1章(2) この世界は
(……あれ?)
ベッドの上で、鋭斗は目を覚ました。
(生きてる……? さっきの、やっぱり夢?)
そんなことを思うが、すぐに否定する。夢にしては生々しすぎたし、今いる部屋は知らない場所だ。これが、下宿の寝室であったなら、夢だったと思うのだが。
(けど、夢じゃないなら……)
信じられないような思いで体を確かめた。傷も痛みも全く無い。それどころか服まで無傷で、血の一滴すらついていない。
訳が分からないままベッドを下りようとすると、靴が置いてあった。
(家の中も土足ってことか?)
そう解釈した鋭斗は靴を履いて部屋を出た。
下り階段がある。下りた先はリビングのようだ。
恐る恐る階段を歩き、ほとんど下りきったところで、リビングにいた人と目が合った。
「おう、起きたか」
40代半ばの屈強な男だ。無造作にパンを齧りながら声をかけた彼に、鋭斗は曖昧に笑う。
真っ先に思ったのが、「本当に言葉が分かる」という、与えられた能力に対する感想だったからだ。
(今それはどうでも良いだろ俺! 多分、この人が助けてくれたんだろうけど……ああもう、何から聞こう)
沈黙の落ちるリビングに差し込む朝日が、男の金髪を輝かせている。
「……突っ立ってねぇで座れよ」
ぞんざいな言葉とは裏腹に柔らかい口調だった。鋭斗は言われるがまま、彼の対面の席に着く。
テーブルの上には大きな丸皿が一つ。ハムとチーズの乗ったパンが5つ乗っている。鋭斗がついパンを凝視していると、
「好きなだけ食って良いぜ」
空腹を見透かしたように許可をくれた。
「じゃあ、いただきます……」
遠慮がちにパンを手に取り、齧る。見た目から想像した通りの味が口の中に広がった。
「オレはスパイル。お前は?」
「鋭斗です。あの、助けて頂きありがとうございます」
「気にすんな、仕事の一環だ」
本当に何でもないことだと示すように、スパイルはニッと笑った。それから、ただの世間話のような調子で、
「昨日は何であんな所にいたんだ? 肝試しか?」
などと尋ねる。
鋭斗はパンを呑み込んで、苦笑した。
「いえ……それより、俺、死にかけてたと思うんですけど……」
「あー、最上級回復魔法を使ったんだ。使うの初めてだったんだが、成功して良かったぜ」
「…………回復魔法って服も直るんですか」
「普通は直らねぇよ。最上級だけが特殊でな。ちょっと時間を巻き戻しながら治す、みてぇな……まあそんな感じだから」
スパイルはそう言って笑い、改めて質問をぶつける。
「で、肝試しじゃねぇなら何であんな所にいた? 遊んでるうちに迷い込むような歳じゃねぇだろ」
「えっと……」
「怒らねぇからハッキリ言えよ。異世界から来た訳じゃあるまいし」
冗談めかした口調。それに対し、鋭斗は気まずそうに視線を逸らす。
「いや、あの、異世界から来たんですけど……」
「は?」
スパイルは目を瞬かせ、鋭斗をじっと見る。嘘をついている様子は無い。だが、鵜呑みにすることは出来なかった。
「嘘だろ? 普通に言葉分かってんじゃねぇか」
「異世界転移する時に、神様から〝言語理解〟っていう能力をもらったんです。それで普通に言葉が分かります」
「……マジか。ああクソ、全ッ然分からんかった。異世界人感無さすぎやろ」
頭を抱えてぼやいたスパイルは、すぐに気を取り直して鋭斗に目を向ける。
「他の奴には異世界人だってバレるなよ。まあ、イセカイカラキマシターとだけ言っても大抵のヤツは信じねぇだろうが……下手すりゃ殺されるからな」
「殺……⁉」
なんて理不尽な、と驚愕する鋭斗に、スパイルは苦笑する。
「この国にはな、〝異世界人は殺せ〟っつう法律があるんだよ。なんでも、昔この国に現れた異世界人が極悪人かつとんでもねぇ強さで手が付けられなかったんだと。で、とにかくソイツを殺すために作られたのがこの法律らしいぜ」
呆れたような声音だった。
鋭斗は恐る恐る口を開く。
「異世界人を生かしておくのは違法行為ってことですよね……」
「ああ」
「スパイルさんは」
「オレは良いんだ」
やけにキッパリと言い切ったスパイルに、鋭斗は虚を突かれたような顔をする。
「……え、っと……罰則が無い法律なんですか?」
「いや、結構重いぜ。オレだったら死刑だな」
「駄目じゃないですか⁉」
「バレなきゃ良いんだ、バレなきゃ」スパイルはからりと笑う。「てかお前、自分の意思でこの世界に来たのか? その落ち着きようだと突発的な事故ではなさそうだが」
「えーっと……半分くらい自分の意思、ですかね。もう半分は、神様に押し切られたというか。でも決めたのは俺なんで」
「未練は断ち切った、と」
「はい。でも……」
気がかりなことはある。異世界転移の前日の夜、妹と口論になって、その後何も話していないのだ。
「俺、妹がいるんですけど……状況的に、妹のせいで俺がヤケをおこして行方不明になった、みたいに思われそうで……それが心配です」
鋭斗は苦笑気味にそう言った。スパイルも同じように苦笑する。
「そりゃ大変だな」それから気分を変えるように立ち上がり、ニヤリと笑う。「なあ、一緒に外出ようぜ。この世界のこと教えてやるから」
願ってもない申し出に、鋭斗の表情が明るくなる。
「ありがとうございます」
「よし。じゃあ行くか」
外は暑かった。異世界転移の前と同じくらい暑かった。
行き交う人々は当然のように薄手の服を着ていて、半袖の人も多い。まるで真夏の光景だ。
「まだ5月なのに……」
小声で呟いた鋭斗。それに対し、スパイルは小声で返す。
「今日は8月1日だ」
「えっ」
「因みに日曜日。一応言っとくと、1週間は7日で、1か月は28日で、1年は12か月だ。同じか?」
「1か月の日数だけ違います。……あれ、じゃあ1年の日数も違うから年齢も狂ってきますね」
「歳を取るのは1年ごとじゃなくて366日ごとだ。昔は各国で違ったんだが、150年前に統一された。お前のいた所は1年ごとに歳取ってたのか?」
「はい。あと、1年はだいたい365日でした」
話をしながら石畳の上を歩く。広がる街並みは某ヨーロッパ風テーマパークを連想させた。
「エイト。魔物って分かるか?」
「空想上の存在としてなら」
「この世界の魔物は、魔力から自然発生するんだ。洞窟でお前を襲ってたのも魔物だぞ」
「あー、あれ魔物だったんですか。魔力から自然発生するってことは……魔力は大気中にあるんですか? それとも、特定の場所に溜まってるとか?」
考えながらの質問に、スパイルも少し間を取って答える。
「そうだな……大気中にあるが、場所によって濃度が違う。お前が魔物に齧られてた場所、オスク洞窟の一番奥なんだが、そこがこの国で一番魔力濃度が高ぇ。最上級魔法を使えるくらいにな」
「……齧られてたんですか、俺」
「まあそれは良いとして。〝異世界人〟っていやぁ、魔力が体内にあって、魔法に似た力を使えるって認識なんだが……お前は違うよな?」
「魔力なんて無いです。……この世界の人も体内には魔力無いんですか?」
「ああ。大気中の魔力を集めて魔法を使うんだ。因みに〝異世界人〟が使う魔法めいた力は〝魔術〟って呼ばれてる。って、こんな説明要らねぇか」
石畳が途切れ、むき出しの地面を踏んだ。街の外へ出たのだ。
スパイルはおもむろにズボンのポケットへ手を入れた。そこから取り出されたものを見た鋭斗は、確認するように尋ねる。
「それスマホですか?」
「いや、これは通信機。スマホがあるのは、この大陸の北にある島国だけだ」
画面を操作しながら答えたスパイルは、少しして手を止め、ポケットに戻す。それから鋭斗をちらりと見て説明を加える。
「この世界には7つの国があって、島国は一つだけなんだ。他の6か国は全部この大陸にある」
「あ、だからそんな呼び方を」
「国名は長すぎてほとんど誰も覚えてねぇしな。島国人ですら自国をそう呼んでるくらいだ。科学技術が発達した超大国だぜ」
「おぉ……」
「島国は唯一、魔力の無ぇ国なんだ。お前のいた世界と似てるのかもな」
「そうかもしれません」
「で、この大陸の6か国についてだが。面積が大きい順にA国、B国、C国、D国、E国、F国、だ」
何だその国名、と鋭斗は目を丸くした。スパイルは慌てたように補足する。
「いや、これは通称で、ちゃんと正式な国名もある。A国だとアスパヒカスエルド、B国だとベーなんとかかんとか、C国はサイデルヒアシオーネで、D国はデルなんちゃらかんちゃら……まあ、皆通称で呼んでるから気にするな」
覚えていない訳ではない。しかし、使う機会はおろか見聞きする機会すらほとんど無いものを、すぐには思い出せそうになかった。
「で、大国に分類されるのがA国とB国。他は小国。この国はC国だ」
「……アルファベット順なのは偶然だったんですね」
「全くの偶然って訳でもねぇけどな。E国なんかはわざわざ改名してEから始まる国名にしたらしいし」
そうこう話しているうちに、目的の場所へ着いた。荒れ地の真っただ中で、あちこちに雑草が茂っている。
「エイト、あそこを見ろ」
スパイルが指さした場所には、鈍い輝きを放つ銅像があった。
何かのシンボルなのか、ヘンテコな形をしている。鋭斗は不思議そうに銅像に近付いていった。
「待て待て。それ以上近付くな」
「え?」
きょとんと振り向く鋭斗に、スパイルはニヤリとして告げる。
「それは魔物だ」
「えっ……」
改めて銅像へ目を向ける。魔物だと言われても、そうは見えない。
鋭斗が訝し気な顔をして立ち止まっていると、
「本当に魔物だって。ちょっと昨日の狩り残しがあって、丁度良いから見せておこうと思ったんだ」
スパイルの面白そうな声が届く。鋭斗は首を傾げながら彼に向き直った。
「近付くと動き出して、ジャンプして押し潰そうとしてくる感じの魔物ですか?」
「さあな。どんな攻撃してくるかは戦ってみねぇと分からねぇ。魔物ってのはそういうモンだ」
「え……戦ったことある魔物なら分かるんじゃ……」
「見た目同じでも動きが違ったりするし、そもそも大体は違う見た目の魔物だし。全く同じ魔物が出現し続ける場所もあるが、それ以外の所に出る魔物は……まあ言えば一点モノってところだ。そういう訳で、妙なモンには不用意に近付くなよ。特に街の外ではな」
「気を付けます」
バチリ、バチリと音がする。
銅像の方から聞こえるその音が気になって、鋭斗は後ろを見た。
「……⁉」
雷を押し固めたような球が5つ、銅像の上に浮かんでいる。それらはバチバチと派手に光った後、一斉に銅像を襲い、轟音を立てて消し去った。
後には何も残っていない。強いて言うなら、地面が少し焦げているくらいか。
魔法だ、と鋭斗は確信した。同時に、ようやく〝異世界に来た〟という実感が湧いてきた。それまでは、ここが異世界なのだと理解はしていても、どこか海外旅行のような感覚だったのだ。
鋭斗はゆっくりとスパイルの方を向く。
「今の、スパイルさんが……?」
「おう。魔物が攻撃してくるところも見せてやろうかと思ったんだけどな。ヤベェ感じがしたから倒しちまった」
「……詠唱とか無いんですね」
「ああ、詠唱は補助的なモンだからな。魔法を使うには〝発動〟と〝魔力制御〟の二段階必要なんだが、呪文を唱えれば魔力制御はしなくて良いんだ」
街へ戻るべく歩き始める。
鋭斗の興味津々な表情を見て、スパイルは目を細めた。
「詳しく言うとな。まず、魔法の発動に必要なのは〝その魔法への理解〟だ。発動の仕組みや詳しい効果を、魔法書読んでざっくり分かれば良い」
「ざっくりで良いんですか?」
「そこは個人差だな。めちゃくちゃしっかり理解しねぇと発動できねぇ奴もいるし、ほとんど何も分かってなくても発動できる奴もいる。で、発動の次に必要なのが魔力制御な訳だが。これは〝適切な量の魔力を大気中から集め、発動した魔法に注ぎ込む〟って作業だ」
「詠唱したら自動的にそうなるんですか?」
「ああ。だから、魔法を覚える時には詠唱して魔力制御の感覚を掴むんだ。そうすりゃ自力で……詠唱無しで魔法を使えるからな。実戦で詠唱する奴はいねぇ。最上級魔法は別だが」
「最上級魔法だけは詠唱必須ってことですか」
その確認に、スパイルは困ったように頷く。
「とんでもなく膨大な魔力が必要だから、詠唱無しじゃ制御しきれねぇんだよ。使えるところも限られるし。……っと、そういや魔法の格の話をしてなかったな。〝基礎〟〝初級〟〝中級〟〝上級〟〝最上級〟の5つに分けられてるんだ。C国では皆、小さいうちに基礎魔法を学んでるぜ」
「……俺も使えますかね?」
「帰ったら試してみろよ。基礎魔法の魔法書、家に置いてあるから」
それを聞いて、鋭斗は嬉しそうに頷いた。