幕間:鬼ごっこ
【沙都子&梨花視点】
学校裏手の小さな林の中。
二人の少女が手を取り合い、必死に走り続けていた。
「はぁ……はぁ……梨花、足元に気をつけて……転ばないで……」
「も……もう無理なのです……沙都子、私のことはいいから、先に逃げるのです……!」
「だめ……! 一緒に生き延びるって約束したでしょ!」
そう言いながら沙都子は、不安そうに背後を振り返った。
そこには、速すぎも遅すぎもしない一定の歩調で迫ってくる“ゾンビ”の姿。
まるで獲物を弄ぶかのようだった。
「はぁ……はぁ……本当に、もう限界なのです……」
梨花は沙都子の手を離し、木の切り株にもたれかかって大きく息を吸った。
沙都子も足を止め、梨花の元へ戻る。
「がんばって! まだ十分しか経ってないわ、きっと大丈夫よ!」
「……だめなのです、沙都子。足が、もう動かないのです。
お願い、逃げて……! 沙都子さえ捕まらなければ、人間側の勝ちなのです……」
「うぅ……」
沙都子が名残惜しそうに立ち上がった、その瞬間――
背後を追っていたはずの玥の姿が、忽然と消えていた。
“見えないものほど怖い”
そんな言葉通りの恐怖が、沙都子の胸の奥からじわじわと湧き上がる。
「くくく……もう逃げられないよ……はははは!」
森の中に玥の声が響き渡る。
四方八方から返ってくる反響が、恐怖をさらに煽った。
一歩後ずさった瞬間――
足首に、ぬるりとした異物感。
視線を落とすと、砂と泥にまみれた汚れた手が、がっしりと自分の足首を掴んでいた。
「きゃあああああ!!」
沙都子の悲鳴が林に響き渡り、数羽の野鳥が一斉に飛び立つ。
「なあ、沙都子と梨花、捕まえたよ。……って、そんな大声出さなくてもいいだろ」
地面から起き上がり、服についた砂と葉を払いつつ、玥はやや不機嫌そうに言った。
「ち、違うわよ! なんでそんな捕まえ方するのよ!」
「み、みー……本当に怖かったのです……」
二人が頬を膨らませて抗議すると、玥は後頭部を掻きながら気まずそうに笑う。
「ちょっとした事故があってさ……流れでこうなった。
それより、次の捕まえ方なんだけど、いい案が――」
話を聞き終えた沙都子と梨花は、ふくれっ面から一転、悪戯っぽい笑みに変わった。
ちなみに玥の言う“事故”とは、
木の根につまずいて転倒し、そのまま腹ばいで前進して沙都子の足元まで行ったこと。
もちろん、さっきの台詞も地面に伏せたままだった――。
【圭一視点】
「くそっ……とっさに体育倉庫に逃げ込んだのはいいけど、
ここ、外が他学年の生徒に占拠されてるじゃねえか……」
圭一はそっと頭を出し、窓越しに外を覗いた。
そこには他学年の生徒たちがずらりと立ち並び、
沙都子と梨花に“人型監視カメラ”として洗脳されている。
標的を見つけ次第、大声で叫び、位置を知らせる役目だ。
「くそ……残り時間はあと十分。
十分間見つからなければいい……けど、見つかったら終わりだ」
――本当に、そんな簡単に耐え切れるのか?
圭一の脳裏をよぎるのは、
“全裸メイド服で登校させた張本人”という最悪の前例。
「だめだ……ここでじっと待つのは俺の流儀じゃない。
倉庫の中、隙間に入り込めば――」
その瞬間。
「……はくしっ!」
溜まった埃が鼻腔を刺激し、思わずくしゃみが出た。
音を抑えたつもりでも、静まり返った倉庫内では致命的だった。
「……バレてない、よな……?」
だが次の瞬間、窓際に二つの影が立ち、光を遮る。
輪郭はぼやけているが、双子のようにそっくり――沙都子と梨花だ。
「出てきて……遊ぼ……出てきて……」
感情のない、機械のような声が繰り返され、
圭一の背筋に冷たいものが走る。
――本当に、本人たちなのか?
その時、倉庫の引き戸がゆっくりと開き、
古いレールが耳障りな音を立てた。
わずかな隙間が開いた瞬間――
玥の顔半分が、ぴたりと貼りつく。
「Here's Johnny!」
恐怖が蛇のように足元から這い上がる。
圭一は口を押さえ、息を殺した。
やがて戸が完全に開き、そこには三人の姿。
「……誰もいないみたいだね」
「おーほっほっ、玥にも読み違いの日があるのね!」
沙都子と梨花の声だけが聞こえ、
肝心の玥の声が、なぜかしない。
「うーん……どうやら僕の勘違いだったみたいだ」
戸が再び閉まる音がして、圭一はようやく安堵の息をついた。
――その瞬間。
「……そう、だ、よ、ね? 圭、一、くん」
背後から、氷のように冷たい声。
振り返ると、
目の前一メートルもない距離に玥の顔。
紫の瞳が淡く光り、悪魔のような笑みを浮かべていた。
「うわああああああ!!」
魂の底からの悲鳴が、倉庫に響き渡る。
「……君たち、なんでそんなに叫ぶの。
あー、耳鳴りする……」
玥が耳を押さえる。
沙都子と梨花は既に耳を塞いでおり、無傷だった。
「はぁ……はぁ……心臓、止まったかと思った……
俺……生きてるか?」
膝をつく圭一の頭に、梨花がそっと手を置く。
「みー……ちゃんと、生きてるのです」
「くくく……圭一の情けない声、しっかり覚えておくわよ!」
その時、外から魅音の声が響いた。
「花壇でレナ見つけたよー!!」
四人は顔を見合わせ、
沙都子と梨花が真っ先に飛び出す。
玥は圭一を引き起こし、肩を叩いた。
「行こう。ゾンビの勝利のために」
「お、おう……ゾンビの勝利のために……!」
【レナ視点】
「さっき圭一の悲鳴が聞こえた……
ってことは、圭一もゾンビ。小魅も通報してきたし、たぶんゾンビ。
沙都子と梨花も……つまり、生き残りは私だけ……」
レナは校内を必死に走り、時間稼ぎを続けていた。
だが背後から迫る気配は増える一方。
次の角を曲がった瞬間――
本来後ろにいるはずの魅音が、正面に立っていた。
「だめ……ここで止まったら挟み撃ち。
小魅一人なら、かわして逃げられる!」
瞬時に判断し、
レナはボクサーのようにステップを切る。
魅音の反応が一瞬遅れ、
手が頭上をかすめる。
――今なら、アッパーを入れれば十秒KO。
だが、これはボクシングじゃない。
レナはその隙を抜け、校庭へ飛び出した。
しかし、それも長くはもたない。
五人が包囲網を形成し、じわじわと距離を詰めてくる。
「小玥も圭一も……怖いよぉ……怖いよぉ……」
「レナ、覚悟はいい? おとなしく食べられる準備」
「ははは! 約束通り、じっくり味わうよ!」
圭一と玥が迫る。
その時、レナの目に涙が浮かび、もじもじと口を開いた。
「も……もし、圭一なら……いいよ……
わ、た、し……食べても……」
瞬間、圭一は真っ赤になり、完全停止。
「だめだ……俺は紳士だ……!」
膝をつき、頭を抱えて葛藤する。
「圭一、何やってるの!」
包囲網に穴が空いた。
レナは一気に圭一の横を突破する。
――だが。
玥が一瞬で圭一の隣に移動し、
彼の腕を掴み、武術と力学を完璧に融合させ――
投げた。
「うわああああ!!」
圭一は空中で悲鳴を上げ、
ニュートンの第一法則に従って飛翔。
レナが振り返った時には、
二人は地面に倒れ込んでいた。
――男の上、女の下。
「け、け、圭一!」
「う……レ、レナ……?」
圭一が顔を上げた瞬間、
目に入ったのは真っ赤な顔のレナ。
理性が、限界を迎える。
「……圭一……手……」
「手?」
右手が、レナの胸に――。
「……あ」
完全石化。
次の瞬間。
「離しなさいいいい!!」
魅音の蹴りが炸裂し、
圭一は美しい放物線を描いて吹き飛ばされた。
遠くで転がりながら、
圭一は震える手で親指を立てる。
「……ありがとう、魅音……」
「なんで感謝されてるのよ!!」
魅音も顔を赤らめて叫ぶ。
レナは魅音に支えられ、
湯気が出そうなほど赤面していた。
そこへ玥が近づく。
「……レナ、大丈夫?」
「え……えっと……」
考えれば考えるほど、顔が赤くなり――
ついに“やかんが沸く音”。
その前に、魅音の拳が玥の頭に落ちた。
「調子に乗るな!」
「うぅ……」
頭のたんこぶをさすりつつ、玥は素直に謝る。
「怪我がなくてよかった。さっきは本当にごめん」
「う、うん! レナ、元気だよ!」
レナは両腕を上げてアピール。
玥は立ち上がり、魅音を見る。
獲物を見るような視線で。
「……そうだ。最後に一つ」
魅音の手首を掴み、静かに告げる。
「君はまだゾンビじゃなかった。
――捕まえたよ、魅音」




