41話 二人きりの花火は鮮やかに彩られて
車から降りると、夏のそよ風が、私のワンピースの裾を微かに揺らした。
いつもは心地よいはずのそよ風も、なぜだか今はあまり心地よく感じられなかった。
「陽介君にあまり迷惑かけちゃだめよ? 本当は浴衣も用意できたらよかったんだけど……」
「い、いいよ! こっちの方が動きやすくていいし」
「またそんなこと言って。せっかくの機会だったんだから、レンタルとか方法はいろいろあったのに」
「陽介も別に浴衣なんてなくてもいいって言ってたし」
「あらそぉ? ならいいけど……」
お母さんは車の窓越しに納得いかない表情をこちらに向けている。
まったく、余計な心配しなくていいのに……。
「ほらっ、お母さんも忙しいんでしょ? ほんとは私も手伝えたらよかったんだけど……」
私がそう言うと、お母さんは困ったように笑った。
「いいのよ。雪芽は陽介君と一緒に花火大会を楽しんできなさい。それで、後で何があったか聞かせてちょうだい」
「う、うん」
お母さんは窓から手を伸ばして、私の肩をたたく。
「なーに緊張してるの。お友達と一緒に花火大会に行くだけでしょう? そんなガチガチだと陽介君、つまんないって帰っちゃうかもしれないわよ?」
「陽介はそんなことしないよ!」
「あら、本当に随分仲良くなったのね。ふふっ、雪芽が帰って来てからの楽しみが増えたわ」
「もうっ」
お母さんは楽しそうに笑うと、小さく手を振り、窓を閉める。
そのまま私に向かって何か呟き、行ってしまった。
頑張りなさいよ、って言ってたのかな。
……まったく、そんなんじゃないって言ってるのに。
私はお母さんの車が見えなくなるまで見送ってから、誰もいない駅舎に入る。
日も沈みかけた駅のホームは、一層寂しく見えて。
でも、そんな寂しさが、今の私にはちょうどいいような気がした。
赤く照らされたホームを眺めて、陽介はなんであんなことを言ったんだろう、という考えがふと頭に浮かんだ。
私と二人で行きたい、だなんて……。それじゃあまるで――
「……って、そんなはずないよ! 陽介はただ、引っ越してきてまだ慣れてない私を想ってそう言っただけで、友達として私に優しくしてくれてるだけだしっ!」
……でも、やけに真剣だったなぁ。
それに頑なだった。すごい決心をして誘ったように見えた。
まるで私と二人で行くことが、何よりも重要なことのように。
それじゃあやっぱり……? いやでも、陽介は誰にでも優しいんだよ、きっと。
晴奈ちゃんだってきっと陽介が優しいから、あんなにお兄ちゃん大好きなんだろうし。
陽介が私に優しいのは、私が特別だからじゃない。
だって陽介、私と友達になることをすごく重視してたもん。引っ越しを手伝ってもらった時だって、これで友達だよなとか、どうやったら親友になれるんだって聞いてきたし。
じゃあこれは、私と親友になるために誘ってくれた、のかな?
そう、だよね。きっと。
目の前に広がるホームは、さっきと何も変わらないはずなのに、少しだけ寂しく見えた。
もうだいぶ暗くなってきたからかな。
「あれ、もう来てたのか。待たせちゃったか?」
「あっ、陽介」
夕日が沈んだ後の山を見ながら、そんなことを考えていると、陽介がホームに現れた。
陽介が私を見つけて申し訳なさそうに笑う姿を見て、私はなぜか陽介の目を直視できなかった。
「い、いや、全然待ってないよ! さっき着いたばっかりだから」
「そうか、ならよかった」
そんな私を不自然に思う様子もなく、陽介は微笑む。
「花火大会は向こうなんだよ。だから電車が来るのは反対側のホーム。移動しようぜ」
陽介は学校の方とは逆の方角を指さして言う。
そして私たちは跨線橋を渡った。
そうしてたどり着いた反対側のホームは、ただ小さな屋根付きのベンチがあるだけだった。
見える景色はいつもと違って、眼の前には私たちがいつも座っていたベンチと駅舎がある。
でも、視線の最奥には、変わらず山があった。
そして私たちはどちらともなくベンチに腰掛ける。
隣り合って座るその距離は、初めて会った時からは想像もできないくらい近くて。
肩が触れそうで触れない。そんな微妙な距離感は、今の私たちの心の距離でもあるのかな。
そんなことを考えていた。
「あー、なんか悪かったな。強引に誘っちゃって」
沈黙に耐えかねたのか、陽介が遠慮がちにそう言った。
その視線は向かいのホームに向けられていた。
「ううん、なんか私の方こそごめんね? 渋ったりして。陽介に迷惑じゃないかなって思って。花火大会に行くのは楽しみなんだよ?」
「あぁ、分かってるよ、分かってる。それに、迷惑なんてことないんだからな? 俺は雪芽の友達として、この辺を案内する義務があるわけだし、この先の学校生活のサポートもするんだから。いちいち迷惑かけちゃいけないなんて遠慮されてちゃ困る」
陽介は私と目が合うと、寂しそうに微笑んだ。
陽介はふとした瞬間にこういった表情をする。
まるで高校生じゃないみたいに、何もかも見通した大人のように、笑う。
「うん。これからもいろいろお世話になるね」
「あぁ、そうしてくれ。これからも、ずっと」
ほら、また。
そんな時折見せる不思議な感じが、放っておいたら壊れてしまいそうな脆さが、ずっと気になっていた。
でもそれは、今の私じゃ知ることすらできないことで。
それこそ親友にでもならなくちゃ、聞くことはできないことだから。
私はそれを知る権利を持ってもいいのかな? 友達以上の関係に、なってもいいのかな?
「おっ、電車来たぞ」
そんな私の思いとは裏腹に、陽介は明るい表情を浮かべ、線路の向こうを見る。
遠くからやってくる電車を見て、その後にもう一度陽介の顔を見たが、そこにもう先ほどまでの寂しさはなかった。
普段と同じ、瞳の奥を輝かせた、少し幼い顔。
そんな彼の顔を見て、私は少しだけ切なくなるような、そんな不思議な感覚を覚えるのだった。
――――
「すごい人だね!」
「まあな、この辺じゃ有名な祭りだからな」
花火大会の会場は随分と賑っていて、気を抜いたらはぐれてしまいそうだった。
立ち並ぶ屋台も様々で、堤防沿いにずらりと並んでいる。
それらに目を泳がせていると、陽介はいたずらっぽく笑って言った。
「好きなもの買ってきていいぞ? なんなら俺がおごってやってもいいし」
「別にいいですー! ちゃんと自分で買うからっ!」
「遠慮しなくてもいいんだぞー?」
そう言ってへらへらと笑う陽介。
……よかった、ちゃんと楽しんでるみたい。
私と二人きりなんて退屈かもって心配してたんだけど、大丈夫みたいでよかった。
それからいくつかの屋台を巡って、二人して両手に食べ物を抱えて歩いた。
綿菓子も、ポテトも、焼きそばも、ラムネ、かき氷も、みんなおいしかった。
外で食べるからか、それともお祭りの雰囲気のせいか。あるいはもっとほかの何かのせいなのか。
どれにしたって、楽しい時間だった。
「なんだか人が増えてきたね」
「あぁ、もうそんな時間か。忘れてた」
「何かあるの?」
私がそう聞くと、陽介は呆れたように笑った。
「花火だよ。この祭りの主役だろ?」
「あっ、そっか。えへへ、忘れてた」
「全く、花火より食べ物のほうがいいってか?」
「ち、違うよ!? まぁ、たこ焼きはおいしいけど……」
1つ手に取ってほおばる。
うん、うん……。ちょっと熱いけどおいしい!
「ま、どっちでもいいけどさ。ほら行くぞ」
そういうと陽介は人混みに向かって歩き始める。
私もその背中を慌てて追いかけた。
しかし、背中を追いかけるのも一苦労で、何度も見失いそうになる。
たくさんの人が思い思いの方へ歩くので、いきなり目の前に他人の背中が現れたり、前を歩く人が急に立ち止まったりする。
それらすべてを躱して歩くのに一生懸命になりすぎて、気が付いたら陽介を見失っていた。
「……あれ? 陽介ー! どこ!? あっ、すみません……」
立ち止まると後ろの人にぶつかってしまった。
謝ってから再び歩き出すものの、どこへ向かえばいいのかわからない。
陽介を呼ぶ声は、周りの喧騒にかき消されて、遠く消えていく。
知らない土地、賑やかな周りの人々、寄る辺のない心細さ。
それらが私の孤独を強調していく。不安を募らせていく。
逃げ出したかった。この人混みから。
静かな場所に、私しかいない場所に行けば、私は独りでもなにもおかしくないから。
「……陽介、どこなの?」
「雪芽っ!」
誰かが私の名前を呼ぶ。
弾かれたように顔を上げた時、ちょうど私の手を、誰かがとった。
「やっと見つけた」
目の前で心配そうな表情を浮かべている陽介は、私の手を握ると、安心したように頬を緩めた。
「全く、もう高校生なんだからはぐれるなっての」
握られた手からは温もりが伝わって来て、熱いほどだった。
でもそれは、確かに私が独りじゃないと教えてくれて。
「……雪芽? どうした?」
まるでここにいてもいいよって、言われているようで。
あぁ、私はまだここにいてもいいんだって、そう思えた。
「陽介、私……」
「……ああ、わかった。ちょっと静かなところへ移動しよう」
私が俯いて陽介の手をぎゅっと握ると、彼は私の思いを汲み取ってくれた。
それから人混みをゆっくりと歩いた。
そこに会話はなく、互いの顔も見なかったけど、手だけはしっかりと握っていた。
決して離さないように、離れないように。
そうして人混みを抜けても、私たちは何もしゃべらず、ただ手を繋いで歩いた。
陽介は、私のゆっくりとした歩調に合わせて歩いてくれた。
……やっぱり、陽介は優しいね。
「すまん、もう少し雪芽に配慮して歩くべきだったな。置いて行っちまって悪かった」
緩やかな坂を上りながら、陽介はそんなことを言った。
私はそれに応える言葉が出てこなくて、ただ首を振ることしかできなかった。
「ほら、着いたぞ。昔は晴奈たちとよくここで花火を見たんだ。誰も居なくて静かだし、穴場なんだぞ?」
そうして着いた場所は小さな神社だった。
鳥居と、お社があるだけの、かわいい神社。
誰もいないそこからは、祭りの喧騒が遠くに聞えた。
「……ありがとう。ごめんね、迷惑かけちゃって」
私がやっと言葉を発すると、陽介は安心したように手を離した。
温もりが去っていくのがちょっとだけ寂しかった。
しかし次の瞬間、俯いていた私の頭に、何かがこつんと当たった。
「バカ、迷惑なんてしてねぇよ。いちいちそんなことで謝るな」
顔を上げると、陽介が困ったように微笑んでいた。
見れば陽介は拳を持ち上げていた。どうやらさっき頭に当たったのは陽介の手の甲みたい。
「友達が大変そうにしてて、それを迷惑がる奴がいるかってんだ。そんなのは友達じゃないだろ?」
陽介は、そう言って笑うから。
その笑顔が温かくて、私の体はどんどん熱くなる。
私は、お腹の底からせり上がって来て、どこへも出て行かずに胸の真ん中でとどまる何かを感じていた。
それは私の胸を締め付けて、息を詰まらせる。
苦しくて、思わず手で胸を押さえた。
掌を握ってみても、それは切なさだけを返す。
……この気持ちは、いったい何なんだろう?
私、おかしくなっちゃったのかな?
その時、鋭い音があたりに響く。
目をやれば、光の筋が天に昇っていくところだった。
それはやがて大輪の花を夜空に咲かせる。
「おっ、始まったな」
陽介の言葉にかぶせる様に大きな音が響く。
光が煌めいて地に落ちる前に消えていく。
「……きれい」
口をついて出た言葉は、次に上がった花火の音でかき消された。
「綺麗だな」
陽介は花火を見つめながらそう言った。
……聞こえてた、のかな?
盗み見た陽介の横顔は、優し気な微笑みを湛えていて、その瞳の奥には花火の光が映りこんでいた。
花火の光で彩られたその横顔から、私はしばらくの間目を離せなかった。
なぜだかは分からない。それでも、花火が陽介の気を引いている間は、彼の姿を目に焼き付けておきたいと思った。
今まで私は独りでいることが多くて。それは仕方のない事だった。
でも、独りは寂しくて、悲しくて。
独りは不安で、怖くて。
だからそんな独りの私の周りが、賑やかさであふれているのが苦手だった。私が独りきりだと指さし言われているようで。
どうせ独りなら、誰も居ない所で本当の独りきりになりたかった。
それなら私を独りだと言う人もいなくて、寂しさも、不安も、そこまで感じなくて済むから。
だから私は静かなところが好きで、落ち着いて独りでいられる場所が好きだった。
今までそこに誰か他人が入ってくることはなかった。
だけど、この人となら。陽介となら、一緒に居られるかもしれない。
唐突に私の世界に入り込んできて、最初はおかしな人だと思ったけど、話しているうちにそんなことはないんだって分かってきて。
今はこうして一緒にいると安心する。もう、独りきりじゃないんだって、実感できる。
……あぁ、そっか。
私は今、陽介と一緒に居られて幸せなんだ。
彼の隣で肩を並べて立っていられることが、幸せなんだ。
そう思うと、また胸が苦しくなった。
でもそれは、さっきよりずっと温かく感じて、これが幸せってことなのかなと思った。
私はもう一度空を見る。
丁度、打ち上がって空に咲いた花は、さっきよりもずっと、色鮮やかに、鮮明に、綺麗に見えた。
しばらくお休みしてましたが、再開します!




