幕間 梨花の疑惑
校舎の裏手にある花壇は、朝の時間帯では最も人の来ない場所だった。
梨花は壁にもたれかかりながら、先ほど手に入れた羊毛フェルトの人形を、何度も弄んでいる。
「ひぎゃあああ! 梨花、やめるのです! 痛いのですよぉぉ!」
梨花が容赦なく人形を揉みしだくたび、
その背後では、人形とそっくりな姿をした“何か”が地面を転げ回っていた。
「本当なのです? いったい、どうしてなのですか」
「だ、だめなのです~! 死ぬのです! 本当に死ぬのです! ああああ!」
梨花は疑いの目を向けたまま、人形の腰のあたりをぎゅっとつねる。
すると“それ”は膝から崩れ落ち、断末魔のような悲鳴を上げながら上半身を倒し、
なぜかお尻だけを高く突き出した格好で動かなくなった。
「……理屈が合わないのです。
羽入、さっさと起きるのです」
梨花は人形のお尻を指ではじく。
“羽入”と呼ばれた存在は、危なっかしい声を漏らしながら、
顔を真っ赤にし、涙目で上半身を起こした。
「あぅあぅ……」
「いい加減、説明するのです。
この“欠片”はおかしいのです。
突然現れた転校生、あなたが見えて、しかもこんなものまで作れる。
何百年も巡ってきて、こんな存在、一度もなかったのですよ?」
「あ、あぅ……梨花。
普通は、いきなりボコボコにしてから質問しないのです」
「……そうなのですか?」
梨花の表情がすっと冷え、悪魔のような笑みを浮かべる。
指先は再び、人形のお尻へと狙いを定め――力を溜め始めた。
「だ、だめなのです! 壊れるのです!
ごめんなさいなのです! 話すのです!」
必死の命乞いを受け、梨花はようやく指を下ろし、
腕を組んで説明を促した。
「あぅ……えっとですね。
まず、私たちが死ぬたびに起きているのは、時間の逆行ではなく、
別の世界――“欠片”への跳躍だということは、分かっていますよね?」
「ええ、知っているのです。
平行世界みたいなもの、と前に言っていました」
「その通りなのです。
でも、前回の跳躍の時……今まで“存在しなかったもの”が、突然現れたのです」
羽入は言葉を選びながら続ける。
「その“存在”は、ほとんど一瞬で、すべての欠片に影響を及ぼしました。
その時は正体が分からなかったのですが……
今思えば、それが公由玥という少年なのです」
「……それで?」
「……あぅ?」
「問題はそこではないのです。
どうして、この人形があなたに効くのですか」
「そ、そこですかああああ!!」
梨花は容赦なく、再び人形のお尻を弾いた。
羽入は悲鳴を上げ、宙に浮いたままお尻を押さえて悶絶する。
「あぅ……あぅ♡
た、多分なのですけど……
彼は“人の奇跡”を使えるのです」
「奇跡?」
「はい。
それは、人の強い信念から生まれるものなのです。
普通はとても小さくて……
例えば、神社の縁結びのお守りなんかが、近い存在なのです」
梨花は思い返す。
確かに、神社のお守りが“効いた”という話はよく聞くが、
自分自身が実感したことはなかった。
「……それで、どうして彼は、あなたが見えるのですか」
「そ、それは……分からないのです!」
「…………」
梨花は無言で羽入を見下ろし、
人形を地面に置くと――近くにあったレンガを高く持ち上げた。
「梨花!?
そ、それは本当にだめなのです!
死ぬのです! 本当に死ぬのです!
ほ、本当に知らないのです! 誓うのです!」
羽入は完璧な土下座を、滑り込むような勢いで決めた。
速度も姿勢も、競技に出たら満点間違いなしの出来だった。
「……はぁ」
梨花は溜息をつき、レンガを下ろす。
「まあいいのです。
駒が増えるのは、悪いことではないのです。
この輪廻では、しばらく様子見なのです。
この人形も……使い勝手は悪くないのです」
「あぅ!
梨花は悪鬼、悪魔、胸が一生大きくならない子どもなのです!」
「……羽入?」
梨花のこめかみに青筋が浮かぶ。
次の瞬間、人形を掴んで怒涛の連続攻撃を叩き込んだ。
――だが。
一通り殴り終えても、羽入は先ほどのように悲鳴を上げない。
むしろ、けろりとしている。
「……なぜなのです?」
「くくく……
多分、さっきの“奇跡”を使い切ったのです。
今はただの人形なのですよ~!
ははは! 梨花、もっと強く叩いてもいいのです!」
「羽入……
本当に、私が手詰まりだと思っているのですか?」
梨花は懐から、一本の真っ赤な唐辛子を取り出した。
「そ、その形は……!
ちょ、超激辛トウガラシなのです!!」
「その通りなのです。
私でも太刀打ちできない品種なのです。……噛むのです」
「ぎゃあああああ!!
あぅあぅあぅあぅ!!」
舌先から広がる激痛と灼熱。
辛味が涙腺と鼻腔を容赦なく刺激し、
羽入は地面を転げ回る。
一方の梨花も無事ではなく、
涙を流しながら壁に手をつき、しばらく震えていた。
……ようやく落ち着いた後。
地面に少し汚れてしまった人形を見て、
梨花はそれを拾い上げ、静かにポケットへしまった。




