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第28話 彼女が、照れて笑った

「名雲さん……? 先輩って? 手賀先輩のことか?」


「あー、うん。そうそう。手賀先輩が図書室の施錠を任せたいから、戻ってきて欲しいって言っていたよ。完全下校時刻が迫っているから、急いだ方がいい」


 おかしいな。手賀先輩はもう帰っているはずだけど。

 それでも言われるがまま図書室に戻ろうとすると、先ほどまで喋っていた女子が俺に向かって「ちょっと!」と声を荒げる。


「悪い。図書委員の仕事があるからまた今度にしてくれ。じゃあな」


 まだ後ろで何か言っていたが、俺は無視して階段を上った。

 急ぎ足で図書室に到着すると、様子がおかしい。

室内の照明が消えていて、人の気配が無い。司書さんが施錠する直前、という雰囲気だが。


「あれ? おかしいね。手賀先輩は帰っちゃったのかな?」


 入口で立ち尽くしていると、少し遅れてやってきた名雲さんが、背後から俺の背中を突きながら声を掛ける。

 そして後ろ手で入り口を閉めて、俺たちは薄暗い室内に二人きりになってしまう。


「……名雲さん? もしかしなくても、さっきの話って」


「うん? 嘘だよ? でも手賀先輩に施錠を任されたのは本当だけど」


 名雲さんはポケットから図書室の鍵を取り出し、俺に見せてくる。


「どうして名雲さんが? 接点があったのか?」


「無いけど、下駄箱で声をかけられてね。後輩に鍵を預けるのを忘れたから、届けて欲しいって。手賀先輩、何だか意気消沈した様子で辛そうだったから引き受けちゃった」


「あー……何か、今日の俺を見てがっかりしていたみたいだ。海瀬にも変な顔されたし、やっぱりこの髪型って似合っていないのかもな」


「そうかもね。私がちょっとアレンジしてあげよう。少し(かが)んでくれる?」


 言われるがまま、少し膝を折ってみると。

 名雲さんは俺の髪の中に細い指を入れて……そして。


「えいっ」


 縦横無尽に指を動かし、一時間かけてセットした髪を()()()()()()にした。


「うわぁ!? な、何をするんだ!?」


「ふふっ、セットが台無しだね。前の髪型に戻っちゃった。これなら誰が見てもお洒落に気を遣っていない男子そのものだ」


「……お洒落に気を遣えって言ったのは、名雲さんのはずだけど」


「そうだっけ? でも、毎朝早起きして髪をセットする君よりも、やっぱりこっちの方が自然体で魅力的だよ。私は今の君の方が好き」


 言いながら、名雲さんは俺の髪に指を巻きつけながら遊び始める。

 さっき、クラスの女子にも褒められたけど(褒められたよな?)、名雲さんの短い言葉の方がよっぽど嬉しく感じてしまう。


「そっか。じゃあ、髪をセットするのは休日に遊びに行く時だけにしようかな」


「それがいい。君にそんな相手が居るかどうかは、別としてね」


「わざわざ刺す必要あるか? ところで名雲さん。一つ聞いてもいいか?」


「何かな? 今の私は機嫌がいいから、一つだけ答えてあげよう」


「さっき、どうして俺を()()()()()()んだ?」


 ただでさえ静かな図書室が、より深い沈黙に包まれてしまった。

 それでも答えると言った以上、彼女は自分に嘘を吐かなかった。


「……君を、名前で呼びたかったから。それだけ」


「いや、脈絡が無いだろう。どうして急に名前を呼んだのか教えてくれよ」


「ダメです。答えるのは一つだけって言ったよね」


「まあ、別にいいけどさ。それより、図書室の施錠をして帰ろうぜ。もう司書さんは帰っちゃっただろうから、職員室に返却に行かないといけないし」


「私も一つ、君に聞いてもいい?」


 立ち上がった俺に、名雲さんが尋ねてくる。


「空見君は私を……名前で呼んでくれないの?」


 どういうことだ。率直にそう思ったけど、言葉は呑みこんだ。

 だって、名雲さんの声は震えていたから。

薄暗い部屋の中で、彼女の表情は確認出来ないけど。

 今の質問をする時に、彼女が不安を抱えていたことだけは分かる。


 だから、俺は。


「夏菜がそうして欲しいなら、そうするけど」


 不自然にならないように。当たり前のように。

 彼女がさっき、俺を名前で呼んだ時のように。

 初めて、その名前を口にしたのだった。


「……えへへ」


 出会ってから今まで、彼女の笑い声は何度も聞いてきた。

 だけどこの瞬間に聞こえた笑いは、気の抜けたもので。

 小さな子供が親に褒められた時のような、照れが混じった笑いだった。


「君が女の子を名前で呼ぶの、ちょっと似合わないね」


「そうかよ。じゃあ今まで通り、苗字で呼び合うか」


「そうしよう。空見君に名前で呼ばれると、心臓に悪いから」


 失礼すぎるだろ。さっきのは照れ笑いじゃなくて、引き笑いだったか?

 溜息を押し殺しながら二人で図書室を出ると、先に廊下に出た名雲さんが楽しそうな顔で俺に言う。


「でも、たまにはこういう遊びも楽しいかもね。冬斗君?」


「周りの思春期男女たちに疑われるから、学校では止めてくれよ。夏菜?」


 互いをからかうように名前で呼び合って。

 一歩間違えたら違う関係に見えそうだなと、思ってしまう。


 金と脅しで繋がっている関係なのに、これだとまるで――。


 いや……その続きを口にするのは、自惚れにも程があるな。


***


 こうしてイメチェンは不発に終わり、翌日から俺はいつもの髪型に戻した。


「隣の席に陰キャが居て安心するわー。お前はそっちの方がいいよ、空見」


「ウチの可愛い後輩が闇の世界に帰ってきた! お姉ちゃんは一安心です!」


 海瀬と手賀先輩からは、思った以上に好意的な反応を貰えて笑ったが、それ以上に例の女子生徒が全く声を掛けてこなかったのが面白かった。髪型を戻した俺は、全くツボじゃないらしい。

 だけど知らない相手から褒められるより、知っている人に喜んで貰えればそれでいい。


「……ところで、俺のことを前から好意的に見てくれている女子はどうしたんだ? 本当に存在しているのか?」


 下校途中。今日も途中で合流してきた名雲さんに尋ねたけど。


「もちろん、存在しているよ。ヒントをあげるなら……割と身近に居る、とだけ」


「学年が同じっていうことか? クラスは一緒?」


「それは内緒。頑張って探してみなよ、冬斗君」


 結局、いつもの調子ではぐらかされてしまった。


 卒業までに見つかるといいな、俺の隠れファン。




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