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第49話「異界(2)」

 洞窟にはヒカリゴケはもちろん一切の光源はなかった。持参したライトも機能しない。


 にもかかわらず、視界は効いていて歩行に支障はまったくなかった。あの広大で不気味な砂漠と同じだった。こちらの世界には昼も夜もないのだろうか。俺たちの世界で当たり前とされる自然の摂理など当てはまらない場所なのだろうか。


「どこまで続くのかな」


 細長く狭い横穴を歩きながら俺は言った。洞窟は延々と続いて、いっこうに終わりが見えないからだ。


 いつまでも洞窟から出られない閉塞感と何者にも出会わない倦怠感から、この探査行そのものへの苛立ちも生まれつつあった。


 ユヴァスキュラに着いてからの激動の展開に頭が混乱していたのかもしれないが、なぜいま自分がこうしてこの場所にいるのか、間抜けな言い方だが、よくわからないでいた。


 俺たちは何をしに、何を得るために、この異界にやってきたのか。


 もちろん、人質にとられたアイリを救うためだ。それは間違いない。


 だが、もしそうでなくても、おそらくまたこうして、底知れない縦穴からこの世界に足を運んだような気がする。俺にそうさせるものはいったい何なのだろう。


 考えてもわからなかった。


 洞窟内を進む途中、俺は心の中にあるそのわだかまりをぽつぽつと口にした。二人に聞かせるというより、ただ吐き出したかっただけかもしれない。


 ゼンは、俺の当惑を見透かしたように、言った。


「何のためかなんて、そんなこと、どうでもいいじゃないか、

 いいかい、ひとが何か行動を起こすのに、はっきりとした目的なんて必要ないんだ、何万年前だか知らないが、言語を獲得する以前、人間は自分の行動をいちいち他者に説明する必要なんてなかったわけだからね、そして自分自身も、厳密にあれこれと思考する必要はなかったんだ、

 思考は言語によって厳密で窮屈なものになる、自分の抱く感情や衝動のこまやかなニュアンスをより正しく表現する言葉を、自分の頭の中でさえも選択しないといけないわけだからね、

 でもボクに言わせればそれは進化じゃない、いちじるしい後退だよ、人間は言語の獲得によっていわば動物以下に堕落してしまったんだ、ほしいままに生きる動物のほうが、シンプルで美しいと思わないかい?

 それが何であれ、うまく説明のつかないものであれ、感じたとおりに行動して生きるのがもっとも純粋で、また幸福なことだと思うけどね、ボクは」


 ゼンの言葉はいつも奇妙な説得力をもっていて、それがどんな突飛で非常識な主張でも、不思議と腹に染み込んでくる。彼のいま語る持論も、確かにそうだなと思える。


 一方で、果たしてそうだろうか、という思いも浮かんだ。ゼンの言っていることに反発や疑念を抱いているわけではない。ただ、やりたいことをやりたいとおりに実行して生きることが常にベストなのだろうか。本当に言語が人間を不幸にしたのだろうか。こうしてゼンの主張を聞けるのも、そもそも言語が存在するからではないか……


 ここがどこなのか、無事生きて帰れるかもまったく予想がつかない、どこまでも不穏に暗い洞窟を淡々と進みながら、俺はそういうことを考えたりしていた。


 ケンジは相変わらず何も喋らない。ときどき話しかけても、曖昧にあいづちを打つだけだった。それでもゼンの話をまったく聞いていないわけではなさそうだった。


 かなりの距離を歩いた。この洞窟にやってきてどれほどの時間が経ったかはわからない。ゼンがベムゼットから渡された時計は完全に動作を停止していて、同じく彼の持つスマートフォンも、電源さえ入らない。ケンジと俺は時計もスマートフォンも持っていない。


「少し休もうか」


 先頭を行くゼンが言った。ゼンは汗もかかず呼吸が乱れているわけでもない。俺たちも同じだった。ただ、空腹は感じていた。空腹の感覚を覚えるのはいつ以来だろうか、と思った。ほとんど常に、緊張、不安、恐怖、そのいずれかの不穏な感情が頭と体にまとわりついていたからだろう、何か食べたいとか、飲みたい、という欲求をはっきりと自覚したことが長らくなかったことに、いま初めて気づいた。


 狭い一本道からややひらけた分岐に差しかかり、俺たちはそこで休憩をとった。近くの岩壁にもたれ、体育ずわりの格好で、携行した食料とドリンクの一部を口にした。


 その場で相談をして、そのまま仮眠をとることにした。言い出したのはゼンだった。


 このあとどういうことになるかわからないし、わずかな休息の機会も持てなくなる可能性のほうが高いわけだからね、少しでも寝ておくべきだと思うよ……ゼンの意見に異論はなかった。二人が仮眠をとり、その間残った一人が見張り役をする。言い出したゼンがまず寝ようかなと言い、もう一人はケンジになった。二人でジャンケンをして、俺が負けたのだった。


 寝袋がわりにミリタリーバッグを背中に敷いて二人が横になる。俺は膝を抱えた姿勢で辺りを警戒する。だが警戒といっても緊張感はさほどない。ここまで一体のバケモノにも遭遇していなかったからだ。


 辺りには何の異変もない。やがてかすかな寝息が聞こえ始めた。それからしばらくして、ケンジがもぞもぞと動きだし、起き上がって、俺のすぐ隣の岩壁にもたれて腰を下ろした。


「眠れないんだ」


 ケンジは無表情でそう言った。何かを思いつめたような悲愴な色を、俺はその顔に感じとった気がした。

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