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田舎の電車は1時間に1本だから  作者: 直木和爺
第4章 猫と秋晴れとちらつく影
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74話 昔の記憶はおぼろげに

 3連休最終日の10月8日。あたしは由美の家に向けて自転車を走らせていた。

 もうこの時期になると半袖では肌寒く、半年ぶりに押し入れから引き出してきた秋物の服は、ほのかに太陽の匂いを漂わせていた。



 昨日、お兄ちゃんが帰ってきた後に、エロ猫の所業をすべて隈なく伝えたところ、呆れたような顔で、


「今度会ったらお仕置きしとくよ」


 と言っていた。ざまあみろ。

 これでエロ猫の言動もおとなしくなればいいんだけど、なんかその未来が想像できない……。むしろお兄ちゃんに撫でてほしくて余計エスカレートしそうな気がする。なにか他のお仕置きを考えておいた方がいいか。


 ……あぁもうっ! なんか考えてたら不安になってきた! あのエロ猫、放っておいたらまた誰かに迷惑かけそうだし。


 ……ちょっとだけなら寄り道してもいいよね。由美も急ぎの用じゃないみたいだし。

 別にエロ猫のことが気になるわけじゃない。あいつが誰かにエロいことしてないか監視に行くだけ。ついでにお仕置きのヒントでも得られれば上々。


 でもあたし今日スカートなんだよね……。まぁ、今日は普通のパンツだから問題ないけど。あの時はたまたまうさぎさんだっただけだし。

 それでも見せるつもりはないから、もし見やがったら殴ってやる!


 そう思い立ち、あたしは自転車のハンドルを切り替えた。

 目的地は当然、いつもの無人駅だ。



 そうしてあたしが駅に到着すると、真っ先に目に入ったのは意外な人物だった。


「ふふっ、私は何もおいしいもの持ってないよ~? あっこら! そんなにくっついたら服に毛が着いちゃうでしょ?」

「雪芽さん?」


 あたしが声をかけると、秋の装いの雪芽さんがエロ猫と戯れていた。

 夏のワンピース姿も素敵だったけど、カーディガンも似合うなぁ。すごくお嬢様って感じがする。


「あ、晴奈ちゃんだ! こんにちは」

「こんにちは。雪芽さん、その猫から早く離れた方がいいですよ。そいつ変態猫なので」


 あたしがエロ猫を指さしてそう言うと、雪芽さんは不思議そうに首を傾げた後、少しだけエロ猫から距離をとった。

 エロ猫は恨めしそうにあたしを睨んだけど、睨み返してやると目をそらした。


 雪芽さんにまで手をだしたらマジで許さん。ホントに油断も隙も無いエロ猫だな。



「ところで雪芽さんはどうして駅に? 街の方に用事でも……?」

「ううん。今日はなっちゃん、あぁ、私の友達ね? その子のお家に遊びに行く予定なの。でも私まだなっちゃんのお家の場所覚えてなくて、こうして駅で待ち合わせしてるの」


 なんだ、そういうことだったのか。雪芽さんはお兄ちゃんと一緒に遊びに行くことが多いから、てっきりバカ兄貴が雪芽さんとの約束をすっぽかしてるのかと思っちゃった。



 それにしても、なっちゃんってどこかで聞いた気がするんだよね。どこだったかな?

 お兄ちゃんの友達の夏希さんのあだ名で、雪芽さんがそう呼んでるって、以前にも聞いたと思うんだけど……。


「あっ、パイナップルのなっちゃん!」

「え? 晴奈ちゃん、なっちゃんのこと知ってるの?」


 あたしが思い出し、思わずその名前を口に出すと、雪芽さんは嬉しそうに目を輝かせる。


「はい、バカ兄貴がお土産にって買ってきたので」

「そういえば陽介、晴奈ちゃんにお土産だって買ってたね。あれを沖縄で見つけた時は大はしゃぎしちゃった! 隣のなっちゃんは複雑な顔してたけどね。あっ、このなっちゃんは私の友達のことね」


 あのモフモフについて語る雪芽さんの表情は楽しそうで、とっても素敵だった。

 最初バカ兄貴があれを見せた時、何じゃこりゃと思ったけど、鞄につけてみるのもありかもしれない……。


「でもそうしたら私と晴奈ちゃん、おそろいだね!」

「は、はいっ!」


 雪芽さんと、おそろい……。なんかそれいい!

 ま、まぁ、バカ兄貴にしてはいいチョイスだったと言っておこう。



 そんな風に沖縄の話を聞いていると、あっという間に時間は過ぎて行って、夏希さんが雪芽さんをお迎えに来た。

 夏希さんはあたしのことを覚えていたみたいで、また今度紅葉狩りにでも行こうと提案してくれた。


 そうして二人はお兄ちゃんによろしくと言い残して去っていくのだった。



「……さて、エロ猫」

「にゃ、にゃに? 俺別ににゃにも悪い事してにゃ――、フギャ!? 痛いんだけど!?」


 問答無用とエロ猫の額にチョップをかまし、ひとまずの制裁とした。


「ひどい! 俺にゃにもしてにゃいって! ホントだから!」

「じゃあ今日の雪芽さんのパンツ、何色だった?」

「え? レースをあしらった純白パンツだったけど……、はッ!?」

「はい、もう一発」

「ちょっと、さっきにゃぐった――、ニギャ!?」


 そうして今度はさっきよりも少し強めにエロ猫を殴り、制裁を完了とした。

 雪芽さんの下着を覗く罪の重さ、思い知ったか。



 それからエロ猫は誘導尋問だの、おやじにもたれたことがないだの騒いでいたけど、しばらくするとおとなしくなった。


「まったく、本当は顔をうずめたいところを我慢して、見るだけにとどめておいたというのに……。晴にゃは鬼だにゃ」

「あ? なんか言った?」

「いえにゃんでもにゃいです! もうしません!」


 胸を反らせて行儀よく座るエロ猫の姿が、なんだかおかしくて噴き出してしまいそうになったけど、今あたしは怒っているんだから笑っちゃだめだ。



「じゃああたしはもう行くから。もう悪さしないでよ」

「あれ? もう行くのか? もうすこしゆっくりしていけばいいのに」


 エロ猫は肩透かしを食らったみたいに、拍子抜けした声を上げた。


「由美と約束があるの。それにお前と一緒にいると身の危険を感じるし」

「俺はそこまで無節操じゃにゃい! ちゃんとえっちぃおんにゃの子が好きにゃの! 晴にゃはアウトオブ眼中だから」

「なんかムカつくんだけど。殴っていい?」

「そうやってすぐ暴力に訴えるにゃ! 動物虐待だぞ!」


 むぅ、確かにエロ猫を殴っているところを他人に見られでもしたら、あたしは立派な犯罪者だ。

 エロ猫の言葉があたしだけに分かるっていうのも余計に達が悪い。だって余所から見たらエロ猫はただの猫だもん。


「とにかく、あたしはもう行くから。じゃあね」


 そうしてあたしは今度こそ由美の家に向けて自転車を走らせる。

 エロ猫のせいで随分時間食っちゃった。由美待ってるかなぁ?





 ――――





 由美の家につくと、由美はちょっと不機嫌だった。

 言われて気が付いたけど、30分くらい遅刻しちゃったみたい。

 でも、あたしが謝ると、由美は案外あっさり許してくれた。


「見てこれっ! 陽介さんからもらった沖縄のお土産!」


 そう言って見せてくれたのは、中にシーサーが入ったスノードームだった。

 どうやらこれのせいで機嫌がいいらしい。


 てかあたしのやつと違ってなんかしっかり選んでない? いや別にいいんだけどさ……。



「それで、これ渡してくれる時に陽介さんなんて言ったと思う? 何がいいかよく分からなかったから、女の子が喜びそうなものを買ってきただって!」

「……それがどうしたのさ」

「だーかーらー! ウチは陽介さんから見たら女の子ってことじゃん!?」

「そりゃそうでしょ」


 何が嬉しいのか、由美はずっとそのことについて話していた。

 あたしにとってはよく分からない話で退屈に思えたけど、どうやら由美はお兄ちゃんに女の子扱いされたことが嬉しかったみたいだ。


 かれこれ30分くらい、お兄ちゃんとしたデートの話とか、そんなことばかりを聞かされた。

 自分のお兄ちゃんといかに楽しいデートをしたかなんて話、聞いても面白くないしちゃっちゃと切り上げたかったんだけど、遅刻した手前切り捨てるわけにもいかない。



 ……でも、こうして学校にいる時よりもずっと楽しそうに笑う由美を見ていると、本当にお兄ちゃんのことが好きなんだなって分かる。

 あんなアホで間抜けなバカ兄貴のどこがそんなにいいんだろう。きっと妹である限り、あたしには一生分からないことなんだろうな。


「ねぇ、由美はあのバカ兄貴のどこがそんなに好きなの?」

「え? やっぱり優しいところかな~。晴奈にだっていつも優しいじゃん?」

「何かきっかけとかなかったの? 漫画みたいなさ」


 あたしが尋ねると、由美は思い当たる節があったのか、声を上げた。


「あの時かな。覚えてる? ウチらがまだ小2だったころの話」


 少し遠い目をして、由美はお兄ちゃんと出会った時のことに思いを馳せている。


「あの時ウチはまだおとなしい子でさ、晴奈とも好きな漫画が一緒だったから仲良くなったんだよね」

「そうだったっけ? あんまり覚えてないや」


 記憶を探ってみても、由美との出会いはあまり印象的なものじゃなかったような気がする。

 あたしの言葉に由美は酷いと言うが、その表情は楽しそうだった。


「懐かしいなぁ。晴奈はあの時から全然変わってないよねっ」

「そういう由美はすごく変わった」

「あははっ、確かにね!」



 由美は昔、こんなに快活に笑う女の子じゃなかった。

 今のあたしと同じような、どちらかというと暗めの子だった。

 いつからこんなに明るい奴になったんだっけ? たしかあたしたちが高学年に上がるくらいにはもうこんな感じだったような……。


「でも、ウチがこんなに変わったのも、陽介さんのお陰なんだよ?」

「そうだっけ?」


「そう。小2で初めて晴奈の家に遊びに行ったとき、陽介さんと初めて会って、おどおどしてたウチに優しくしてくれてさ。それからもちょくちょく顔合わせてたら、学校でも仲良くしてくれて」


「あー、そういえば由美、お兄ちゃんが卒業した時泣いてたもんね」

「晴奈だって泣いてたじゃん!」

「あれはつられ泣きだからっ」


 話していくうちに、あたしの記憶の扉は次々開かれていく。

 忘れていたと思っていた思い出が、連鎖的に浮かび上がって来て、気が付けばあたしも懐かしい思いに浸っていた。


 そうして思い起こしていく記憶の中に、ひとつあまり思い出したくないものがあった。




「それで、ウチがいじめられてた時、陽介さんが助けてくれたんだよね」


「……」




 覚えている。

 忘れていたわけじゃない。ただ、あまり思い出しても楽しい記憶じゃないから、思い出さなかっただけ。




「あの時の陽介さんが、優しくて、かっこよくてさ。きっとそれがきっかけだったんだと思う」




 由美はただ昔を懐かしむように、なんてことない風に笑っているけど、あたしはまだそんな風には話せない。

 この胸をむしばむ罪悪感が、あたしに笑い方を忘れさせてしまう。



「……って、なんか暗い話になっちゃったじゃんっ! もう~、晴奈が急に変なこと聞くからだよ」

「ご、ごめんごめん。あのバカ兄貴のどこがそんなにいいのか不思議でさ。でもそっか、あの時か」

「あれからの長い月日! ようやく女の子として扱ってもらえてるってわけだよっ!」

「はいはい、よかったね」


 それから由美は、再び延々とお兄ちゃんの話をし続けた。

 でもその中でいじめについての話はもう出てこなくて、由美が気を使っているんだと分かった。


 あたしが気を使われてどうすんのさ。本当に、情けない。


 それからも楽しいおしゃべりが続いた。

 だけど、あたしの胸の奥にはずっと、なにか黒い塊がくっついて離れなかった。

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