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第11話「群馬県南西部(1)」

 ナガミネの演説から5日後の夜、ゼンと俺は車である場所へと向かった。


 深夜で、風はなく、流れずにとどまった厚い雲が窓から見るかぎりどこまでも垂れ込めている。思わず息苦しさを覚える空だった。


「楽しくないのかい? 久しぶりの外出じゃないか」


 隣でハンドルを握るゼンが言う。俺は質問には答えずに、助手席の窓から正面のフロントガラスへ視線を移した。俺たちの走る一般道は、真夜中のためかすれ違う車もほとんどない。もうしばらく走れば、山へ続く林道に入るだろう。

 

 確かに外出は久しぶりだ。けど楽しい気分になんてなれるはずがなかった。山梨での事件以来、そういう感情が起こったことは一度もない。


「出発してからずっと無言だが、もしかして、乗り物酔いかい?」


 3週前のあの日から、俺はゼンと行動を共にしてる。どういう経緯で手に入れたのか知らないが、ヤツは都内数ヶ所にアジトを持っていた。田園風景が今も残る西東京外れの鉄工場跡、新宿の首都高沿いに立つさびれた雑居ビルの1室、千葉・埼玉県境のアジア系外国人が多く暮らす地域で長年放置された貸し倉庫……ヤツの隠れ家は他にもいくらでもありそうだったが、俺たちは新宿と初台の中間にある雑居ビルに身を隠していた。ナガミネの刺激的で危険な演説も、その部屋で観た。


「せっかくのミッドナイトドライブだよ、楽しまなきゃ」


 そう笑い、ゼンはカーラジオのスイッチを入れる。数時間前まで車を保有していた前の持ち主が聴いてたのだろう、スピーカーから流れてきたのは、音楽ではなくニュースだった。

 ……はい、そうです、今、現場となったN村に来ております、ものすごい報道陣の数です、聞こえますか、上空にはヘリコプターも飛んでいます、ええ、あ、いえ、村の中には入れていません、県警と機動隊によって封鎖されていまして、

 私たちは現在、村の入り口にあたる道路にいるんですが、ここから見上げただけでも、複数の家屋が確認できます、いずれの家の前にもですね、警察の関係者が立っているのが見えます、あ、今、手前の家から人が出てきました、現場検証の方でしょうか、数名が……


 男性レポーターはヘリの爆音に邪魔されながら早口にまくし立てている。まるで大型台風の前線から中継されているようなその音声は、聴き手に、強烈な不安と、どうしようもない好奇を与える。日本中が今、この事件に注目しているに違いない。

 

 事件の発生を、今朝、まっさきに報じたあるネットメディアは、記事にこう見出しをつけた。

「ディアーボ、本州を北上?」



 センセーショナルな登場を果たしたナガミネの演説から2日後、彼にまつわるショッキングな出来事が再び起こった。それはナガミネの主張に強く共感した若者たちが、サラリーマンの一団に襲いかかるというものだった。


 現場となったのは、オフィスビルが林立する千代田区の一角、複数の私立大学の校舎が点在するエリアにある公園だ。所属大学を越えて大規模な課外活動をしたいと考える行動的で意欲の高い学生が、日頃からよく利用していたという。


 その公園に、この日は、ナガミネの熱に冒された学生が約20名集合した。彼らは政治経済への関心が強く、政治家や官僚の堕落、所得格差や貧困問題をテーマに演説をぶち、手製のビラをまいた。


 ちょうど日が落ち始める時間帯で、帰宅途中のサラリーマンやOLが、ナガミネの真似事を熱っぽく行なう学生の一団を奇異の目で眺めた。学生たちはそれを意に介さず、活動を続けた。


 しばらくして、50代、60代を中心とする、居酒屋帰りと思われる8名ほどのサラリーマンの集団が、公園に入ってきた。そして学生たちに冷ややかな視線を向けながら、敷地の隅に設置された喫煙コーナーへ歩き、タバコを片手に雑談を始めた。


 スピーカーから流れる学生の演説がわずらわしかったのだろう、突然サラリーマングループの年長らしい男性が、お前らうるさいぞそんなことやってないで勉強しろ! と怒鳴り、周囲の仲間たちがゲラゲラと肩を叩き合って笑った。


 馬鹿にされたことに怒った学生数名が、喫煙所に近づき、ヤジを飛ばした男性を、囲んだ。酔いもあり逆上した男性は、詰め寄ってきた学生の1人を突き飛ばしてしまった。直後だった。おいおっさん何やってんだよ、演説者のそばからその様子を見ていた若者たちが、怒号を発し男性めがけて次々と襲いかかり、喫煙コーナーにいた別のサラリーマンの一群も巻き込んで、衝突した。


 すぐに警察が駆けつけ、騒ぎは10分足らずで収まった。だが、2名が重傷を負い、1名が、命を落とした。犠牲になったのは争いを始めた両グループの人間ではなく、衝突を止めに入った、近くの私大で国際情勢と英語を学ぶ19歳の学生だった。

 数十人が暴力を振るい怒声や悲鳴が飛び交う中、この春山形から上京してきたばかりで将来はアフリカや中南米の貧しい国を支援する国際ボランティアの仕事を夢見ていたという真面目で気の優しい男子学生は、メガネを割られ、髪を掴んで顔や胸を殴られ、腹部を執拗に蹴り込まれて、死亡した。


 事件直後、多勢のメディアは、学生の死は衝突に関わった両グループに責任があるという中立の姿勢をとった。命を落とすまで学生を痛めつけた犯人の存在が、はっきりしなかったからだ。当然サラリーマンの側が疑われたものの、彼らは口を揃えて否定した。実際、より激しく傷つき流血しているのは大人たちのほうだった。


 だが深夜になって、ある民放局のニュース番組で、辛口な発言で知られる元新聞記者の初老コメンテーターが、ナガミネなどという怪しげな男の危険で扇動的なスピーチに動かされて公共の場でその真似事をした学生たちにそもそも非がある、という趣旨の発言をしたことで、世論は一気に沸いた。


 発言のすぐ後から番組には抗議のツイッターやメールが殺到し、終了時にアナウンサーからの謝罪が、1時間後には、番組公式サイトに正式な詫び文が掲載された。抗議はほぼ若年層からのものだと考えられた。

 発端となったコメンテーターのSNSには同日中に数百件の書き込みがなされ、そのほとんどが彼の発言に批判的なものだった。中には容赦ない人格攻撃のコメントや、1980年代にスイスの経営大学院を卒業、という彼の経歴に詐称の疑いがあるとの指摘を詳細な根拠を添えて投稿する者までいた。コメンテーターは未明のうちにアカウントを閉鎖し、翌週にはその番組からも、他局のニュースコーナーからも姿を消した。


 だが意外にも混乱は翌日収束を見せた。ナガミネが、声明を発表したからだ。


 ナガミネは自身の率いる政治団体のオフィシャルサイトの動画を通じて、まず犠牲者の学生の勇気ある行為を讃え、遺族の無念に触れ、彼に対する尊敬と哀悼の意を表した。

 そして集会という具体的行動をとった学生たちへ最大級の賛辞を送り、目に涙をためて、彼らは日本国を憂う誇り高き同志だ、と述べた。相手方のサラリーマンに対しては、非難を含め、一切言及しなかった。ただ傷ついて病院に運ばれた人々の身を案じる短いコメントを発しただけだった。


 ナガミネは、誰の責任も追及しなかった。支持者である大学生を褒めたたえ、犠牲になった若者を悼み、構図としては敵になるはずの、サラリーマンたちに対しても優しさを見せた。過激でアグレッシブな内容が印象的な渋谷のスピーチからは想像できない、冷静な対応だった。


 事件に関するナガミネの声明を取り上げたある報道番組の男性キャスターは、命を落とした方がおられる中でやや不謹慎かもしれないが、と前置きしたうえで、『氏の声明はよくバランスをとった内容で、清々しいものだ、これは見事な幕引きだと思う』と評した。

 落ちついた風貌と良識的なコメントでどの年齢層からも好感度の高い名物アンカーがそう評価したことで、世間はナガミネの発言とスタンスを好意的に受けとめた。

『結成してまだ日の浅い氏の政党には、演説以来、入党希望者が殺到しているそうですが、今回の件を受けてそれはさらに増えるでしょう』

 キャスターは最後にそう付け加えた。


 それから連日、大小のメディアがこぞってナガミネに関する報道を続けた。数日前、マイクを手に突如街頭に現れたナガミネが、賛否はあれ、確実に存在感を増していた。


 そんなさなかに、今朝、あの事件のニュースが流れたのだった。


 ネットメディアを中心に駆けめぐった情報を受けて、テレビ局や新聞社も慌てて速報を流し、現場とされる、群馬県南西部のN村にスタッフを飛ばした。


 ゼンと俺が向かっているのは、そのN村だった。


「そろそろかな」


 車のスピードを落としながらゼンがつぶやく。ゼンは黒いスエードのスーツに、人の体にゾウの頭を冠した偶像を中央にあしらった深緑のネクタイを着けてる。ヒンドゥー教を信仰する傭兵仲間からもらったのだそうだ。

 もらった、と言うときのゼンの表情は不気味なほど愉快そうだった。言葉どおりに相手から受けとったのか、殺して奪ったのかはわからない。俺の服装はジーンズと灰色のチェックシャツと黒のスニーカーで、アジト潜伏中にゼンがどこからか調達してきた。


 これまで俺たちは、ケンジとアイリの行方と、2人をさらった連中に関する情報をまったく掴めてなかった。けどゼンは俺など想像もつかない世界を生きていて、さまざまなネットワークを持っているはずだ。そう思い、1度聞いたことがある。

 あんたのコネなんかで何とか調べられないのか、ほら、映画とかテレビであるだろ、情報屋みたいなの、そういう知り合いとかいないのか……ゼンは飲んでいた紅茶を軽く揺らしながら笑っただけだった。数日一緒にいてもうわかってると思うけど、ボクは基本的に1匹狼だからね、もちろん知り合いはそれなりにいてコネクションもあるにはあるけど、君の求めてるようなものじゃない、まあ慌てず、じっくり2人でやってこう……ゼンはそう言って、もう1度笑ったのだった。


 ヤツがどんな人脈を持ってるか、本当のところはわからない。ただ、ゼンは、この状況を楽しんでる。N村のニュースを聞いて現場へ行こうと言い出したのはもちろんゼンだ。ディアーボが日本に現れ、俺たちが襲われ、ケンジとアイリが誘拐されて、再びバケモノが出没したという、この事態を、心から楽しんでいる。


 けどそのことに、不思議と怒りは感じなかった。しかたない、とだけ思った。ディアーボが暴れ回った殺戮の現場にあえて足を運ぶなんて狂気じみてるが、アイリたちにつながる手がかりが見つからない今、わずかでも可能性があるなら、行くしかない。

 なぜゼンが俺の前に現れたのか、今も俺といるのか、その狙いは不明だ。こいつには俺やケンジたちを助ける義務も義理もない。そうするメリットもない。仮にあったとしても、単純な損得勘定で動く人間とも思えない。


 ゼンは自身の、独特で、奇妙な論理に従って行動してるに違いない。根底にあるのはシンプルに、興味とか、好奇心、そんなものなのかもしれない。

 

 だとしたら、飽きれば棄てられる。


 要らなくなった人間を棄てるとき、ヤツはただそいつの前から消えるだけだろうか。

 それとも、慣れた手つきで、相手を殺して去るだろうか。


「このあたりから降りて歩こう、準備はいいかい?」


 ゼンが俺の顔を覗き込むようにして言った。俺が頷き、徐行していた車が止まった。窓の外を見る。両側に細く背の高い木々が並ぶ緩やかな傾斜の林道、その一角に俺たちはいる。


 100メートルほど前方に、小さなトンネルがある。ゼンが車から降り、俺も後に続いた。


 空には重苦しい雲がべったりと貼りついて、その向こうにあるはずの月はまったく見えない。


「かなり迂回することになる」ゼンはポケットに両手を入れトンネルへと歩く。「村周辺は警察と機動隊、それにマスコミがうろついてるだろうからね」


 このあたりは群馬と長野の県境らしい。樹海と河口湖を擁した山梨のあの街からは、200キロちかく離れてる。それでも、当然だがマスコミは3週間前のディアーボの事件と今回のニュースを、強く関連づけて報じた。中にはマナウスを血に染めた怪物が、南米のジャングルから海を越えて上陸し日本列島を蹂躙し始めたのだ……などと一連の出来事をストーリーに仕立て不安を煽ろうとする報道も見られた。


 今回のN村に関しては、まだ速報ベースで、詳しいことは報じられていない。

 確からしいのは、数十名が暮らすこの集落が、一夜にして全滅したということだけだった。


 そしてその犯人を、メディアは、いや、メディアにかぎらず誰もが、ディアーボだと考えた。


 先月の、ディアーボ出現以前なら、そうはならなかったはずだ。

 梅雨が終わり夏が始まったばかりの7月のある日、神奈川の福祉施設で、20人近くが殺害される衝撃的な事件が発生した。だが「戦後最悪の大量殺人」と言われたこの悪夢のような事件を、ディアーボのしわざだと報じたメディアは、俺の記憶するかぎり1つもない。元施設職員の男が事件直後に出頭したためでもあるだろうが、この時点ではまだ、マスコミを含む日本の人々にとって、ディアーボは遠い存在だった。


 今は違う。ある集落が襲われ、10を超える住人が殺された、そう聞いてディアーボを連想しない人間はこの国にいない。


 ただ、あまりに早い、と思う。バケモノの行動にパターンがあるとは考えにくい。でも、あの黒いディアーボが樹海に姿を現してまだひと月も経ってない。この日本に潜んでいたディアーボは、樹海の穴に落ちたあの1匹だけじゃないのだろうか。


 パチン、と小気味よい音が響いて、我に返った。

 ゼンが指を鳴らしたのだった。考えるのに夢中で、いつの間にか足を止めていたらしい。


 ゼンは、トンネル入り口で待っていた。月明かりがないためか、ヤツの背後にまっすぐ伸びる古びたトンネルの先に、出口らしいものは確認できない。


 富士の樹海の洞穴を思い出した。どこまで続くのかわからない闇に包まれた横穴、その先で口を開ける、地獄へでも通じていそうな縦穴。あの奈落へ、音もなく落下した、黒いディアーボと鎧の怪物……


 ふと思った。

 これから向かう場所で俺たちを待つのは、ヤツらと関わりのある何かなのか?


 足が震えた。ほんのひと月前の、ぬるく、無気力だが平和な日々に、戻りたいと思った。

 視界の先に、白い手で俺を招くゼンがいる。さあ、早く、早く、そんな笑みを浮かべてる。こいつは、異物だ。俺やケンジやアイリの生活と、まったく接点のなかった異物。


 けど今は、この男の力が要る。俺には他に、頼るべき相手が見つからない。学校で1番えらい校長も教頭も、街の大人たちも警察も政治家も、ディアーボやRPGを携えたマフィアを前に、何ら解決策を持たない。さらわれたアイリとケンジを取り戻す方法も知らない。


 ゼンが敵か味方か、それはわからない。そのことについて、俺はずいぶん前に考えるのをやめた。わかりっこないからだ。

 ただ、1つだけ、はっきりしてることがある。こいつは、今も生き残っている。


 マフィアもディアーボも、ゼンの命を奪うことができなかった。そしてこの男は、自分に銃を向けるマフィアも、ジャングルで仲間を食い殺した正体不明のバケモノのことも、まったく恐れてない。

 そんな人間を、俺はヤツ以外に知らない。


 そこまで思って、気づいた。

 足の震えが、止まってる。

 

 もう1度ゼンを見る。待ちくたびれたのか、ゼンは手招きをやめ、退屈そうに、月のない空を見上げている。


 俺は深く息を吸い、強く、一気に吐き出す。

 そしてゼンの待つトンネルに向かい、歩きだした。

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