「100年不眠でいばらを編み続けたら、ただのゴリラ令嬢になってしまいました 」〜邪悪な魔女と恐れられる悪役令嬢ですが、睡眠不足が極限なので邪魔者は素手で引き千切ります〜
鬱蒼と生い茂る漆黒のいばらが、天を突く城壁を幾重にも覆い尽くしている。
かつては麗しき薔薇の城と呼ばれたその場所は、今や足を踏み入れた者を誰一人として生かして返さない、呪われた魔女の巣窟――「いばらの城」として世界から恐れられていた。
その城の中心。荒れ果てた中庭の玉座に、一人の女がいた。
「……んぬ、おらぁッ!」
バキィッ! と、か弱い令嬢からは絶対に発せられてはならない破壊音が、静寂の庭に響き渡る。
音の主は、ローザ・フォン・アーデルハイト。世間から「嫉妬に狂って可憐なオーロラ王女に100年の眠りの呪いをかけた、血も涙もない悪役令嬢」と指名手配されている闇の魔術師の娘だ。
現在の彼女の姿は、お世辞にも「令嬢」と呼べるものではなかった。
かつては漆黒の最高級シルクだったドレスは、度重なる労働の邪魔という理由で、膝上丈のミニスカート仕様へと無惨に引き千切られている。おまけに袖は肩まで捲り上げられ、そこから覗く二の腕は、大理石の彫刻のように美しくビルドアップされた広背筋と上腕二頭筋が躍動していた。
「ふぅ……よし、これで南西の防壁第三層の補強は完了ね。……って、硬っ! 今日のいばら、ちょっと密度高すぎない!?」
ローザは額の汗を手の甲で拭った。その手の皮膚は、常人の数百倍の強度に角質化しており、触れるだけで鉄を凹ませそうな肉厚の凄みを帯びている。
世間の人間は大きな勘違いをしている。
ローザがオーロラ王女を眠らせたのは、嫉妬からではない。100年後に王女の肉体を乗っ取って復活する【破滅の魔王】から、たった一人の大切な親友を守るためだ。
国ごと時間を止める大結界――それが「100年の眠りの呪い」の正体。
王女も、城の家臣たちも、みんな100年間のタイムカプセルの中で安全にスヤスヤと眠っている。魔王の復活限界が過ぎるその時まで。
だが、誤算があった。
結界を外敵(および魔王の残滓)から維持するためには、誰か一人が結界の『外』に残り、魔力を供給し続けなければならなかった。その防衛システムこそが、この城を囲む「魔導いばら」だ。
いばらは生き物のように増殖し、放置すれば自壊する。だからローザは、100年間、来る日も来る日も、素手でいばらを引き千切り、適切な形に編み直すという超絶ハードワークをこなさなければならなかった。
しかも、結界の維持に全脳の魔力を割いているため――【100年間、一秒も眠ることができない】という呪いのおまけ付きで。
「鏡を見るまでもないわ。今の私は、深夜の深淵より深い漆黒のクマを宿したおぞましい顔をしている。絶世の美貌(笑)にこの凶悪なクマよ? これぞ世間が恐れる、王女を呪った邪悪な悪役令嬢の姿そのものじゃない。笑っちゃうわね。……あー、寝たい。ガチで寝たい。ふかふかのベッドで10年くらい泥のように眠りたい……っ!」
脳内で響く、慢性的な睡眠不足による幻聴。イライラは最高潮。ストレスメーターはとっくに限界を突破し、振り切れて久しい。
100年前は可憐に「オーロラ、大好きよ」なんて微笑んでいた薄幸の魔術師令嬢は、100年間いばら(物理&魔導属性ダメージ)と不眠不休で戦い続けた結果、魔法攻撃が一切効かないドラゴン級の肉体硬度と、ゴリラ並みの腕力を有する不沈の怪物へと進化してしまっていた。
そんなローザの、記念すべき不眠100年目の朝。
ズズズ、と地響きが鳴った。
城の外から、馬の嘶きと、いかにも「正義の味方」といった風な、けたたましいトランペットの音が聞こえてくる。
「――聞こえるか、城に巣食う邪悪なる魔女よ! 私は隣国の第一王子、フィリップである! 100年の予言に従い、今こそ眠れるオーロラ王女を救い出し、お前を討伐しに参った!」
拡声魔法を通した、やたらと爽やかで脳天気な男の声が、ローザの劣悪なメンタルに直撃した。
ローザの額に、青筋がバキリと浮かび上がる。
「……は? 誰が魔女だって……? というか、何あの騒音。静かにしろ。私の繊細な偏頭痛に響くだろ。……っていうか、今、あいつ何て言った?」
『いばらを切り開き、王女を救い出す』。
それはつまり、ローザが100年間、血の滲むような思いで毎秒メンテナンスしてきた、涙と結晶の「魔導いばらの生垣」を破壊する、という意味だった。
「私の……私の100年のシフトワークを、土足で荒らす気……?」
ローザの瞳が、漆黒のクマの奥で、ドス黒いディープパープルにぎらりと輝いた。
100年目のタイムリミット。ついに、待ちに待った「闖入者」のお出ましである。
カツン、カツン、と硬質な足音が響く。
千切れたドレスの裾から覗く生足。靴などとっくに摩耗して消え去ったため、足首に魔導いばらを巻き付けただけの、文字通りのワイルドスタイルだ。地表を直に踏み締めるローザの歩みには、一歩ごとに地面を微かに沈み込ませるような、尋常ならざる質量が宿っていた。
城の正門。
そこには、まばゆい黄金の甲冑をまとい、伝説に謳われる『白銀の聖剣』を構えたフィリップ王子が、大勢の精鋭兵を従えて立っていた。
「待たせたな、我が愛しの王女よ! このフィリップが、今こそ――って、なんだお前は」
正門のいばらの隙間から、のそりと現れた不審者を見て、フィリップ王子は端正な顔を歪めた。
王子の目に映ったのは、絶世の美貌を持ちながらも、目の下にドス黒いクマを刻み、頭の上でガチガチに固めた三つ編みにいばらのトゲを突き刺し、ドレスをミニスカにしてバキバキの二の腕を晒している、狂気の女傑である。
「おい、そこの不躾な女。私は邪悪な魔女ローザを討伐しにきたのだ。お前のような身分の低そうな下女に用はない。下がって――」
「おい、脳無しの金ピカ。」
ピキ、と中庭の空気が凍りついた。
ローザは三白眼の瞳を限界まで見開き、低く、地獄の底から響くような声で呟く。
「誰が下女よ。私がその、お前が血眼になって探している悪役令嬢ローザ・フォン・アーデルハイトよ。……あと、静かにしろって言わなかったかしら? 100年分の寝不足が頭蓋骨の裏側をノックし続けてんのよ。その安い拡声魔法、今すぐ止めないと喉を素手で引き千切るわよ!」
「な、何だと……!? お前が魔女ローザだと!? くっ、100年の間にこれほどおぞましい姿に身を落とすとは……。やはり闇の魔術に魂を売った代償か!」
(違うわよ、100年間の24時間ワンオペシフトの代償よ!)
内心でそう毒づくローザを無視し、フィリップ王子は悦に入った表情で聖剣を掲げた。
「ふははは! 案ずるな、兵たちよ! 相手は所詮、干からびた魔女だ! この我が国に伝わる聖剣の敵ではない! 見よ、この神聖なる輝きを! これこそが、あらゆる闇の障壁を切り裂く、運命の刃なり!」
「おい、止めろ」
「はあああああッ!!」
ローザの制止も虚しく、王子は凄まじい踏み込みと共に、城を囲む魔導いばらの生垣へ聖剣を振り下ろした。
キィィィィィィィィィン――ッ!!!
鼓膜を突き刺すような、金属同士の激突音が炸裂する。
王子の放った渾身の一撃は、確かにいばらの中心を捉えていた。聖剣から放たれた神聖な光が爆発し、周囲を眩しく照らし出す。
「勝った……! 邪悪ないばらよ、塵に還るが良い!」
王子が勝利を確信して高笑いした、その直後。
パリィィィィン!! と、やけに情けない音が響き渡った。
「……え?」
王子の手の中で、伝説の聖剣が綺麗に真っ二つに折れていた。
肝心の魔導いばらはというと、火花を散らしただけで、傷一つ付いていない。それどころか、あまりに強固ないばらを殴った反動(物理)が王子の両腕を直撃し、彼の肘から先がガタガタと震えている。
「ば、馬鹿な!? 闇の結界を切り裂く聖剣だぞ!? なぜ傷一つ付かない! どんなおぞましい暗黒の魔術を使ったのだ!」
「はぁ……(深い溜息)」
ローザは頭痛を押さえるように、バキバキの額に手を当てた。
「暗黒魔術なわけないでしょ。それ、私が100年間、毎日一秒の休みもなく、素手で魔力をギュウギュウに凝縮して、超高密度で編み上げた『特製鉄条網』よ? 10ミリ編むのにどれだけの握力が必要だと思ってるの? お前が持ってるそのナマクラじゃ、大根一本だって切らせないわよ。」
ローザの一歩。地響きが鳴る。
「っていうかさぁ……」
ローザの体から、目に見えるほどのドス黒いオーラ(※純粋な殺意と睡眠不足の怒り)が立ち上る。
「お前、今、私のいばらに傷をつけようとしたわよね?」
「ひ、ひえっ……」
「これね、明日、南側の防壁と連結させる予定の大事なパーツだったのよ。それを……折れかけのピンセットみたいな剣でガリガリ傷つけて……。もしこれで魔導回路が狂ってたら、私、また今夜も徹夜で編み直さなきゃいけないじゃないのぉぉぉおおおおおお!!」
ドゴォッ!!
ローザが地面を蹴り飛ばした。その風圧だけで、王子の後ろに控えていた精鋭兵たちが十数人吹き飛ぶ。
「な、速――っ!?」
王子の視界からローザの姿が消えた。
次の瞬間、王子の目の前に現れたのは、漆黒のクマを浮かべた、怨霊のごとき絶世の美女。そして――王子の顔面よりも巨大に見える、大理石のような筋肉で膨れ上がったローザの「右拳」だった。
「お前を眠らせてやろうか、永久になぁぁぁあああ!!」
「ぎゃああああああああああーーーっ!?」
およそ一国の第一王子からは発せられてはならない絶叫と共に、フィリップ王子の身体が綺麗な放物線を描いて吹き飛んだ。
ローザの放った、ただの「牽制の右張り手(※常人のビンタの数百倍の威力)」。それだけで黄金の甲冑は無惨にひしゃげ、王子は生垣のいばらに背中から突っ込んでようやく止まった。
「ぐ、ふっ、あ、あり得ん……! 私は、選ばれし勇者……伝説の聖剣を、継ぐ者だぞ……!?」
口から泡を吹き、いばらのトゲに引っかかりながらフィリップ王子が呻く。
だが、恐るべきはローザが編み上げた魔導いばらだ。人間一人を受け止めたというのに、一本の枝すら折れることなく、むしろ侵入者を逃がさないと言わんばかりに、自律的に王子の手足を絡め取っていく。
「勇者だか何だか知らないけれど、公共の器物を破損しようとした罪は重いわよ。しかも、私の貴重な残業時間を増やそうとした罪は死に値するわ。」
ズシン、ズシン、と足音を響かせながら、ローザが距離を詰めてくる。
ドレスを自ら引き千切った生足の太ももには、一歩踏み出すごとに美しい筋肉の筋が浮かび上がっていた。その姿は、魔女というよりも「戦場を支配する女傑」そのものである。
「ひ、ひえっ……! 来るな、来るな化け物め! 兵たちよ、何をしている! その魔女を射殺せ! 総員、攻撃だ!!」
王子の悲鳴のような号令に、正門前で硬直していた精鋭兵たちが我に返った。
彼らは訓練されたエリートだ。主君の危機に、即座に隊列を組み直し、一斉に攻撃魔術の詠唱を開始する。
「『燃え盛る業火よ、敵を焼き尽くせ(ファイア・ストーム)』!!」
「『大気を切り裂く刃よ(ウィンド・カッター)』!!」
数十人の魔術兵から放たれた、色とりどりの攻撃魔法が猛烈な嵐となってローザへ殺到した。紅蓮の炎が彼女の身体を包み込み、真空の刃が全方位からその肌を切り刻む――はずだった。
轟音が止み、煙が晴れる。
「……は?」
魔術兵の誰かが、マヌケな声を漏らした。
爆煙の中から現れたローザは、髪一筋すら焦げていなかった。それどころか、めんどくさそうにパタパタと手で煙を払っている。
「ちょっと、煙たいじゃない。目がチカチカして余計に眠れなくなるでしょ。……ああ、一応言っておくけれど、私に魔法は効かないわよ」
ローザは自身の、白くも肉厚な手の平を眺めて退屈そうに告げた。
「この100年間、私は毎日、毎秒、この城に張り巡らされた『超巨大魔導結界』の余波を全身に浴び続けてきたの。それも、肉体と精神を同時に破壊するタイプのデバフ付きのやつ。それを100年耐えきった私の肌よ? あなたたちのそよ風みたいな魔法、ただの微炭酸水をお肌に浴びてるようなものよ。スキンケアにもならないわ。」
100年間のブラックワンオペ環境は、彼女の「魔法耐性」をもカンストさせていた。ドラゴンの鱗を遥かに凌駕する超硬度の肌。それが、今のローザの標準スペックである。
「化け物……本当に、本物の魔女だ……!」
兵士たちが恐怖に顔を引きつらせ、一歩、また一歩と後退りする。
その時だった。
「――おのれ、おのれおのれおのれぇぇええええ!!」
いばらに囚われていたフィリップ王子の口から、人間のものとは思えない不気味な重低音の咆哮が響き渡った。
王子の目がどろりとした漆黒に染まり、その身体から、太陽の光さえも吸い込むようなドス黒い霧が噴き出す。不浄な魔力が爆発的に膨れ上がり、ローザが誇る魔導いばらの枝が、じりじりと黒く腐食し始めた。
「おや?」
ローザが少しだけ目を細める。
王子の背後に浮かび上がったのは、巨大な、角を持つ影――【破滅の魔王】の残滓だ。
「我が復活を邪魔する、忌々しいアーデルハイトの血脈め……! まさか100年もの間、この娘の肉体を結界で隠し通すとはな! だがそれもここまでだ! この勇者の肉体を依代に、今こそ世界を絶望で満たしてやる!!」
魔王の呪いが周囲の植物を枯らし、大気を腐らせていく。
本物の魔王の降臨。世界が破滅へと向かう、まさに絶望の瞬間。
だが、その中心に立つ悪役令嬢は――絶望するどころか、血管がはち切れんばかりに額の青筋を猛烈に増殖させていた。
「……あ?」
ローザの口から、おぞましい地鳴りのような声が漏れる。
「今、何て言った……? 私のいばらを……腐らせた……?」
「ふははは! そうだ! 貴様が100年かけた生垣など、我が呪いの前には――」
「これ、明日! オーロラが起きたときに、一番綺麗な薔薇を咲かせるために! 私が昨日、徹夜のテンションで品種改良の魔力を限界まで注ぎ込んだ、特製のいばらなのよぉぉぉおおおおおおお!!」
ドッバァァァン!! と、ローザの足元の地面が文字通り爆発した。
彼女の怒りは、世界を滅ぼす魔王の恐怖を遥かに超越していた。だっていばらが枯れたら、また残業が発生するのだから!
「寝かせろと言っているのが、まだ分からないのかしらぁぁあ!!」
一瞬で魔王(王子)の間合いに踏み込んだローザは、折れた聖剣の破片を、ただの「素手」で掴み取った。角質化した彼女の手の平には、聖剣の破片すら傷一つつけることができない。
「な、何をする気だ、放せ――」
「ジャイアントスイングって知ってる!?」
ローザは王子の両足をガシッと掴むと、バキバキの上腕二頭筋と広背筋を限界まで駆動させた。ドレスの袖がはち切れ、神の彫刻のごとき筋肉のラインが露わになる。
「いっ、くわよぉぉぉおおお!!」
ブン! ブン! ブン! と、人間の身体が、まるでただのタオルか何かのように猛烈な速度で振り回され始める。周囲に凄まじい竜巻が発生し、魔王が放っていた黒い霧が、遠心力だけで綺麗に霧散していく。
「一、二、三……もう面倒くさいから100回くらい回すわよ!! 私の寝不足の恨み、その身に刻みなさい!!」
「ぎゃあああああああああああ(※魔王と王子のデュエット悲鳴)」
100年目の朝、いばらの城の正門前には、魔王を物理的な回転運動で圧倒する、世界最強の悪役令嬢の姿があった。
「九十八、九十九――百ぉぉおおおッ!!」
ローザの咆哮と共に、極限の遠心力を溜め込まれたフィリップ王子(中身・魔王)が、ついにその手から解き放たれた。
ドッゴォォォォォン!!! と空気を引き裂く爆音。音速の壁を突破した王子は、もはや人間ではなく、まばゆい金色(甲冑)と黒煙(魔王)が混ざり合った一筋の流星と化していた。
「あ、あり得ん……我が絶望の力が、ただの筋肉の回転運動に屈するなどと……ぎゃあああああああああーーーっ!!」
はるか彼方の天空へとキャノンボールのように射出された王子は、背後の雲をドーナツ状に突き破り、そのまま星となって見えなくなった。
おそらく隣国の国境を越え、自国の王宮の屋根あたりに激突するまで止まらないだろう。背後に憑依していた魔王の残滓も、あまりのG(重力加速度)の負荷に耐えかねて、飛んでいる最中に塵となって完全消滅したに違いない。
しん、と正門前が静まり返る。
後に残されたのは、あまりの衝撃波で周囲の地面が綺麗なクレーター状に抉れた荒野と、呆然と口を開けて空を見上げる精鋭兵たちだけだった。
「……ふぅ。これでよし、と」
ローザは捲り上げていたドレスの袖を乱暴に下ろした。
100回もの全力スイングをこなしたというのに、その呼吸は一切乱れていない。ただ、目の下の漆黒のクマだけが、怒りの残熱でほんのりと赤紫に明滅していた。
「な、なぁ……おい、王子が一瞬で星になったぞ……」
「伝説の聖剣もへし折られた……暗黒魔法も効かない……あいつ、本当に人間か……?」
ガタガタと震えながら、武器を投げ出す兵士たち。ローザは彼らを一瞥することすら面倒くさそうに、ふい、と城の内側へと背を向けた。
「あなたたち、もう騒音を立てないならそこに突っ立ってようが逃げようが好きにしなさい。私はこれから、100年越しの最重要業務があるんだから。」
ローザの視線の先――城の最奥にある、ひときわ高い塔。
魔王の気配が完全に消滅した今、空を覆っていた不浄な暗雲が嘘のように急速に晴れていく。100年ぶりに、この呪われた地に本物の太陽の光が降り注いだ。
同時に。
城全体を包み込んでいた透明なドーム状の魔力――国ごと時間を止めていた『眠りの大結界』が、ガラスが割れるような美しい音を立てて、上空からパラパラと光の破片となって崩れ落ちていった。
「――っ、ついに、解けたのね。」
ローザの胸に、言葉にならない感情が押し寄せる。
長かった。本当に、長かった。
100年間、友達とお喋りすることもなく、美味しいお茶を飲むこともなく、ただひたすらに鉄条網のような、いばらを素手で編み続けるだけの暗黒のワンオペ日々。睡眠不足で脳が狂いそうになるたびに、頭の隅でずっと輝いていたのは、100年前のあの人の笑顔だった。
ガサガサ、と背後で音がする。
城の庭園に敷き詰められていた魔導いばらたちが、結界の解除に伴って、本来の大人しい植物の姿へと戻り始めていた。鉄のような硬さは失われ、柔らかな緑の蔓へと変化し、その先には――ローザが昨日(100年目)、寝不足のハイテンションで仕込んでおいた、極上の大輪の薔薇が次々と花開いていく。
キィ、と静かに城の重厚な扉が開いた。
中から、100年前と全く変わらない姿をした家臣たちや、メイドたちが、寝起きの頭を押さえながらぞろぞろと這い出てくる。
「う、ううむ……良く寝た……。私は一体、何をしていたのだ……?」
「あら、お茶会の最中だったはずですが……って、まぁ! お庭が薔薇でいっぱいに!?」
状況が理解できずに混乱する人々。
そんな喧騒をかき分けるようにして、城の奥から、一人の少女が猛烈な勢いで走り出してきた。
まばゆい金髪をなびかせ、シルクの寝間着のまま、裸足で地面を駆ける少女。
100年の時を経てもなお、一寸の衰えもない美貌を保った我が国の至宝――オーロラ王女その人であった。
「ローザ!!」
オーロラは庭園の中央に佇むローザの姿を見つけるなり、その名前を叫んだ。
周囲の家臣たちは「ひえっ、王女殿下、危険です! あそこにいるのは恐ろしい魔女が……って、え? 誰あのアマゾネス……?」と困惑の声を上げる。
無理もない。家臣たちから見れば、ほんの数時間前(感覚的)まで華奢で陰気な魔術師令嬢だったローザが、今やミニスカドレスにバキバキの二の腕、漆黒のクマを宿した世紀末の覇王のようなビジュアルに変貌しているのだから。
だが、オーロラ王女だけは違った。
彼女はローザの凄まじい見た目に怯えるどころか、その瞳に大粒の涙を溜め、一直線にローザの胸へと飛び込んできたのだ。
「ローザ! ローザ、ローザ、ローザぁぁあああ!!」
ドゴォッ!!(※本日何度目か分からない衝突音)
常人なら胸骨が粉砕していそうな勢いのタックルだったが、カンストしたローザの肉体はびくともしない。ローザは飛び込んできた愛しい親友の身体を、そのバキバキの腕でしっかりと受け止めた。
「ちょっと、オーロラ……危ないじゃない。今の私は加減が下手だから、強く抱きしめたらあなたを骨折させてしまうわよ」
「ううん、関係ないわ! 私、分かっちゃったの! 眠っている間、ずうっと頭の中で、あなたが私のために一生懸命魔法を維持して、私を守ってくれている温かい気配が聞こえていたんだもの!」
オーロラはローザの胸に顔を埋めながら、おいおいと泣きじゃくった。
そして、ふと顔を上げ、ローザの顔――特にその凄まじい漆黒のクマと、はち切れんばかりの二の腕の筋肉を見つめる。
「……ローザ。あなた、そのお顔……もしかして私を隠すために、100年間一度も寝ていないの……?」
「まぁね。おかげで絶世の美貌(笑)が台無しだわ。おまけにドレスもボロボロ。引いたかしら、こんな化け物みたいな姿。」
ローザが自嘲気味に微笑む。
世間から魔女と罵られ、肉体もゴリラ化し、令嬢としての幸せは全て失った。それでも、この親友が生きているなら後悔はない。そう思って目を伏せたローザの耳に、オーロラ王女の、地鳴りのような巨大感情を含んだ声が響いた。
「――引くわけないじゃない!! 何よその筋肉! 世界で一番、宇宙で一番美しいわ!! 私のために100年も寝ずに身体を鍛えて待っていてくれたなんて、もう、愛が重すぎて失神しそうよ!!」
「え……?」
「さあローザ! 私をあの金ピカの王子みたいに、そのバキバキの腕でお姫様抱っこして、今すぐ寝室へ連れて行ってちょうだい! 今日から100年間、私があなたをベッドで添い寝して、極上の睡眠をお届けするわ!!」
オーロラ王女の目は、恐怖ではなく、狂信的なまでの「溺愛」と「興奮」で爛々と輝いていた。彼女は彼女で、100年の睡眠の果てに、何やら新しい扉(プロレスラー体型の親友萌え)を開けてしまったようだった。
「お、おい! 誰かある! そのおぞましい魔女を捕らえよ! 我が愛娘、オーロラから引き離すのだ!」
100年の眠りから完全に覚醒した国王が、震える指でローザを指さしながら、生き残った衛兵たちに怒号を飛ばした。
無理もない。王の目に映っているのは、愛娘をがっしりと腕に抱きかかえ、ドレスを引き千切ったミニスカ姿で、目の下に死人のような漆黒のクマを刻んだバキバキのアマゾネス令嬢である。どう見ても「王女を誘拐しにきた魔界の暗殺者」にしか見えない。
「そうだ! オーロラ王女殿下が危ない! であえ、であえーっ!」
王の呼びかけに、寝起きの家臣たちが怯えながらも、一斉にローザを取り囲もうと身構える。
だが、ローザがその肉厚な拳を握り直すよりも早く――彼女の腕の中にいたオーロラ王女が、凄まじい覇気を放って立ち上がった。
「――うるさいわね、このボケ老人どもが!!」
ヒィッ、と国王と家臣たちが一斉に短い悲鳴を上げて硬直した。
あの優しく可憐で、薔薇の妖精のようだと謳われたオーロラ王女が、見たこともないような凶悪な形相で実の父親を睨みつけていたからだ。
「お父様、耳の穴をかっ裂いてよくお聞きなさい! このローザはね、100年後に私を乗っ取ろうとしていた魔王から、国ごと私を守るために、たった一人で結界の外に残って戦い続けてくれたのよ! この肌も、このお顔のクマも、この惚れ惚れするような上腕二頭筋も、すべては私を愛し、守り抜いてくれた聖なる努力の結晶よ! それをおぞましい魔女だなんて……次その不敬な口を開いたら、お父様でもローザの代わりに私がジャイアントスイングで隣国まで投げ飛ばすわよ!?」
「お、おーちゃん……!? 急にキャラが変わってないか……!?」
実の娘からの、魔王以上の脅迫に国王はガタガタと震え上がった。
100年の睡眠中、ローザの「私を守る!」というクソデカ執念の魔力を脳内にダイレクト受信し続けていたオーロラは、目覚めた瞬間からローザに対する信仰心と愛がバグっていた。彼女にとって、今のローザは神以上の存在なのだ。
「ローザ、こんな無礼な奴らは放っておいて、早く私の寝室へ行きましょう。あなた、もう立っているのも限界でしょう?」
オーロラが振り返り、ローザの手を優しく包み込む。
その言葉通り、ローザの限界はとっくに訪れていた。魔王を100回ぶん回したことで最後の気力が尽きかけ、視界がチカチカと明滅している。慢性的な睡眠不足による頭痛が、かつてないほど激しく自己主張を始めていた。
「ええ、そうね……。お父様がうるさいから、あなたの部屋の防音結界の中で寝かせて……」
「喜んで! お姫様抱っこで行く? それとも私がローザをおんぶしようか!?」
「いいえ、私があなたを抱っこしていくわ……。腕の筋肉が固まって、下ろす方が面倒くさいから」
ローザはふらつきながらも、オーロラを軽々と横抱きにした。
バキバキの腕の中に収まる可憐な王女。ビジュアルの男女逆転現象が甚だしいが、当事者二人は最高に幸せそうだった。
唖然として見守る国王や家臣たちの間を堂々と突き抜け、ローザは100年ぶりに城の廊下を歩く。いばらを編む必要のない、外敵を警戒する必要のない廊下は、驚くほど静かだった。
◇◇◇
王女の寝室。
100年間、時が止まっていたその部屋は、塵一つなく、ふかふかの天蓋付きベッドが当時のまま鎮座していた。
「さあ、ローザ! ここに横になって!」
オーロラがせっせと枕を整え、最高級のシルクの掛け布団をめくる。
ローザは吸い寄せられるようにベッドへ倒れ込んだ。これだ。この柔らかさ。100年間、硬い石畳の上でいばらと格闘していた身には、まるで雲の上に浮かんでいるかのような至福の感覚だった。
「……信じられない。本当に、横になっていいのね。」
「当たり前よ。これからは毎日、私があなたの隣で腕枕をしてあげるわ。……あ、それともローザのその素敵な大胸筋で、私を腕枕してくれる?」
「どっちでもいいから静かにして……頭に響くわ……」
ローザは目を閉じ、深く息を吐き出した。
すると、シーツの隙間からオーロラが滑り込んできて、ローザのバキバキの二の腕をぎゅっと抱きしめてきた。その体温が、100年の孤独で冷え切っていたローザの心をじんわりと溶かしていく。
「おやすみなさい、私の強くて美しい悪役令嬢。100年分の最高の夢を見てね。」
耳元で囁かれる親友の優しい声。
城の窓の外からは、ローザが手塩にかけて育てたいばらの薔薇たちが、ふわりと甘い香りを部屋の中に届けていた。
世間は何と噂するだろうか。
魔女は滅び、平和が戻ったと喜ぶだろうか。それとも、ゴリラ化した令嬢を怪物と恐れ続けるだろうか。
――そんなことは、どうでもいい。
世界を救う大義名分も、悪役令嬢としてのプライドも、この極上の睡眠の前には塵に等しい。
「……ええ。おやすみ、オーロラ。次は……10年後くらいに起こして頂戴……」
フッと、ローザの意識が深い、深い安眠の底へと沈んでいく。
目の下の漆黒のクマが、100年分の役目を終えて、ほんの少しだけ薄くなったような気がした。
こうして、世界を筋肉で救った悪役令嬢は、100年越しの最高のハッピーエンド(爆睡)を手に入れたのだった。
(めでたし、めでたし。――完)




