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第20話「現在地・不明(4)」

 大地を伝う震動が一刻ごとに大きくなる。恐ろしく広大な砂漠、その地平線をぎっしり埋め尽くすバケモノの群れが、猛然と押し寄せてくる。標的は間違いなく俺たちだ。


 逃げ場などない。


 にもかかわらず心臓の鼓動は、俺自身が戸惑うほどに平静を保っている。


 これまで、黒いディアーボとの遭遇を皮切りに、何度となく命の危険に晒されてきた。それでも俺は生き残った。つまり生き残る余地があった。


 けど今回は違う。超人のゼンと、どうやら覚醒したらしい俺、そして完全に人智を超えた鎧の怪物――この3人が揃っても、絶対にこの局面は乗り切れない。


 ここまで絶望的な状況は初めてだ。そして逃れられない死を、心が受け入れてしまってるに違いない。俺はそう思った。そうに違いないと確信していた。あのゼンでさえ、顔に表情はなく、迫り来る異形の群れをただ眺めているだけだ。


 そんな俺を、たった今2体のバケモノを葬り去った鎧の怪物が、無言で見下ろしている。向き合い見上げていると、四方から押し寄せる人外の大群が目に入らなくなる。鎧の怪物に視界を塞がれているということじゃない。どういうわけか、奇妙な安らぎを覚えるのだ。


 不可解な安らぎを感じている自分に、頭の一部が混乱する。何ひとつ希望のないこの状況で、なぜこんなに落ちついていられるのか。自分が怖くなる。


 視界の隅に映るゼンがふと気になり、目を凝らしてヤツを見た。膝を落として前傾姿勢になり、無表情だった顔には、わずかに赤みが差している。ゼンらしいあの不敵な笑みを浮かべ、目は怪しくギラついていて、俺は強烈に嫌な予感を覚えた。


 おい、ゼン!


 俺が小さく怒鳴ったのとまったく同時に、ゼンは、長い両腕を子供のように思いきり高く掲げながら大きくのけぞり、天に向かって何か叫んだ。揺らぐ大地にバケモノどもの足音だけが轟く中ではっきりとは聞き取れなかったが、俺にはそれが感謝の言葉のように聞こえた気がした。咆哮を終えたゼンの頰は、うっすらと濡れていた。


 ゼンは涙を流していた。


 あのゼンが泣いている? そう思った瞬間、不安や諦めではなく、どういうわけか、異常なほどの好奇心が俺を支配した。殺人を日常の風景として生きてきたはずのゼンに涙を流させるものが何なのか、猛烈に知りたい、そう感じた。

 本当におかしなことに、死が決定づけられたこの状況で、俺の意識はさっきから自分の死以外のことに向けられている。


 強烈な好奇からゼンを見つめていた俺は、無意識のうちに、完全に戦闘態勢を解いていた。つい先ほど信じがたいスピードで駆けて鎧の怪物を救ったが、同じことができる状態ではなかった。


 そのために、二度目の咆哮とともに突然走り出したゼンを止めることができなかった。


 ゼンは濡れた頰を拭おうともせず、目を閉じて再び天を仰ぎ深く息を吸い込んだ後、目を開け、今度は正面に向けて言葉にならない声を発しながら、前のめりに大地を蹴った。今まで見せたことのない、本気の跳躍だった。


 まずい、と思った次の瞬間には、もう追いつけない距離まで飛び出し、さらに一刻後には、ヤツの広い背中が小さな点となっていた。さらに小さな点として地平の彼方でうごめく無数のバケモノどもの中で、鎧の怪物に頭を潰された腐乱の追跡者のように恐ろしく素早い数十体が、すでにかなりの距離まで迫っていた。


 あの一団が、迎え撃つゼンと交わるのはもう間もなくだった。


 やばいぞ、おい、ゼン、やめろ――ようやく我に返った俺がそう叫んでも、もう遅かった。足にすべての力を込めるつもりで駆け出そうと構えたが、光速で跳んでヤツに追いつくイメージを持つことができない。


 くそ、おい、ゼン!


 それでも、力のかぎり砂の大地を蹴り、鎧の怪物の脇を過ぎて、ゼンのところへ向かおうとした。


 そのときだった。


 たったいま横を通り過ぎた後方の鎧の怪物のほうから、凄まじい風圧が押し寄せ、ほぼ同時に、視界のすぐ先からヤツの太い腕が現れ、その巨大な手のひらが、まず遥か前方を駆けるゼンをすくい取るようにして包み、そのまま俺に迫って全身をとらえた。ゼンも俺も自動車など軽く凌駕する速度で駆けていたはずなのに、鎧の怪物の腕は、仏が迷える信徒を包むように、優しく俺たちを包み込んだのだった。


 岩か鋼を思わせる無機質で冷たい質感のその手のひらに、俺は不思議な温もりを覚えた。肩が接する距離で同じように怪物の手に包まれるゼンは、何が起こったのか理解できず、ヤツには似つかわしくないほど混乱した様子で、自らを包む巨大な手のあちこちを見回している。


 俺たちを優しく握りしめたまま、鎧の怪物の腕がぶんぶんと振られだす。怪物は腕を少しずつ高く掲げ、ゼンと俺は中空を高速で回る遊園地のアトラクションに乗った子供のように、無抵抗でなされるままにしている。どんなにもがいても、この拘束から逃れる術はないと直感で理解していたからだ。そして異常な話だが、俺はこのとき、ずっとこのままでいたい、と思った。怪物の巨大な手のひらは、俺に、言いようのない温かみと懐かしさを与えてくれていた。


 気づくと俺は、親父の顔を思い浮かべていた。旅と狩猟を愛し、アラスカの大地に消えた、親父。この世とは思えない異界の地で、人外のバケモノに囲まれながら、俺は父親を思い、現状にもっともふさわしくない、安らぎの感覚に満たされている。


 本当に、自分は狂ってしまったのかもしれない。


 そういうことを考えながら、目を閉じされるがまま身を任せていた俺に、見ろ、とゼンが声をかけた。久しぶりに耳にするヤツの冷静な口調だった。その声に俺はまぶたを開いた。


 ゼンの視線の先には、押し寄せるバケモノの群れではなく、俺たちを包み込んだ異様に太く長い腕を振り続ける、鎧の怪物の姿があった。怪物はやはりバケモノどもを見てはおらず、かわりに、雲も月もない広大な闇空を見上げている。いよいよ間近まで迫った異形の集団のことなど、まったく問題にしていないように見える。


 鎧の怪物が見据える先に何があるのだろうか。ゼンは自分たちを軌道とする円の中心に立つ鎧の怪物をじっと見つめていたが、俺は、怪物が見上げる頭上の闇空に視線を移し、目を細めた。


 凄まじい速度で回転する中で、ほんの一瞬、その闇空にわずかな光を見た気がした。恐ろしく長いトンネルの向こうに確かに存在する出口から差し込む、希望の象徴のような、光。


 まったく突然に、頭の中にあるイメージが浮かんだ。俺たちをここへ導いた、あの樹海の縦穴だった。どこまでも続く奈落の先に、底があり、その底をさらに越えて、俺たちはこの異界じみた砂漠へやってきたのだろうか。


 もしそうなら、あの光は――


 そこで思考が遮られた。いや、思考が、その場に置いていかれたかと思った。


 受けたことのない風圧が、怪物の手のひらから露出した俺の顔の一部を襲う。反射的に目を閉じた。ほんの少し遅かったら眼球が押し潰されていただろう。それほどの風圧だった。鎧の怪物が、これまで以上の力で、自身の右腕を振りきったに違いない。


 ほとんど同時に、壊れたジェットコースターに翻弄されるように体の向きががくんと変わり、ふっと、体を包み込んでいた優しい拘束が解かれた。一瞬、本当に時間が止まったような感覚を覚えた。宙に投げ出されたのがわかった。鎧の怪物が、俺たちを放り投げたのだ。


 どこに? と思う間もなく、自分が天に向かい飛んでいるのだと本能的に理解した。恐るべきスピードで、まともに目を開けることなど不可能だった。だがどうしても気になり、自由になった両腕で顔を覆いながらわずかにまぶたを持ち上げた。


 薄く細く開いた視界には、鎧の怪物もバケモノの群れも、砂漠も存在せず、ただ闇空と、その先に見える光だけがあった。光はどんどん近づいてくる。

 

 違う。俺たちが近づいているのだ。


 ぐんぐん大きくなる光の穴へ、吸い込まれるようにして俺たちは飛び込んだ。あまりの眩しさに、顔を背け目を思いきり閉じた。閉じる直前に視界に映った下界の光景は、飛行する速度と、光源の強さ、そしてその距離のために、はっきりとは捉えられなかった。


 俺たちを天に放った鎧の怪物と、ヤツを飲み込むようにあらゆる方向から詰め寄るバケモノの群れ――そのすべてが、砂漠を侵食する小さな黒点のように見えた。


 その直後、頭上から差す強烈な光が俺たちを完全に包み、視界から、あらゆる光景が、消えてなくなった。

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