊り上げ、目はギラギラとして、歯を食いしばる。普通であれば目も当てられぬ顔だけれど、それでもこの顔は美しかった。

 目を閉じ、息を吐き、心を落ち着け――鏡に向けて、ゆるりと微笑む。


 棘を隠さず咲き誇る。世界にただ一輪の青薔薇は、この日から蕾を開き始めたのだった。

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