幕間 私はきっと、君といっしょに
「うーん……困った」
空見君と文化祭を過ごした、その日の夜。
私は自室のベッドの上で、一日を振り返って高揚感と安心感、そして仄かな恐怖心に包まれていた。
「あんなお化け屋敷、行くんじゃなかった」
ベッドに寝転がり、非現実なあの時間を思い出す。
ただ人を怖がらせ、人に忘れられないためだけに生まれた怪奇。
私は目隠しをされていたせいで、直接的な『何か』はほぼ見ていないけど。
ヘッドフォンからは延々と、女の呻き声と――。
カエシテ。
と、縋るような言葉が繰り返され続けていた。
「どうしてこういう日に限って、お母さんは実家に帰っちゃうのかなぁ」
母は昨日の夜から、京都にある実家に戻っていた。
親戚の集まりに参加するためだ。
仕方ないことだと分かっているけど、理不尽な怒りと心細さが沸々と湧いてくる。
「だって仕方ないよね……空見君の、知らない顔を見たかったから」
私はまだ、彼と過ごしてから一か月ちょっとしか経っていない。
美波ちゃんや手賀先輩が知らないような、彼の表情を知りたかった。
初恋を患った女の子みたいだなと、つい自嘲してしまう。
「これは恋じゃない。私は彼を利用するために、彼を知りたいだけ」
言い聞かせて、スマホのトークアプリを開く。
まだ真っ白なトーク画面。ここで空見君と交わした言葉は、まだ無い。
「……十一時だ。電話、来るかな」
とりあえず五分待ってみる。来ない。じゃあ後三分追加してあげよう。来ない。
もしかして、寝ている? 私がこんなに怖がっているのに?
そうだとしたら、本当にバカだ。空見君は乙女心を分からない、大バカ男子だ。
「冬斗君の、バカ」
本人に届かない言葉を呟いて、ふて寝をしようとする。
寝られるわけがない! 電気を消したら、あの声がフラッシュバックしそうで。
諦めて自分から通話をかけようと、ボタンをタップすることを決めた時。
「来た!」
ディスプレイに、空見君の名前と着信通知が表示される。
落ち着け。ワンコールで出たら私が待っていたみたいじゃないか。
あと二回くらいコールされたら、通話に出よう。高度な駆け引きだ。ふふっ。
「はい、もしもし?」
三度目のコールが終わってすぐに、私は応答してあげた。
『……名雲さん、起きていたか?』
平静を装った、彼の声が聞こえた。私はスピーカーモードにして、いつもの調子で返事をする。
「うん。君が怖がって電話をしてくると思ったから。起きていてあげたよ?」
『随分と余裕そうだな。せっかく電話をしてあげたんだから、感謝してくれよ』
「それはこっちの台詞だよ。いざ寝ようとしたら、あのお化け屋敷での出来事を思い出して怖くなっちゃったんだよね?」
からかってみせると、スピーカー越しに溜息が聞こえた。
『まあ、俺は大丈夫だけどさ。名雲さんも平気なら、もう切ってもいいか』
「……うん? 君は私と記念すべき最初の通話を、こんな雑に終わらせる気? 女子と夜に楽しくお喋り出来るなんて、今後の人生で無いかもしれないよ?」
『余計なお世話だ。逆に聞くけど、名雲さんは男子と夜に通話したことあるのかよ』
頭の中に、いくつかの選択肢が浮かんでくる。
もう何度もやったことあるよ。
中学時代に、彼氏(嘘)と毎晩していたけど?
内緒だよ。空見君には絶対教えてあげない。
どれを選べば、彼から面白い反応を得られるかな?
だけど私は、気付いた時には――。
「君が初めてだよ、空見君。だから結構、ドキドキしているかも」
こんな夜だからか。あるいは、恐怖心がそうさせたのか。
選択肢に無かったはずの、素直な気持ちを漏らしていた。
『……そうか。それなら、良かったよ』
良かった? それって、どういう意味なのかな。
私が君にとって、初めての相手だったから?
それとも、合間を埋めるために何となく返事をしただけ?
知りたいな。でも、そこまで甘えるのは私のキャラじゃないから。
「せっかくだから雑談でもしようよ。お互い、ちょっと眠くなるくらいまで」
『金額によるな。名雲さんのことだから、無料ってわけじゃないだろう?』
「鋭いね。そろそろ私のことを分かってきたみたいじゃないか」
本当は、お金なんて一円も取る気はないけど。
結局私と空見君は、お金という繋がりしか無いのかもしれない。
「だけど私は時間外労働をしない主義でね。この通話は特別に、無料ってことにしてあげる。どうかな?」
『それは助かるな。そういえば名雲さん、俺と解散した後に何を買いに行ったんだ?』
「女の子には男子に言えない買い物が多いんだよ? 追加料金次第で教えるよ」
『そこはオプションサービスなのかよ。まあ、本当に聞こうとは思わないけど』
空見君の声が柔らかくなってきて、何だか安心してしまう。
やっぱり私たちはこの距離感と、関係性が一番いいのかもしれない。
「じゃあ晩ご飯の話でもしようよ。空見君は何を食べたの?」
『無料で教えてやるよ。大盛りの焼きそばを食べた』
「君、文化祭で食べたそうにしていたもんね。大行列で諦めていたけど。ちなみに私はふわふわのオムライスを作って食べたよ」
『それも文化祭で食べ損ねた物じゃないか。お互い考えることは同じだな。あはは』
ちょっとした共通点に、嬉しくなってしまう自分が居た。
私も焼きそばを食べれば良かったな。そうしたら、もっと笑ってくれたかもしれない。
***
それから私たちは三十分ほど、何てことない雑談を続けた。
次第に彼の声が小さくなっていって、語調が緩まる。
「そろそろ眠くなってきた? 私の声を聞いて、安心したのかな?」
いつもしているような、からかい。
当然、彼もいつものように躱してくると思ったけど。
『……ん、ああ。名雲さんの声を聞いていたら、怖くなくなってきた。ありがとう』
少し寝ぼけているような声で、素直な感謝を伝えられて。
急激に身体が熱くなる。不意打ちなんて……ずるいよ、空見君。
「そっか。私もそろそろ眠くなってきたから、通話を切ろうか?」
『そうだな……今日は朝から夜まで付き合ってくれて、楽しかったよ。おやすみ、夏菜』
「うん、おやすみ……え? い、今私のことを名前で……? あっ」
それに気付いた時には、もう通話は切れていた。
何なの。何なの、空見君は!
普段は面白男子のくせに、寝ぼけている時は素直な良い子すぎるし、私のことをうっかり名前で呼んで来るし!
「もしかして、一人の時は私のことを名前で呼んでいるのかな」
私が通話前に冬斗君、って呼んだように。
私だって楽しかった。私だって怖くなくなった。
ちゃんとそれを伝えておけば良かった。
「冬斗君って言ったら、彼の眠気も飛んでいたかな」
照明を常夜灯にしてから、布団を被ってシンキングタイムが始まる。
困った。もう全く怖くないのに、逆に目が冴えちゃった。
本当に酷い男の子だ。私はまだ起きているのに、一人で寝ちゃって。
「次会った時は、いつもの百倍からかってやるんだから」
身勝手な恨みを抱いて、身体が火照りを失う頃には、すっかり瞼が重くなっていた。
来年の文化祭も、彼と一緒に回れたらいいな。
どうか、このまま穏やかに一年が過ぎていきますように。




