第60話「異界(13)」
俺を呼ぶ声に気づき、目が覚めた。
ベムゼットが、泣き出しそうなほど不安げな顔で俺を覗き込んでいる。その背後にはゼンがいた。
俺たちは、縦穴の洞窟に戻ってきたのだった。
なぁ何があったんだ、いきなり穴が内部からものすごい光と衝撃を放って、俺たちは気を失ったんだ、目を覚ますと全員が地面に倒れていて、その中に、君たち二人の姿もあった、あいつはどうしたんだ、君の友達は……
そういうことをベムゼットが早口にまくし立てた。黙り込む俺に代わって、ゼンが、流暢な英語で彼に説明してくれる。詳細までは伝えていないようだった。話したところで、その場にいなかったベムゼットにはほとんど想像も理解もできないだろう。
あのとき、ディアーボの襲撃を受けて、俺たちは絶体絶命の危機に陥った。
千を軽く超えるほどのバケモノどもは一斉に飛びかかってきた。四人は死を覚悟し、腹を決めた後、それぞれが目の前の敵を屠ることだけに集中した。
俺は、襲い来るディアーボたちがすぐ間近に迫ったとき、自覚的にアイリを思い浮かべた。考えうる限りの拷問によってありとあらゆる苦痛を与えられたアイリ、その痛みと絶望にまみれた姿を想像すると、俺の中で怒りが瞬時にマグマのようにたぎり、そして爆ぜた。
そこからの記憶は曖昧だった。奇妙な感覚で、朦朧と覚醒の波が極端に短い周期で何度も訪れた気がする。意識が混濁しながらユヴァスキュラの中心部で人びとに襲いかかったケンジもこんな状態だったのかもしれない。俺はその不可思議な感覚の中で、怒りにまかせて腕を振りあげ、向かってくる連中を次々と蹴散らした。
ケンジとゼンも、蹂躙しにかかってくるバケモノどもを次から次へと返り討ちにした。何度か、ほんの一瞬、視界に暴れる二人の姿が映った。ゼンは、噛みついていた。ヒトに近い体型をした個体の頭部を両手で抱え込み、捕食者が獲物にそうするように、思いきり口をひらいてディアーボを頭から食いちぎっていた。
だが俺たちは確実に消耗していた。敵の数は圧倒的だった。
ふいに意識が覚醒し、親父は大丈夫だろうか、そう思い、入り乱れる怪物たちで埋め尽くされた光景を見回すと、鎧の怪物――親父がうなだれて片膝をついているのが目に入った。俺は瞬時に駆け寄ろうとした。
一歩遅かった。骨ばった全身の醜い鳥のような姿をしたディアーボが、背後から親父の首めがけて飛来した。恐ろしく鋭利なそのくちばしがかぶとの隙間から親父の肉体を貫くのがここからでもわかった。
親父は首をのけぞらせ、苦しまぎれに敵を片手で払いのけたあと、両膝をついて崩れ落ちた。
俺は駆け寄りながら腕を伸ばしその胸を支えた。何か声にならない叫びが自分の口から出るのがわかった。親父は長い右腕だけをムチのようにしならせて、近づくディアーボの群れを何とか退けている。もう頭をあげることさえできないようだった。その親父が、下を向いたまま、空いた片手で遠く向こうの空を示した。限界が近いのだろう、その指はかすかに震えていた。
親父の指す遥か先には、あの、強烈な光を放つ光源が見えた。異界の砂漠から現実へ通じていたあの光の穴だ。親父はまた、俺に逃げろと言っているのだと思った。
嫌だ! と言おうとした俺の腕を誰かが掴んだ。ケンジだった。ケンジの全身は黒く膨張していたが、その目は冷静だった。
ケンジ、何だよ、おい、放せよ、俺は怒鳴った。
お前は行け、獣じみた低い声でケンジが言う。あの光だろ、お前と、ゼンは元の世界に戻れ、
何言ってんだよ、と反論しようとして言葉を飲み込んだ。ケンジの目は言い返せないほど真剣だった。ケンジは限界まで膨張した右腕で、俺をつかんだまま振りかぶり、天に向かって、放った。
凄まじい風圧に思わず目を閉じた。ケンジ! と叫ぼうとするが風にまぎれ声にならない。
まぶたの裏にまで突き刺さるような強い光が迫った。
そこで意識が途切れたのだった。
異界の状況を説明するゼンを、ベムゼットは怯えたような目で、ときおり息を飲みながら無言で聞いていた。ゼンがここにいるということは、俺に続いてケンジはゼンも掴みそして放り投げたのだろう。
ゼンの話をどこまで理解したのか、困惑した表情を浮かべたまま、深いため息を吐いてから、とにかくよく戻ってきた、嬉しいよ、ベムゼットは静かにそう言った。




