第47話 彼女を、待つだけ
「さて、一世一代の賭けだな。これは」
駅前の小さな公園の、その一角に置かれた一人用のベンチ。
俺は家に帰ることを止めて、制服姿のままそこに腰掛けていた。
公園には珍しく小さな喫煙スペースが設置されているせいか、午後八時を回った今でも一服するため訪れる人が多いせいで、静けさとは無縁だった。
「アテが外れたら、今日はここで野宿だな」
制服のポケットにねじ込んだペットボトルのお茶を取り出し、一口飲む。
隣の喫煙スペースから流れてくる、様々なたばこの臭いで味が分からない。
しかし近頃、めっきり寒くなってきたな。
土地柄というのもあるかもしれないけど、防寒着の一つも欲しくなるほど、頬を撫でる風が冷たい。
「返事は……やっぱり来ないか」
名雲さんから連絡を受けてから、何度かメッセージを送ってみたものの。
読んだ形跡はあっても、短い言葉はおろかスタンプすら返してくれない。
このままじゃ帰れないし、せめて一言だけでもくれればいいのに。
そこから三十分が経った。
公園からは人が減り、次第に大通りを歩く人もまばらになっていく。
時と人だけが流れていき、スマホの表示時刻は午後九時をとうに過ぎていた。
「……ダメか。流石に、これ以上待っても」
「本当にバカすぎるでしょ、君は!」
公園の中に、一台のシティサイクルが猛スピードで突っ込んできた。
けたたましいブレーキ音を響かせて、スタンドもまともに立てないまま乗り捨てた自転車は、砂利の上を無様に転がる。
その自転車の持ち主である少女が、俺の顔を見ながら困ったように叫んだのだ。
「やあ、名雲さん。来てくれると信じていたぞ」
名雲夏菜。今は学校を休み、親の都合で遠方に滞在しているはずの同級生。
どうしてそんな彼女が、俺の目の前に居るのか。
答えは、簡単だ。
「私は君が来てくれるとは思っていなかったよ!? とっても迷惑なサプライズをしてくれてありがとう! 今何時だと思っているの? さっきまでホテルでうたた寝していた私にさせる運動にしてはハードすぎるでしょ! 大体そんな気軽にここまで」
「悪かったよ、急に京都まで押しかけて」
そう。名雲さんが俺の目の前にやってきた、というわけじゃない。
俺が名雲さんに京都まで会いに行き、迎えに来てもらっただけだ。
***
伊藤への反撃を終えて、名雲さんから電話が来たのが午後四時半ごろ。
俺は海瀬に事情を話し、名雲さんが今どこに居るか心当たりが無いかを尋ねた。
いつもの海瀬なら、大切な幼馴染の個人情報を俺に喋ろうとは思わなかったはずだ。
だけど、名雲さん自身がそれを後押しした。
「……お前にさようならって言ったのに、アタシには一言も無しかよ」
海瀬は深い溜息を吐いて、その目に悔しさと悲しみを滲ませていた。
大親友に自分よりも優先する誰かが居たことが、相当なショックだったようで。
だけどその感情も、すぐに別の色に変わる。
「ふざけんな! 幼稚園年長からの付き合いなのに、なんでまだ出会って半年も経っていない空見にだけ言うんだよ! なーちゃんのバカ!」
なーちゃん、とは恐らく名雲さんのことだろう。
二人で一緒に居る時だけに、呼び合っているのかもしれない。
その声には強烈な怒りと嫉妬心と、俺への敵対心が籠っていたけれど。
「空見ィ! アタシの大バカ幼馴染に、一発かましてこい! 今すぐ! 行けぇ!」
「え、ええっと……でも、どこに居るか分からないし」
「京都だよ! なーちゃんは昔から、母親と一緒に突発的な帰省をすることがあったんだ。今回も親同伴なら、間違いなく京都に居る! だからさっさと行ってこい!」
海瀬は俺の背中を思いっきり引っ叩いて、無理やり送り出す。
「京都に行って連絡すれば、なーちゃんは迎えに来てくれる! 心配性だからな! 帰ってきたらアタシと手賀さんで片道切符くらいは立て替えてやるから!」
「ほぁっー!? う、ウチも払わないといけないの!? お、推しに七色の景色を見せるために、今日はコンビニで五桁のプリペを買う予定だったのにぃ……」
巻き込まれた手賀先輩は本気で涙と鼻水を流している。不憫な人だ。
ここまで言われて、その提案を渋る理由は無い。
「ありがとう、行ってくる! 絶対に名雲さんと話をしてくるから!」
「空見ちゃん、これ受け取って!」
駆け出そうとした俺に、手賀先輩が何かの鍵を投げてくる。
小さな白いクマのぬいぐるみの付いた、自転車の鍵だ。
「それ使って! 二年生の駐輪場にある、目立つピンク色のクロスバイクだよ!」
「ありがとうございます! 手賀先輩の推しカラー、ですね?」
「ふひひ、その通り! 今からバスを待って駅行くとめちゃくちゃ時間かかるから! 大切な誰かを迎えに行く時に、止まっている時間なんて勿体ないからね!」
俺は鍵を握りしめ、二人に拳を突き上げてから走り出した。
そこからのことは正直、あまり覚えていない。
教室に行って鞄を回収して、自転車に跨って、十分足らずで駅に着いて。
最速ルートを考えて電車を乗り継ぎ、新幹線に飛び乗った。
そしてこの公園で待っていることを、名雲さんに伝えたのだった。




