幕間 私は、君に伝える
「……本当に、面白い男の子だよね」
夕方。安いビジネスホテルの一室。
私は部屋の中でテーブルに肘を置き、スマホの画面を眺めながら呟く。
母の都合で急に京都へ連れ出され、学校を休んでから三日が経った。
出発前夜の日曜に、クラスのトークグループに不快な盗撮写真が貼られたことを思い出す。
「小学生の嫌がらせみたいだったけど、思春期真っ最中の男女には効いたよね、あれは」
人はいつだって身近なスキャンダル、ゴシップというものに飢えている。
テレビや動画サイトで良く見る存在が、不倫や犯罪をしたら急激な勢いで話題になるのは、誰しもが持っている下衆な興味心があってのことだ。
まさか私がその対象になるとは思わなかったけど。
「ある程度、自分で対処方法は考えていたけど……こういう形で収めてくれる方が、誰もが幸せになれるよね」
既にその写真はグループから削除され、代わりにある女子の長文での謝罪が載せられている。
『日曜日に貼った写真は私が撮影したもので、アップしたアカウントは私のサブアカです。面白半分で空見君と名雲さんに酷いことをしてしまいました。また、クラスのみんなにも誤った情報を拡散してしまい、反省しています。ごめんなさい』
本当はもっと長い文章だけど。
遠回りかつ、不要な箇所を添削すると、彼女……今回の騒動の仕掛け人である、伊藤さんの謝罪はこんな感じだ。
彼女の性格上、罪悪感から心を入れ替えてこんなメッセージを送ってきたわけじゃないだろう。
例えば、そう。
この騒動に巻き込まれ、不快に感じた誰かに、何らかのネタで強請られでもしない限りは、『ごめんなさい』の一言すら発しない女だ。
「私が当事者なのに、私が居ないところで解決しちゃってさ。本当に、ほんと~~~に、お節介な人だなぁ。ふふっ」
私はスマホをテーブルに伏せて、ダブルサイズのベッドに寝転ぶ。
目を閉じると、一人の男子の顔が思い浮かんでくる。
どうしてだろう。この前、朝から夕方までずっと君の隣に居たから?
会っていない時間が増えれば増えるほど、君のことを考える時間が増えていく。
「……ねえ、空見君。君がこの事件を解決してくれたのは、どうして?」
本人に届くわけがない、小さな呟き。
自分自身が巻き込まれたから、それが嫌だったのかな?
それとも、美波ちゃんに協力を請われたから?
あるいは偶然、伊藤さんの弱みを握れたから、突発的に動いた?
でも、そうじゃなくて。
「私のために……私を助けるために、奔走してくれたなら」
考えるだけで、全身が熱くなっていく。
つま先から頭の天辺まで、熱いシャワーをかけた時みたいに。
暖房が弱いこの部屋で、身体を温めるための妄想にしては過熱すぎる。
全く、もう……空見君は来世でエアコンにでもなっちゃえばいいんだ!
「だけど伊藤さんも、もう少しやり方があっただろうに」
冷静さを取り戻すために、私は嫌いな女子のことを考える。
伊藤さんはプライドが高い。
だから私が以前、彼女が狙っていた空見君に対して関係の優位性を見せつけたことで、私を『敵』だと認識したのだろう。
いつか仕返しをしてやろうと思っていたところに偶然、駅前を歩く私を見つけた。
「ラブホテルの前で立ち止まったのは、私の落ち度だったかな」
空見君と駅前でバイバイしてから、頭の中がぽわぽわしていて。
スマホの買い物メモを見ようとしたら充電切れに気付いて、バッテリーを取り出す間に私を目撃した伊藤さんに……本当、笑えるくらい間が悪い。
「でも、本当は違うんだよね」
鷹森高校の文化祭で空見君と過ごしている時に、見知った姿があった。
向こうも私に気付いていたみたいだけど、互いに無視を決め込んだ。
そう。伊藤さんは偶然駅前で私を見つけたわけじゃない。
文化祭で私を見つけてから、私と空見君の隙を窺っていたんだ。
「私に対する敵意と、空見君への執着心が強すぎるでしょ。小学生の頃に好きだった男子と高校で再会出来て、そんなに嬉しかったのかな?」
私は伊藤さんへの反撃に備えて情報を収集していた際に、空見君と伊藤さんが実は同じ小学校に通っていたことを知った。
中学は違ったみたいだけど、当時の伊藤さんを知る別のクラスの女子から、面白い話を聞けたっけ。
「まさか小学一年生の時に空見君に片思いをして、高校で再会するまでの九年間、ずっと好きだったなんてね。意外と可愛いところがある」
入学してすぐに空見君の存在に気付き、舞い上がった彼女はその初恋エピソードを小学校からの唯一の友人に熱く語ってしまったらしい。
しかし接点が出来ないまま二学期になり、空見君のイメチェンをきっかけにようやく声を掛けることが出来た。でも。
空見君は伊藤さんをすっかり忘れていて、恋リアでも有り得ないような劇的な展開は起きなかった……と。
「そこに私が『敵』ならぬ、『恋敵』として現れたら、必死にもなるか」
純粋なはずの片思いが、歪で醜いものに変わってしまったのは、伊藤さんが中学時代と高校入学直後に悪い遊びと人付き合いを覚えてしまったせいだろう。
男を軽んじて、自分に価値が生まれれば靡く。
あの厚化粧と高圧的すぎる態度は、まさにその賜物だ。
「でも残念だったね。空見君は厚化粧で派手なギャルじゃなくて、私みたいに化粧もネイルもそこそこの、ちょっと清楚な感じの女子が好きなんだよ」
言い終えて、私は自分の発言に苦笑する。
こんなの、大好きな彼氏の自慢をする女の子みたいじゃないか。
それに思い上がりもいいところだ。
私と空見君は付き合っているどころか、互いを好きだなんて言い合ったことすらない。
「私だって、ただのヘタレだ」
伊藤さんをバカにすることは出来ない。
彼との時間、築き上げた関係を壊したくなくて、一歩すらも踏み出せないんだ。
私にもう少し。せめて半歩ずつでも前に進められれば。
「空見君と二度と会えなくなる前に、何かが変わったかもしれないのに」
会わなくなった時に、ようやく気付いた。
会えなくなった今は、もう届けられないけれど。
この胸の奥いっぱいにじんわりと広がっている、幸せな気持ちの正体は。
人はきっと、これを。
「今すぐにでも会いたいよ、冬斗」
日が傾き、すっかり冷たさを取り戻しつつある部屋と身体。
私は照明を点けることもなく、再びテーブルに戻ってスマホを手に取る。
そして彼のアカウントを表示して、通話を押す。
最後にこの想いではなく、さようならを告げるために。




