幕間:隠された責任
喜一郎は窓辺に立ち、窓越しに玥が車庫へ戻っていくのを見送ったあと、深くため息をついてソファへと戻った。
文恵は湯のみを運び、喜一郎の前に置くと、自分も隣の一人掛けのソファに腰を下ろし、ゆっくりと口を開いた。
「おじいさん、もう怒るのはやめなさいよ。過去は手放すって決めたでしょう?」
そう言いながら、文恵は茶をひと口含む。茶葉の苦味と後から広がる甘みが口の中に静かに広がった。
「……分かっている。だがな、忘れようとするたびに思うんだ。どうしてあいつだけが、すべてを忘れて普通に生きていけるんだってな……」
喜一郎は額を押さえ、眉間の皺をさらに深く刻む。揺れ動く自分の感情に、苛立ちを覚えていた。
「……そうね」
文恵はそれ以上は言わず、ただ相槌を打つだけだった。
「引き取ると決めたのは俺自身だ。それでも……また同じことを繰り返すんじゃないかと、どうしても怖くなる」
両手で顔を覆い、迷いと不安を隠そうとする喜一郎。
玥の事情は、いずれ雛見沢でも隠しきれなくなるだろう。すでに公由家の判断を疑う声も出始めている。村長としての決断が正しかったのか――その重圧が、彼の肩にのしかかっていた。
様々な問題が重なり、責任という名の蛇が身体に絡みつくような息苦しさが、彼を追い詰めていた。
そんな様子を、文恵が見逃すはずもない。四、五十年を共に過ごした相手なのだから。
彼女は立ち上がり、喜一郎の隣へと腰を移すと、そっと肩に頭を預けた。
「大丈夫よ、おじいさん。これは私たち二人で決めたこと。どんな結果になっても、私はあなたのそばにいるから」
穏やかで、それでいて芯のある声。
その一言だけで、何千の言葉よりも深く心に染みた。
喜一郎は姿勢を正し、肩にもたれる文恵を見下ろす。まるで数十年前の午後に戻ったようだった。木陰で並んで涼んでいた、あの頃のように。
(……そうだな。どんな時でも、この婆さんは俺の味方だ)
そう心の中で思った瞬間、文恵がまるで心を読んだかのように問いかけてきた。
「あら、おじいさん。今なに考えてたの? 聞かせてくれない?」
「な、なんでもない!」
慌てた返答に、文恵は確信したように口元を隠して笑う。
「どうせ『この婆さんはいつも俺の味方だ』って思ってたんでしょう?」
「ち、違うわ! それにいい歳して何を若ぶってるんだ」
「まあまあ。女性に年齢の話は禁物よ。でも、小玥が来てから私たちも少し変わったわね。あの子を見ると、なんだか若い頃を思い出すの」
「……だが皺は消えんぞ」
小声で呟いたつもりだったが、文恵にはしっかり聞こえていた。
にこやかな笑顔のまま、しかし目だけ笑っていない表情で、彼女は喜一郎の耳をぐいっと引っ張った。
「お・じ・い・さ・ん?」
「いたたたた!」




