29話 晴れの夏空は太陽に甘えて
あたしが外に出た時、そこは地獄だった。
太陽にじっと見つめられて、照れたアスファルトから揺らめく陽炎が立ち上る。
その地獄絵図に、あたしはいったん家の中に引っ込んだ。
「はぁぁ……。バカ兄貴が自転車乗っていくっていうから反射的にいいよって言ったけど、よく考えたらあたしも今日由美と約束あったじゃんっ!」
まぁ、自転車がないことは分かってたから、時間には遅れないけどさ……。
でもこの灼熱地獄の中歩いていくのは自殺行為じゃん! 帰ってきたらアイス食べよ……。
てか、バカ兄貴にアイス要求すればいいよねっ! だってあたしの自転車レンタルしてるわけだし!
ゴリゴリ君1本で勘弁してやろう。
意を決して日傘を手に取り、あたしは外に出た。
そこではやっぱり太陽とアスファルトのラブロマンスが繰り広げられていたが、そんなのお構いなしにあたしはその間に割って入る。
太陽もアスファルトも、そんなあたしを睨み付けているのか、とっても熱い……。
「あっつ……。やっぱゴリゴリ君2本で許してやろう」
そんな風にあーでもないこーでもないと考えながらあたしは駅への道を歩く。
今日は由美と街の方で食事兼ショッピングで遊ぶ予定だ。
だからちょうどお昼時に合わせて街に集合ってことになってるんだけど、これは失敗だったかもしれない。
由美は別件で街の方に先に行ってるみたい。あたしも少し早めに出ればよかったかも……。
そんなことを思いつつ、重い脚を引きずって駅にたどり着くと、あたしの自転車が置いてあった。
「あ、バカ兄貴、駅に来てたんだ。てことは学校行ったのかな? まさか遊びに行ったわけじゃないだろうし……」
あの怠惰なバカ兄貴がわざわざ街に遊びに行くわけないしね。
でも部活とかやってなかったよね? ほんと何しに行ったんだろ……?
鍵は――、掛けてあるか。ちっ、そういうとこだけしっかりしてやがる……。
あたしが自転車を物色していると、駅のホームからアナウンスが聞こえてきた。
時計を見ると、12時4分。時間ぴったりだ。
しょうがない、帰りも歩きかぁ……。
途中でバカ兄貴を見つけたら自転車の鍵ぶんどってやろう。
あたしは誰もいない改札をくぐる。
今日もすがすがしいくらいに誰もいない。
そう思っていたから、ちらっと視界の端に人影が映ってびっくりした。
驚いて見てみると、そこには天使がいた。
「……きれい」
思わずこぼれた言葉は、その人を賛美するものであった。
ボーっとそのお姉さんを見ていると、発車の笛が鳴った。
あたしは慌ててお姉さんから視線を引きはがすと、急いで電車に駆け込む。
乗り込んだ車両からお姉さんを見つめていると、お姉さんは微笑みを返してきた。
天使に見つめられたようで、あたしは恥ずかしくなって思わず目をそらす。
その隙をつくように電車は発車して、あっという間にお姉さんは見えなくなってしまった。
あーぁ、見えなくなっちゃった……。
それにしても綺麗な人だったなぁ。思わず足を止めて見とれちゃった。
せめてもう少し見ていたかったなぁ。あわよくばお話もしたかった。
時間ぴったりに着いてしまった自分を恨めしく思う。
次会ったら思い切って話しかけてみようかな……。
そんな風に、あたしは街につくまでずっとお姉さんのことを考えていたのだった。
――――
由美との集合場所に着きメッセージを送ると、今から向かうと返信が来た。
しばらく待っていると、向こうから由美がやってきた。
後に誰かいる。誰だろう?
「じゃあね! また今度~! うん、ばいばーいっ!」
由美はあたしを見つけると、後ろにいる数人の男女に手を振り別れる。
見たことある顔だ。確か同じクラスの華やかグループじゃなかったっけ。
「ごめーん! 待った?」
「いや、そんなに待ってないよ。それよりあれ、同じクラスの子だよね?」
駆け寄ってくる由美に、あたしは疑問をぶつける。
あの子たちはあたしとあまり関わりのないグループだから、顔は覚えてるけど名前はいまいち覚えてないんだよね……。
「そうだよん。弘樹君と俊輝君でしょ? あと未可子。晴奈はあんまり関わりないグループだよね」
「うん。それにしても由美。あたしと遊ぶ前から誰かと遊ぶなんて、元気だねぇ……」
それも男子も交えてとか、素直に尊敬するわぁ。あたしには到底無理な芸当だもん。
クラスの男子と話すことなんて事務的なことしかないし、あんなふうに遊びに行っても会話が続かなそう……。
バカ兄貴と話すときは普通に話せるんだけど、まあそれは兄妹だし、当然か。
「晴奈ってば、ばば臭いよ? まだ中学生なんだし、遊べばいいじゃん!」
「あたしはパス~……。家でゴロゴロしてる方が性に合ってる」
「も~……。まっ、いっか! ひとまずお昼食べよっ! お腹減っちゃった」
「それは賛成」
あたしたちは近くのファミレスに移動して、お昼を食べることになった。
ちょうどお昼時で混んでたけど、流れがいいのかすぐに名前を呼ばれた。
椅子に座ってメニューを開く。
お小遣いは少ないから、なるべく安いものを注文しよう。できれば500円以下で……。
由美はお小遣いが足りるのか心配になるようなくらい注文してたけど、あたしはドリアを一つと、お冷だ。
「でさ、晴奈は弘樹君と俊輝君、どっちがタイプ?」
「ごふっ!」
たわいない会話をしながら昼食を食べていると、由美は会話の合間に突然そんなことを言い出した。
あたしは思わず口に含んでいた水を噴出しかけて、慌てておしぼりを口に宛がう。
「ちょっと晴奈~、きたなーい」
「由美が変なこと言うからでしょ!?」
「別に変じゃないっしょ? 晴奈はスポーツが得意な明るい弘樹君と、物静かで知的な俊輝君、どっちがタイプなのかなぁって思って」
「どっちって……」
確かクラスでのあの二人は人気の的だった気がする。
弘樹君はサッカーが得意で、わかりやすく女子に人気だ。
俊輝君は一部の女子に根強い人気がある。ミステリアスだか何だかで、そこがいいんだって。
両方とも由美から聞いた話だけど、確かにそう言われてみればクラスの女子たちの目線はそんな感じだ。
でもあたしは正直あの二人は苦手だ。
片やキラキラしてて、片や物静か。一緒にいて話に付き合ったり、沈黙が続いたり、どっちも耐えられる自信がない。
その点で言えば由美はすごい。弘樹君のテンションにも付いて行ってるし、俊輝君にもぐいぐい話しかけていって、ものの見事にコミュニケーションをとっている。
「う~ん、あたしはどっちも苦手なタイプかなぁ。気ぃ使いそう」
「え~!? じゃあどんな人がタイプなの?」
「え、それ言わないといけないの?」
「いーじゃん! 誰にも言わないからさっ」
大体こういう類の「誰にも言わない」は信用しちゃいけない。
これであたしがこういう人がタイプとか言うと、
「え、それってクラスの○○君じゃん!? 晴奈って○○君のこと好きなんだー!」
となりかねない。
「やだ、言わない。どうせろくなことにならないし」
「えー! 晴奈つれなーい」
由美はそれ以上食い下がらず、おとなしくピザをほおばっている。
そういうところ、由美は一緒にいて楽なんだよね。あたしが本当に嫌なことはしないし、心地いい距離感を保ってくれる。
しかし、あたしの好きなタイプかぁ。考えたこともなかったな。
でも、どうせなら大人な人がいいなぁ。落ち着いてて、気が使えて、基本あたしのこと甘やかしてくれるけど、時には厳しくたしなめてくれたり。
だけど完璧じゃなくて、時々抜けてるところとかあると魅力的かも。それをあたしが注意して、そんな関係がいいなぁ……。
「――るな? 晴奈ー? おーい!」
「……っは!? な、なに?」
「もっー! ボーっとしてないでよ。陽介さんのこと!」
「は? お兄ちゃん? お兄ちゃんがどうしたって?」
ボーっとしていて聞いてなかったので聞き返すと、由美はジト目で注意した後、もう一度話をしてくれた。
「だから、陽介さんは今どうしてるのって話」
「あー、多分この辺にいるよ。駅に自転車あったし、学校とかじゃないかな?」
あたしがそういうと、由美の顔は目に見えて明るくなった。
「え、うそ!? じゃあ会いに行けるじゃん!」
「え、会いに行く必要なくない?」
由美はとんでもないものを見たといった風にあたしの顔を見る。
そのままフォーク片手に詰め寄ってくる。
「ありをりのありだよ! せっかくこの辺にいるなら会いに行くべきっ! 服選びとか付き合ってもらえるし!」
「怖い怖い! とりあえず落ち着け、フォーク置け、椅子座れ」
「ガルルル……」
こいつはバカ兄貴が絡むと途端におかしくなるなぁ……。
なんか目がちょっと怖い……。バカ兄貴が食われてしまわないか心配だ。
しかし、そこであたしはあることを思い出した。
「あ、でもあたしも用事あったかも」
「え、なになに!?」
「ゴリゴリ君おごってもらうの。2本」
「……なにそれ?」
そうだよ、帰ってからおごってもらっても、もう涼しい時間帯じゃん。あたしは今このクソ暑い時間帯にゴリゴリ君が食べたいんだ。
そう考えたら今おごってもらわないと意味ないし。
後ついでに自転車の鍵返してもらおう。やっぱ自転車乗って帰りたいし。
日傘は……、お兄ちゃんに持ってもらえばいいよねっ! お兄ちゃんはかわいい妹に危険な運転はさせないだろうしっ!
「ちょっと連絡取ってみる」
「あたしもいるって言ってね!」
「わかってるって」
お兄ちゃんにメッセージを飛ばす。
すると、思いの外早く連絡が帰ってきた。
『今学校。もう終わったから暇』
『今からこっち来れない? 由美もいるんだけど、ちょっとお願いしたいことあって』
『ああいいぞー。どこいるの?』
それから一通りメッセージをやり取りし、来てもらうことを確約する。
あたしは顔を上げ、結果を今か今かと待ち望んでいる由美に向かって不敵に笑って見せた。
「よし釣れた。作戦成功だぜ」
「よしっ!」
あたしのサムズアップに由美がガッツポーズをとる。
そんなあたしたちを周りの人たちは怪しげに見ているのだった。
――――
「んで、用事ってなんだよ」
「お兄ちゃん、ゴリゴリ君おごってっ?」
「……は?」
あたしたちは合流して、今はファミレスの入っているビルのベンチで座っていた。
お兄ちゃんはあたしの要求に戸惑っている様子だったが、あたしの自転車のレンタル代だと伝えると、苦虫をかみつぶしたような顔をした後、渋々頷いた。
「まぁ、借りて助かったのは事実だけどさ……。なんで2本なんだよ?」
「んー、なんとなく? 最初は2本ともあたしが食べようと思ってたけど、由美と一緒に1本づつ食べる」
「……んまぁいっか。わーったよ、今買ってくるから待ってな。……前はいらないって言ってたのになぁ?」
バカ兄貴はぶつぶつ文句を言いつつも、おとなしく財布の中身を確認している。
それを見て由美が慌てた様子で席を立つ。
「い、いや、陽介さん! あたしの分はいいですってっ!」
「いいから座ってな」
そう言ってお兄ちゃんはコンビニに向かっていった。
しかしあのバカ兄貴、なんか様子が変だ。
さっきから由美と目を合わせようとしないのだ。なにかあったのかな?
「ねぇ、陽介さん何かあったのかな? さっきからウチとあんま目合わせてくれないんだけど……」
「うん……」
あたしの気のせいじゃなければ、ちょっと恥ずかしがってたような……?
……もしかして由美のことちょっと意識してる?
「……由美、あんたなんかしたの?」
「ないないない!」
全力で首を振る由美に、何か心当たりがあるわけではないらしいので、バカ兄貴の方に何かあったのかもしれない。
それから帰ってきたお兄ちゃんにさりげなく探りを入れてみたけど、めぼしい情報は得られなかった。
由美が声をかけるとなんか反応鈍いし、服選びの手伝いをお願いしてもビミョーな反応だし。
でもしばらくしたら普通に戻って来て、由美の表情も晴れてきた。
結局何が原因だったのかわかず仕舞いのまま、あたしたちは一緒に帰ることになったのだった。
帰りの電車の中で、あたしは一つ、あることを思い出した。
「そうだお兄ちゃん、自転車の鍵、返して。あたし自転車で帰るから」
「は? じゃあ俺はどうやって帰るんだよ?」
「歩きでしょ。あの自転車はあたしのなんだよ? 当然だよねー?」
「……お前なぁ」
文句を言いながらもお兄ちゃんはあたしに鍵を渡してくれる。
お兄ちゃんはなんだかんだ言いながらあたしのこと大事にしてくれるし、そういうところは好きだ。
あたしも気兼ねなくわがまま言えるし。まぁ、あまりわがまま言いすぎると怒られるんだけど……。
それからバカ兄貴が補習に遅刻して課題を追加された話で盛り上がっていると、あっという間に駅に着いた。
電車から降りてベンチを見るも、昼間に見た天使はいなかった。
残念に思いつつ改札を抜けると、由美が思い出したように声を上げる。
「そうだ、晴奈、明日一緒に宿題やらない? ウチ数学やっとくからさ、晴奈は社会やっといてよ!」
「えぇ~、めんどい……」
あたしがやる気なくそういうと、お兄ちゃんが頭に軽くチョップをかましてくる。
「ダメだぞー。宿題はやれる時にやっとかないと、後で後悔するからな? まあ? 最終日に泣きついて来れば教えてやらんこともないが」
バカ兄貴のドヤ顔にイライラしたので、あたしはその場の勢いで明日由美と一緒に宿題をやることになってしまった。
「それじゃあ陽介さん、また!」
「おう、由美ちゃんも気を付けて帰るんだぞ」
由美は笑顔で去っていく。
……あたしも帰って社会やっとかないと。
「じゃあねお兄ちゃん。あたし先帰るから。これ、持ってきてね」
「おいおいおい! 俺に徒歩を強要した上に日傘まで持たせるのかよ!? あんまりじゃないか!?」
「もの持ったまま運転するのは危ないし、可愛い妹のためだよ。あたしが怪我してもいいの?」
「それはそうだが……」
「今日の夕食作るの手伝ってあげるから! じゃーねっ」
煮え切らない表情のお兄ちゃんを置き去りに、あたしは自転車を軽快にこぎだす。
辺りはヒグラシの合唱に包まれていて、賑やかだった。
賑やかなのに少し切ない。不思議な声だ。
そんな声を聴きながら、あたしは自転車でゆっくりと、田んぼの畦道を進んでいくのだった。




