第38話 彼女と魔法にかけられて
「俺は歩いて帰るけど、名雲さんは?」
「私も歩いて帰るよ。だけど駅前で買い物をしようと思っていたから、ここで解散かな」
これが恋人相手なら、その買い物に付き合って家まで送り届けるべきなんだろう。
そんなことを想像していると、名雲さんはいつも通りの意地悪な笑顔を浮かべる。
「最後に一つだけ、女子の望む言葉をことごとく外し続けた君に、挽回のチャンスをあげようかな」
「……正解のご褒美は? 合鍵を返してくれるのか?」
「それは正解してからのお楽しみだよ。ねえ、空見君。今日は私と過ごせて……どうだった? 普通の高校生が過ごすような時間や、不思議な体験。とっても濃密な一日は、君の心にどんな感情を教えてくれたのかな?」
まるで、テストで赤点を取った後の補習みたいだ。
バスの中で似たような会話をしたけれど、今回は質問が少し違う。
点数や価値ではなく、感情。金と脅しで繋がっている俺たちには、本来不要なものだけど。
「楽しかったよ。高校生になってから、今日が一番楽しかった」
俺は余計な駆け引きを忘れて、掛け値のない言葉を名雲さんに伝えた。
どうせまた、名雲さんはからかうような笑顔になるんだろうなと思っていた。
でも、今回ばかりは違ったんだ。
「私も。人生で一番楽しい一日だったよ、空見君」
名雲さんと過ごすようになってから、初めて見る照れ顔。
普段は俺とのやり取りで主導権を握るかのように、一歩先で余裕そうに笑う彼女とは全く違う表情だ。
「……そういう顔、出来るんだな」
「失礼だな、君は。私は愛され優等生を演じている一方で、中身は普通に女の子なんだよ? 空見君の前ではシニカルなことも言うけど……素の私は、君が思っている以上にありふれた女の子でしかない」
そう言って、名雲さんは俺の手を優しく握った。
中秋の夕方には不釣り合いなほど、強い熱を帯びている。白くて細い、柔らかな手。
「これがご褒美。女の子の温もりと柔らかさとは縁遠い空見君に、ちょっとだけおすそ分けしてあげるね」
「……ありがとう。だけど駅前でこんなことをしていると、同級生に見られるぞ」
「ん。それもそうだね。じゃあご褒美タイムは終了です」
本当に他意が無かったかのように、名雲さんはあっさりと手を離した。
何となく、黙り込んでしまって。何となく、別れるのが惜しい。
それでも俺たちは、友人でも恋人でもないから。
「またね、空見君」
「ああ。名雲さんも気を付けて」
買い物に向かう名雲さんの背中を見送って、俺は踵を返す。
ふと、とある言葉を思い出す。
高校生の男女というのは、思春期特有の魔法にかかるそうだ。
日常と非日常を交互に共有することで、唯一無二の相手だと思ってしまう。
その魔法にかけられてしまえば、二人の距離は急激に近づくのだとか。
その魔法の名は――。
「文化祭マジック、ね」
もしかしたら本当に、魔法は存在するのかもしれない。
もしも俺たちがただのクラスメイト同士で、変な因縁も無かったら?
知り合いから、友達に。友達から、恋人になっていたかもしれない。
有り得たかもしれない、別の未来。
そんな妄想も家に着く頃にはすっかり吹き飛んでいてしまっていて。
俺たちはまた、明日からいつもの『関係』に戻るのだろう。




