第6話 クズな彼女に振る舞いたい
「お邪魔するよ、空見君」
宣言通り、名雲さんは夜の七時を過ぎた頃にやってきた。
相変わらずふくれっ面なのを見ると、怒りが持続するタイプらしい。
「私の料理をバカにした君が、一体どんな素晴らしいディナーを振る舞ってくれるか楽しみで仕方ないねぇ? ふんっ」
鼻をフンフンと鳴らしながら座卓の前に腰を下ろす名雲さんは、何だかご機嫌斜めな犬みたいでちょっと面白かったけど。
「もう殆ど完成しているから、すぐに出せるけど」
「もちろん、すぐに頂くよ。そして完食して十万円を片手に家に帰るからね!」
「フードファイターしか言わない台詞だ……まあ、味は期待しないでくれ」
俺は調理の最終工程を終えて、食器に盛り付けていく。
そして順番にテーブルの上に並べると、名雲さんは微妙そうな顔を浮かべた。
「ミートソースパスタに、シーザーサラダとコーンスープ……? んー、パスタ屋さんの定番セットみたいで悪くは無いけど」
「ん。食べられない物とかあったか?」
「そうじゃないけどさぁ……まあ、いいや。いただきます」
曖昧な表情の理由を話さずに、名雲さんはフォークを手にパスタを食べ始める。
すると、その顔に明らかな驚きが滲んだ。
「これって、もしかして」
彼女は小さく呟いて、サラダとスープも一口味わう。
俺には分からなかったが、どうやら名雲さんは何かの答えを見つけたみたいだ。
「ミートソースも、サラダも、スープも……全部手作り? 既製品で済ませたのかと思って、正直言ってがっかりしたんだけど。ほ、本当に?」
「うん。パスタ以外はちゃんと自分で作ったぞ。とは言っても、ミートソースはひき肉とトマト缶に玉ねぎとニンニクを入れた簡素なものだし、サラダも野菜の種類は少ない。スープは潰したとうもろこしと牛乳を混ぜて、濾して調味しただけ。手抜きばっかりだよ」
「流石にドレッシングとこの小さいサイコロみたいなのは既製品、だよね?」
「いや。シーザードレッシングはマヨネーズベースなら簡単に作れるし、サイコロことクルトンも食パン一枚でいっぱい作れるよ。今回はスープにも使うから自作してみた」
説明し終えると、名雲さんは唖然とした様子で俺を見ている。
もしかして、引いた?
それとも『変なこだわりを持っていないで、その二億円を使って既製品を買いなよ。ケチ臭いね、君は』ということだろうか。
不安が胸に広がり始めた、その時だった。
「すごい! 本当にすごいよ、空見君!」
名雲さんの輝く目が、俺の心に陰った不安を吹き飛ばしてくれた。
「便利とインスタントに溢れている現代で、わざわざ手作りするなんてすごく素敵だと思う! 二億円の貯金があるんだから、それを使って既製品を買いなよ。ケチ臭いって思った自分がちょっと恥ずかしい!」
出会って二日なのに、名雲さんへの解像度が高い自分が怖い。
苦笑している俺に気付かず、彼女は話を続ける。
「……本当に、空見君はすごいよね」
「別に料理ぐらいは今時ネットでレシピも調べられるし、何もすごくないよ」
「そうじゃなくて。私のバカみたいな提案に付き合ってくれて、しかも真摯に向き合ってくれていること。ねえねえ、君はどうして私に優しくしてくれるのかな?」
お前が脅してくるからだろう。って、一蹴すれば良かったのに。
俺の頭に浮かんでいたのは、今朝の光景だった。
台所で朝食を用意するその背中と、味は濃かったけど手作りの料理。
動機は不純でも、彼女が俺にしてくれたこと。それを無碍にしたくなかった。
「……別に。朝食代を返すために作っただけだ。それに味に自信はあったし、十万円を持っていかれるわけがないと思ったからな」
「なるほど。確かに君の言う通りだ。文句が一切無い、とってもおいしいご飯だよ、空見君。それじゃあお言葉に甘えて、朝食のお礼っていうことで残りを食べちゃってもいいかな?」
「ああ。量が結構あるから、無理して全部食べなくてもいいけど」
「食べるよ、絶対に。こう見えて私は、結構食欲旺盛な女子なんだ。あはは」
名雲さんは言葉の通り、あっという間に三品全て食べ終えてしまった。
作り終えてから俺基準の量だったことに気付いて焦ったのだが、どうやら杞憂だったらしい。
無駄にならなくて良かった。
「ごちそうさまでした! って、あれ? 空見君は食べてない……よね?」
「ああ、いいんだ。今日は賞味期限間近の冷食があるから、それを片付けるつもりだったし。気にしなくていいよ」
「そう? あ、それなら言ってくれれば『はい、あーん』的なイベントをこなせたのに残念だったね? 全世界の男子が待望の定番イベントだよ?」
「どうせ金を取るんだろ。一回いくらだ?」
「そうだなあ。千円くらいでどう?」
「メイド喫茶でオタク相手にぼったくっても良心が痛まなさそうだな、お前。悪辣メイドになれる素質あるぞ」
「えー? 店に中抜きされるから嫌だよ。君専属のメイドさんとして雇ってくれるなら、やぶさかでもないけど?」
「どうせ相場の倍以上の給料を要求するだろ。食べ終えたならさっさと帰ってくれ」
名雲さんは渋々といった感じで立ち上がり、帰り支度を始める。
俺たちは恋人じゃないし、名雲さんはメイドさんでもない。
長居する理由は一切無いんだから、当然のことだ。
「名雲さん。帰る前に、これ」
靴を履き終えた彼女に、俺は薄い茶封筒を渡す。
「え? え? どうしたの、急に? お給料かな?」
「いいや、違う。今日のメニューは殆ど家にある食材で済ませたから、お金をかけてないんだ。朝食代との差額を大まかに入れておいたから、受け取ってくれ」
「やったー! ありがとう! まさか一万円も貰えるなんて思わなかったよ!」
「そんなに入れてないが!? もっとささやか金額ですけど!」
「ふふっ、冗談だよ。だけどこれで君は、私と初めて金銭のやり取りをしたわけだね。空見君通帳にちゃんと記帳しておかないとだ。二人きりでご飯を食べてお金が貰えるなんて、世の中の女子はこうやって楽に稼いでいたんだなあ」
「そんなピュアなパパ活はもう絶滅していると思うから、間違ってもそこら辺のオッサン相手に同じ方法で稼ごうと思うなよ?」
「しないよ、そんなこと。私は君以外の男からお金を貰わないって決めているからね」
うん? 一瞬、いい言葉に聞こえたけどそんなことないな?
私のATMはお前だけだぜ! って、宣言しているようなものだし。
「それじゃあ空見君、またね。朝食作りはもうちょっと君の事を理解してから、リベンジしにくるから待っていてねー!」
軽快な足取りで、名雲さんは帰って行った。
一人きりの部屋に、静寂。使われて汚れた食器と、僅かに残る他人の匂い。
両親と別々に暮らすようになってからは、一人で居るのが当たり前だった。
耳が痛くなるような静けさも、一人で居ることも慣れてしまった日々。
名雲さんのせいで、すっかり忘れていた切なさを思い出してしまった。
「……最悪な女だ、全く」
それでも俺は食器を洗いながら、食事中の名雲さんのことを思い出す。
手作りだと知って驚いてくれたこと。簡単な料理だけどおいしいと言ってくれたこと。
誰かに食事を振る舞うなんて、初めての経験だったから。
拒絶されなくて済んだことだけは、本当に良かったと思う。
「あ、そうか……」
水道の蛇口を捻りながら、名雲さんに言ってしまった言葉を思い出す。
味はおいしい。でも全体的に味が濃い、って。
彼女と同じ立場、作る側になって気付いた。余計な一言で相手が心を痛める可能性を。
下心丸出しの相手とは言え、絶対に言うべきじゃなかった。
「もしも、次の機会があるなら」
無いとは思う。無くていいとも思う。
でも、何かが間違って名雲さんの料理を食べることがあったとしたら。
ただ純粋に、「おいしい」って言葉だけを伝えよう。
何となく、そう思ったんだ。




