56話 後輩の言葉は毒にまみれて
「夏希せんぱーい! 探しました! そしてやっと見つけましたよ!!」
見知った顔がそう言ってこちらに近寄ってくる。
その人物が私の目の前で止まると、慣性の乗ったツインテ―ルが少し遅れて到着した。
そして私を見上げる少しつり目の双眸は、1年ぶりに主人と再会した子犬のようにきらめいていた。
「あら、千秋じゃない。どうしたのよ? 私になにか用事?」
「そうなんですよ! 実は――」
私の目の前で嬉しそうにしている後輩は何かを言いかけ、しかし私の後ろにいるユッキーを見つけて声を上げた。
「あっ、さっきの先輩……。夏希先輩のお友達だったんですね」
「あ、さっきぶりだね。えっと、あなたはなっちゃんの後輩……?」
千秋は遠慮がちに会釈をすると、簡潔に自己紹介をした。
「杉山千秋です。夏希先輩の一番弟子です」
「そんなもん取った覚えはないわよ。それより千秋、ユッキーと知り合いなの?」
「はい! 先ほど卓球の試合でご一緒しまして、私もユッキー先輩? もあまり運動は得意じゃなかったので、すごくいい試合だったんですよ!」
「結局私が負けちゃったんだけどね……。私は池ヶ谷雪芽。最近転入してきたばかりなの、よろしくね」
そうして自己紹介を済ませるユッキーと千秋。
しかし二人の試合か。なんだか想像できる……。
千秋は小さいころからずっと楽器やってるって言ってたし、あんまり運動は得意じゃないらしい。
ユッキーも体が弱いって言ってたし、二人がサーブもまともにできない図が容易に浮かぶ。
「いつも元気だな、杉山は」
「げぇ、先輩……。なんで存在してるんですか? また夏希先輩のストーカーですか? 通報しますよ?」
「ストーカーなんて一度もしてねぇ! あと存在まで否定するのはやめような?」
「いやです。夏希先輩に付きまとう悪い虫は須らく死んでください」
「酷い言い様だな……。なぁ、隆平?」
「いや、悪い虫っていうのは先輩のことですから、塚田先輩は虫は虫でも益虫ですから」
「……なんでお前俺にだけ冷たいわけ?」
千秋と陽介は顔を合わせるとよくこうしていがみ合いをしていて、仲がいいのか悪いのかよくわからない。
でも、ただ挨拶しただけでこの言われ様。少なくとも千秋は陽介のことを好きではなさそうね……。どうしてなのかな?
誰か止めてくれと思って隆平を見るも、隆平は「益虫……、益虫? それっていいことなのか……?」とぶつぶつ呟いてて役に立ちそうにない。
ユッキーは呆気に取られているようで声も出ないようだ。
しょうがない。私がこの場を治めるしかないようね。
「ほら、千秋も陽介とじゃれるのはその辺にしておきなさい。それよりもなにか私に用事があったんでしょ?」
私がそう言うと、千秋は輝かんばかりの笑顔を私に向ける。
「そうでした! こんなイナゴと話してる場合じゃありませんでした! 夏希先輩の試合は!? まだ見られますか!?」
「あー、私の試合はもう終わったのよ」
「えぇ!? そんなぁ……。せっかく夏希先輩の雄姿を見られると思ったのにぃ……」
なぜかとても残念そうにする千秋。
あんまりおもしろいものでもなかったから、見なくて正解だと思うけど。
「1日目はバスケだったからね、私もあまり活躍してなかったし、たぶん見ても面白くないわよ?」
「それでも夏希先輩の真剣な姿をこの目に納めたかった……。惜しいことをしました」
「俺はしっかり見てたけどな? 夏希の雄姿」
そう言って落ち込む千秋に向かってニヤリと笑う陽介。
見てた、なんて言われるとなんだか嬉しいやら恥ずかしいやらで、顔が熱くなりそう……。
まぁきっと、さっきイナゴ呼ばわりされたことへの仕返しなんだろうけど。
でも、そんなことしたらまた――
「はぁ? ちょっと先輩、その目玉くりぬいていいですか? そして二度と夏希先輩の美しい姿をその穢れた目に映さないでください」
「お前、さらっと怖いこと言うよな……」
「黙ってください。そしてイナゴはイナゴらしく甘辛く佃煮にされててください」
イナゴの佃煮と聞いて、陽介は少し身を引く。
そして信じられないものを見るような目で千秋を見て言った。
「え、なに、お前イナゴ食べるの……?」
「た、食べませんよ! お爺ちゃんとかはよく食べてますけど、私は食べません! あと、佃煮にされて夏希先輩に食べてもらい、夏希先輩と一体となろうだなんておこがましいです! むしろ私を食べてもらいたいです!!」
「お前、何言ってんの……?」
「ね! 夏希先輩はイナゴと私だったら私を食べてくれますよね!?」
なんだかとんでもないことを言い出す後輩の頭にとりあえずチョップをかまし、黙らせる。
千秋は小さく呻くと静かになった。
まったく、かわいい後輩とイナゴだったらイナゴを食べるわよ。
だって、かわいい後輩は食べちゃったらそれきり会えなくなっちゃうじゃない? それは寂しいもの。
なんて、そんなこと言ったらまた鬱陶しくなるから言わないけどね。
「どっちも食べないわよ。虫か人って、もっとましな選択肢はなかったわけ?」
「そうですよね……! 夏希先輩はきれいなものしか食べませんもんね! 私はまだしも、虫なんてもっての外でした!」
「そんなことはないぞ?」
そう言って陽介はまたもニヤリと笑った。
だからその先はろくなことにならないっていうことがわからないの?
「夏希はな、小学校の時に蚕のサナギを食べたことあるんだぞ」
「ちょ――」
「「え」」
陽介の衝撃の暴露に、その場にいた一同は言葉を失った。
私はもちろん、隆平はユッキー、千秋も衝撃を受けた様子。
「なっちゃん……?」
ユッキーの信じられないものを見る目が痛い。
「ち、違うのよ!? あれは先生が持ってきたから興味本位というか、あの頃はまだやんちゃだったというか、だからあれ以来食べてないし! というかあまりおいしくなかったし!」
「クラスの女子であれ食べたの夏希だけだったよなぁ……。まぁ俺も食べてみたんだけど、確かにおいしくはなかった。あれが大人の味だと知ったね」
しみじみとそんなことを言う陽介を、このときばかりは張り倒してやろうかと思ったけど、そんなことをすればまた陽介にがさつだなんだと言われかねないと思い直す。
「しかも嫌なのが、あの時ちょうど授業かなんかで蚕を育てていてさ、そいつらが繭に篭ったタイミングで持ってきたんだよな。大事に育ててきた奴らの同胞を食べさせるってなかなか鬼畜だと思ったよ……。まぁ、今となれば繭を取られた蚕のサナギも、こうして食料として無駄なく使われているって言いたかったんだろうけど、あれはちょっと小学生にはショッキングだったよなぁ……」
陽介の思い出話に、未だ衝撃から立ち直れていない隆平やユッキーが曖昧に相槌を打っている。
私ももちろん忘れたわけじゃない。ちゃんと覚えてるわよ。
でも、あれは女子高校生としては封印しておきたかった過去……。だって、虫を食べる女の子なんて可愛くないじゃない!
まぁ、陽介はその辺何とも思ってないみたいだからいいけどさ……。でもそれはそれで複雑な気もする。
「……はっ! それです! それですよ先輩!」
すると突然千秋が声を上げ、陽介を指さす。
「なんだよ、それって?」
「蚕ですよ! 蚕は益虫。対してイナゴは稲を食べる害虫。ほらっ、夏希先輩はきれいなものしか食べてません! はい私の勝ち―!」
「なんだその環境に優しい食べ物ローフットフードみたいなノリは!? 益虫でも虫は虫なんだろ?」
「残念、虫は虫でも益虫。害虫との差は月と鼈です。即ち、この中で夏希先輩に近づいてはいけない存在は先輩だけということです! はい、これで論破ですね!」
「いやどこがだよ! いろいろ破綻してるぞ、その論理!」
二人のやり取りに、私とユッキーは苦笑い、隆平は益虫についてまたぶつぶつ呟き始めたし、いろいろ混沌としてきた。
「ほら、あんたたちいい加減にしなさい。千秋も、明日は私リレーで走るから、それを応援してくれると嬉しいかな」
「夏希先輩がリレー……!? それって夏希先輩の走りが生で見れるってことですよね! 明日までに横断幕作ってきます!」
「うん、それはやめなさいね」
私を慕ってくれるのは嬉しいけど、横断幕を持ってこられるとさすがに反応に困る……。
それにこうして釘を刺しておかないと本当に持ってきそうだから、この子は油断ならない。
「それで、先輩は明日何に出るんですか~? もし私が暇だったら煽りに行ってあげますよ」
「煽るな。……まぁ、大したもんには出ねぇよ」
千秋の揶揄う気満々の視線を避けるかのように、陽介は目をそらした。
まぁ、言えば確実に何か言われるし、賢明な判断だとは思うけどね。
「え? 陽介も明日はリレーでしょ? なんで言わないの?」
そんなことはお構いなしに、ユッキーはあっさり真実を口にする。
そのことに陽介は慌ててユッキーの肩をつかむも、時すでに遅し。千秋の耳にはばっちり聞こえていたらしい。
「え? えぇ!? 先輩が、リレー……? え、先輩クラスでいじめられてるんですか?」
「ちげぇよ! この雪芽の推薦でな、仕方なくだ」
「えぇ……、先輩運動できるんですか? 夏希先輩は先輩が昔足速かったって言ってましたけど、あれ、何のとりえもない虫けら以下の先輩を可哀想に思った女神こと夏希先輩の慈愛だったんじゃ……?」
「おい、俺の格が夏希に吸われてるんだが?」
「はぁ? 先輩ごときの格、夏希先輩が吸い上げたところで微々たるものですよ。もともと夏希先輩は女神なんですから、むしろ先輩の格なんて吸い上げようもんなら夏希先輩の神格が穢れてしまいます」
「え、そこまで言う……?」
余りにボロクソに言われたことで、さすがの陽介もショックだったようね……。ちょっと泣きそうな顔してる。
ユッキーが慰めてくれてるみたいだから、泣いたりはしないでしょうけど……。くそう、私も慰める側に回りたかった。ユッキーばっかりずるい……。
でもこの中で千秋を諫められるのは私くらいだし。というか、千秋は私の言うことしか聞かないだろうし、仕方ないか。
私はユッキーに対するモヤモヤを乗せた手刀を千秋の頭頂部に振り下ろす。
少し重たい音がして、千秋は頭を押さえうずくまった。
「うごご……、これが愛の重さなんですね、夏希先輩!」
「いいからあんたは反省しなさい。陽介をいじめるのもほどほどにしないと、私が怒るわよ?」
「夏希先輩のお叱り……! ちょっと魅力的ではありますが、夏希先輩とそれきりとかになったら生きていけないので、今日のところは自重します」
何事もなかったかのように立ち上がると、千秋は後ろで何とか立て直しつつある陽介に向かって言い放った。
「いいですか先輩、今日のところはこれくらいで勘弁してやりますが、もし明日のリレーで夏希先輩の足を引っ張ったりしたら……。わかってますね?」
「分かってるよ。やれることはやるが、あまり期待するなよ?」
「大丈夫です、先輩には何も期待してませんから。精々夏希先輩を素敵に彩ってくださいね」
そう言い残して、千秋は颯爽と去っていった。
見えなくなる寸前、私に向かって満面の笑みで手を振る彼女からは、先程の舌戦を繰り広げたなんて想像もできない。
「陽介大丈夫? ごめんね、私が余計なこと言っちゃったから……」
「いや、まあいつものことだから大丈夫だ。ちょっと久しぶりだったから耐性落ちてただけで……」
心配するユッキーに微笑んでみせる陽介は、確かにもう何ともなさそうだった。
「確かに、夏休み前はもっとひどいこと言われてたのに普通にしてたものね」
「……あぁ、もう慣れたから大丈夫だ。……ははっ、この感じ、懐かしいなぁ」
そう言って笑う陽介は、一瞬だけ夏休みの前の陽介の様で、少しだけ懐かしい感じがした。
最近は前みたいに子供っぽく笑うこともなかったし、いつもどこか遠くで私たちを眺めているような感じだったから、ちょっと寂しい気もしてたけど、今でもあんな風に笑えるなら少し安心かもね。
そうして嵐のようにやってきた千秋が去り、体育祭1日目が終わった。
その日はユッキー、陽介と一緒に帰ったけど、相変わらず話をしない私とユッキーに挟まれて、陽介は居心地が悪そうだった。
駅で二人と別れて、帰路につく。
疲れた体でも、明日のことを考えると駆けだしたくなる。
ユッキーがどんな思惑で陽介をリレーに推薦したのかはわからないけど、それでも陽介の走る姿を見ることができて、陽介と一緒に走ることができて、感謝はしている。
だから明日は全力で走って、陽介にバトンを繋いで見せるんだから。
それにはバトンをつなぐ以上の何かが、きっとあるはずだから。




