77話 兄の心配は妹に届かず
由美ちゃんから相談を受けてしばらく、俺は晴奈の様子を伺いつつ、それとなく事情を探っていた。
どうやら元気がない様子なのは相変わらずのようで、落ち込んでいるというよりは何かに悩んでいるように見えた。
エロ猫の様子も聞いてみたのだが、どうやらエロ猫は俺が協力をお願いした翌日から、頻繁に晴奈の学校に顔を出しているらしい。
晴奈は心底迷惑そうにエロ猫の動向を語ってくれたが、生徒にいじめられたり先生に追い出されたりすることを心配している様子も垣間見えた。
俺も頃合いを見計らって晴奈に尋ねてみたりもしたのだが……。
「お前最近元気ないみたいだけど、体調でも悪いのか?」
「ううん、別に体調はなんともない」
「じゃあ学校で何かあったとか?」
「別に、なにもないよ」
と言った感じで、これといった情報は何も得られなかった。
もっと踏み込んで尋ねてみるべきなのかもしれないが、由美ちゃんの話を聞く限り晴奈は学校で独りのようだし、俺がしつこく聞いても話してはくれないだろう。
晴奈が自分から話すのを待つほかないのか……。何かあったら相談してくれと言うことしかできない自分が情けない。
家族というのは、兄妹というのは、思っている以上に互いの事情に深く踏み入らないものだ。
他の家族がどうなのか、俺には分からないけど、少なくとも俺と晴奈はそうだ。
学校や友人といった、家族とは遠いコミュニティでの出来事について深く踏み入って詮索するようなことはしないし、いたずらに不安にさせるようなことを家族に話したりはしない。
きっと話せば親身になってくれるだろうし、解決に向けて協力もしてくれると思う。
それでも、家族というのは一番近くにいて信頼が置けるからこそ、心配をかけてはいけないと思ってしまうのだ。
きっと、俺が夏休みのことを誰にも話せなかったのと同じように。
……でも、晴奈は俺を救い出してくれた。あの一人きりの世界でうずくまっていた俺を、日の下に連れ出してくれた。生きる力を与えてくれた。
だったら今度は俺の番だ。晴奈がしてくれたように、力になってやりたい。
しかし、どうして晴奈が元気をなくしているのか、その原因が分からない。
由美ちゃんは昔いじめられていた話をした後から元気がないと言っていたから、そこになにか手がかりがあるのかもしれないな。
思い返してみると、もう6年も前のことになる。俺は当時5年生で、由美ちゃんとも面識があったし、それなりに仲良くもしていた。
当時の由美ちゃんは大人しい子で、よく晴奈と一緒に部屋で漫画を読んでいるような子だった。
そんな由美ちゃんがいじめを受けて学校に行けなくなっているという話を聞いた時、俺は大してショックもなく、ただ親がするように大変だねと言うだけだった。
俺にとって、晴奈の友達というのはあくまで俺の世間とは別のところにいる存在だったからだ。自分の世界になんら影響がないと興味すら持たない。きっとそれが当たり前だったのだ。
しかし、最初はそんなこともあるんだという程度にとらえていた由美ちゃんのことも、晴奈の様子を見るにつれて変わってきた。
晴奈は由美ちゃんの様子を見に会いに行くと言った時、思いつめたような表情で俺にも一緒についてきてほしいと言った。
当時の俺は、言っちゃなんだが晴奈にとってのヒーローだった。そうあろうと振る舞ってきた。だから妹の困っている姿を見て、俺は二つ返事で了承したんだ。
晴奈と共に由美ちゃんの元へ赴いた初日、由美ちゃんは顔も出してくれなかった。
由美ちゃんのお母さんが出てきて、今はまだ無理だけどまた来てくれと。
そんな日が何日も続いた。
しかし、いつものように由美ちゃん家に赴くと、由美ちゃんが顔を出したのだ。
随分と沈んだ目をしていて、話す言葉もなかったけど、それでも俺は嬉しかった。
その日は俺と由美ちゃんのお母さんで少し話をして、帰ることになった。
その帰り道での晴奈は、なぜだか由美ちゃんと同じような表情をしていたように思う。
それからしばらくして、由美ちゃんと俺たち兄妹はよく一緒に遊ぶようになった。
最初は簡単に公園に散歩に行ったり、漫画を読みふけったりゲームをしたりして、次第に川で遊んだり互いの家でのお泊り会をしたりした。
そのころにはもう、俺にとって由美ちゃんは世間の外の存在じゃなくなっていたんだ。
そうして何ヵ月が経っただろうか、由美ちゃんが学校に行く意思を見せ始めたんだ。
俺や晴奈は何も言っていないし、親や先生もその辺には慎重になっていたみたいだから、きっと自分で言いだしたんだろう。
もしかしたら学校に行っていないという罪悪感もあったのかもしれない。それでも俺たちは由美ちゃんの学校復帰を喜んだ。
初めは先生の協力で夜の学校の探険をしたりして、しばらくすると授業のある時間もなかよし学級で過ごすなど、いわゆる保健室登校のようなことができるようにまでなっていた。
そのころになると俺はもうあまり必要なくなって、先生の依頼で晴奈が授業を抜け出したりして由美ちゃんと遊んでいたらしい。
そんなことをしばらく続けて、ついに由美ちゃんはクラスに戻っていった。
晴奈はそんな由美ちゃんの学校復帰の功労者として、先生や両親から褒められていたが、本人はそれを誇ることもなく、むしろ少し安心したような表情をしていたように思う。
この件に関して俺が覚えているのはこれくらいのものだ。俺はほとんど部外者で、ただ晴奈を通して由美ちゃんと遊んでいただけなのだから。
それからちょくちょく晴奈を通して由美ちゃんとの関係は続いてきたが、今ではあんなに元気な女の子になった。ちょっと暴走しがちなときもあるけどな。
しかしいつからだったか、あんなに明るい子になったのは。あまりよく覚えてないな……。
……って、そうじゃない。思考が脱線してきたな。
しかし、6年前のいじめの件を、どうして晴奈は引きずっているんだ……? もう済んだことじゃないのか?
もしかして、晴奈が今クラスでいじめを受けているとか……? それなら繋がりは十分にありそうだ。
となると早く手を打った方がいいよな。でも動くにはまだ情報が足りないし……。
「……こういう時はやっぱりあいつだよな」
――――
その翌日、俺は学校の帰りに駅でエロ猫と話をしていた。
といってもあいつの言うことは意味不明なので、俺が一方的に話をしているだけなんだが。
「てわけでさ、晴奈が学校でいじめられてるんじゃないかって思うんだけど、お前はどう思う?」
俺が事情を話してそう尋ねると、エロ猫はその小さな頭を左右に振った。
どうやらその線はないということらしい。こういう形での意思疎通はできな。
「じゃあ晴奈の元気がない理由、お前分かるか?」
これにも首を横に振る。
「やっぱり晴奈の口から直接聞くしかないのかなぁ」
「ニャ」
今度は返事もつけてしっかりと頷いた。
やっぱりそうだよなぁ……。聞いても話してくれないとは思うんだけど、試してみないことにはなぁ……。
「そういえばお前、晴奈のパンツ覗いたって言ってたよな?」
「ニャ? ニャン」
今のはそうだな……、え? そうだけど。みたいな意味かな。なんとなく分かってきた。
「じゃあさ、この前夏希や雪芽もお前に会ったって話してたんだけど、そん時もパンツ覗いてたのか?」
「ニャ――、ニャニャウニャ!?」
うん、今のは翻訳しなくても分かるな。エロ猫ってこいつのためにあるような名前だ。
「お前の大事な用事って、まさか女子のパンツ覗くことなのか?」
「ニャニャウ!」
全力で首を横に振るエロ猫は、それからもにゃんにゃん言っていたが、俺には何を言われているのかさっぱりなので、適当に頷いておいた。
しかしこの猫、見れば見るほど人間みたいだ。仕草とか、表情とか、目の奥にある意思とか。
「なぁ、お前ってもしかして元人間だったりする?」
冗談のつもりでそう尋ねてみると、エロ猫は少しの間俺の目を見て、ゆっくりと左右に首を振った。
その仕草が、表情が、目の奥にある意思が、妙に真剣だったのが印象的だった。
それから俺はエロ猫と別れ、家路につく。
エロ猫とも話したが、やっぱり晴奈に直接聞いた方がいいよな。ウザがられるかもって尻込みしてたら、どんどん晴奈が大変な状況になっていっちゃうかもしれないし。
家に帰ってくると、晴奈はジャージに着替えて、スマホをいじりながらゴロゴロしていた。
そのだらしない後ろ姿に、俺は意を決して声をかける。
「なぁ晴奈。お前何か悩んでるんだろ? 何かあったんじゃないのか?」
「……別に何もないって言ってるじゃん」
予想していた通り、そっけない反応だ。こちらを見ようともしない所を見ると、だいぶ話したくないことのようだ。
「何もないわけないだろ。最近元気ないし」
「お兄ちゃんには関係ない」
「いや、家族なんだし関係あるだろ」
俺がなおも食い下がると、晴奈は鬱陶し気に振り向き、少し怒気を孕んだ声で告げる。
「いい加減しつこい。あたしの問題に首突っ込まないでよ」
俺を睨み付ける眼光は鋭く、返す言葉もなかった。
……それでも、こうして拒絶されたとしても、やっぱり心配だから。
由美ちゃんにも頼まれたし、俺は家族で、兄貴だから。
「……昔、由美ちゃんと何かあったのか?」
「は?」
「由美ちゃんが昔いじめられてただろ? それと何か関係あるのか?」
「……っ!」
いじめの話題に、晴奈はスマホをいじる手を止め起き上がる。
振り返った晴奈は、先ほどよりも怒気を放っていて、これはやらかしたなと確信した。
「お兄ちゃん、それ由美から聞いたの?」
「……」
「そうなんだ」
「……でもな、由美ちゃんもお前が心配で相談してくれたんだぞ。お前が最近元気ないって」
俺がそう言うと、晴奈は一瞬表情を硬くして、纏っていた怒気を収めた。
「……頼んでない」
「え?」
そうして俯き、晴奈は何か小さく呟いた。
俺が聞き返すと、晴奈は勢いよく顔を上げ、吐き捨てるように言い放った。
「心配してほしいなんて、頼んでない!!」
そしてその場から逃げる様に自室へと駆けて行った。
俺はその背中に声をかけることもできず、ただ茫然と見送ることしかできなかった。
……きっと怒らせてしまったのだろう。しつこくしすぎたのかもしれない。
由美ちゃんにも悪いことをしてしまった。これがきっかけで二人の仲にひびが入ることになったら、俺は由美ちゃんに申し訳が立たない。
でも、怒っていたのならどうして。どうしてあんなに寂しそうな顔をするんだ、晴奈。
心配してほしいなんて頼んでないって言われても、そんなの心配になって当然じゃないか。
それでも心配するな、関わるなっていうのかよ? 頼まれなくちゃ心配もしちゃいけないのかよ?
「……せめて心配くらいさせろ。家族なんだから」
そう呟く言葉が、晴奈に届くことはなかったのだった。




