第3話 クズな彼女は聞いてみたい
「……どうやら父は、高額当選以上にこの生活を辞められることが嬉しかったみたいだ。母も同じで、その言葉を聞いて幸せそうに何度も頷くだけで。俺だけが違う方向を見ていたみたいで、流石にショックだったな」
「それで? 合意の元に一家離散となったわけかな?」
「いや、当初の予定通り俺が高校を卒業するまでは現状維持になった。ただ、三人とも暮らしている家は違う。俺は中学卒業と同時に父の名義で借りたこのアパートで一人暮らし。父は以前と同じ家に居て、母も市内で好き勝手に別居生活をしているらしい」
宝くじが当たったあの日から、家族三人が集まったのは一回きりだし、良く知らない。
「全員別の人生を歩んでいるようなものだし、さっさと正式に離婚すればいいのにって本気で思うが……大人には大人の都合があるんだろう」
「つまり君も、高校一年生にして人生をFIRE出来るくらいの貯金を得たということだね。悲しいことに、家族の絆を犠牲にして……」
「絆は元から無かったけどな。だから悲しくないのは本当だよ。虚しさと金だけが残ったっていうか……うん、そんな感じだ」
上手く言語化出来ないけど、諦めが付いたというのが一番近いかもしれない。
いい加減に人生を生きられるお金が得られたのだけは、父に感謝している。
「へぇ~。他人の家の事情に首を突っ込む気は無いし、悲しい話は無視するね」
「今の話を聞いて湧き出た感想がそれか? 感情の源泉がヘドロなのか?」
「ん? じゃあ君のことを真正面から抱き締めて、頭を撫でてあげようか?」
「いや、いい……その言葉を聞いて、安い同情をされる方がよっぽど不快だっていうことが分かったよ」
「あはは! 強がらなくてもいいのに。だけど本当に君は二億円も貰えたの? 父親に騙されてない?」
「いや、父はそういうところだけはしっかりしていたみたいだ」
俺は立ち上がって、部屋の隅に設置した小さな金庫を解錠する。
そこから一冊の新しい通帳を取り出して、名雲さんに手渡す。
「贈与税とかややこしい税金関係は両親の分け前から出して、俺にはぴったり二億円をくれたよ。一人暮らしの費用も親持ちで、好きに使っていいって言われている」
「……すごい。本当に、二億円の預金が記帳されている……っ」
普段は軽薄な表情を見せている名雲さんも、九桁の金額を見て絶句している。
本来は見せるべきじゃないかもしれないけど、バカな父のせいで全てが知られてしまったんだ。
だからもう、どうでもいい。
「アンタ……名雲さんが知りたかったことは、これで全部分かっただろう? 父がバカなことをして悪かった。お母さんにもよろしく伝えてくれ」
「そんなことはどうでも良くてね、空見君。君はこのお金の使い道を決めているのかい?」
通帳から目を離さず、名雲さんは俺に尋ねる。
「いや……? それは俺が稼いだ金じゃないからな。進学費用にはするけど、将来は普通に働いて自分の金で生きて行こうって決めているから」
「つまり、余計な散財はするつもりは無い……って、こと?」
「うん。余計な散財をする趣味も無いからな」
「逆に言えば、散財したい趣味や相手が見つかったら、それに注ぐお金は惜しまないってことでもあるよね?」
「そうだな。別に趣味も相手も今のところ……相手?」
一瞬、聞き間違えたと思った。あるいは、言い間違えとか。
「だったら!」
名雲さんは通帳を手にしたまま立ち上がり、まるで自らを誇るように右手をその豊満な胸元に乗せて叫んだ。
「私に散財すればいいじゃないか! 美少女である私に! この途方もない金額を私に注ぎ続けて、私という女と過ごす時間を趣味にすればいい!」
「え。嫌だけど」
「ぇへ?」
何言ってんだ、こいつ。という顔を向けてくる名雲さん。それは俺に用意されている表情差分だろ。
「聞き間違えたかな? 私みたいに可憐な美少女に、お金を使えばいいと言ったんだが?」
「耳鼻科紹介してやろうか? 初診料くらいは出してやるよ。嫌だって言ったんだ。何で俺が名雲さんに貯金を注ぐ必要がある?」
「眼科を紹介しようか? 本来なら君が生まれてから死ぬまで、一度も接点を持てなさそうなこの可愛すぎる私が、お金を介して君と関係を築いてあげようと言っているんだけど?」
「悪かった。行くべきは耳鼻科じゃなくて脳外科とか精神科だな」
俺は名雲さんの手から通帳を抜き取り、再び金庫に戻す。
相変わらず彼女は不満そうに唇を尖らせて、俺を睨みつけているけど。
「……なるほど、な。名雲さんは母親を介して俺の家庭事情を知ったから、金目当てで俺に近づいてきたわけだ。冗談でも何でもなく、結構なクズじゃないか」
「ふふっ、そんな言葉を向けられたのは初めてだよ。それを否定はしないけどね。私は君と接点を持ちたい。そしてあわよくば、現金を頂戴したい。それだけだよ」
「いや、否定しろよ! その目論見があるなら、ターゲットにしている相手にペラペラと喋るべきことじゃないだろ……バカなのか?」
「私は君と、フェアな関係でいたいのさ。空見君」
座り込んでいる俺の前に腰を下ろし、名雲さんは真っ直ぐに見つめてくる。
何も隠すことがない、堂々とした言葉と態度。
そして何よりその綺麗な目から、視線を外すことが出来なかった。
「確かに普通なら、その目的を語らずに君に近づけばいい。軽薄な優しさを見せて、君の趣味と理想に合わせた女を演じて、ピュアな同級生を誑かして、既成事実を作ってしまえばいいんだ。そして裏で君をバカにしながら、本命の男と身体を重ねたっていい」
「……だったら、どうしてそうしなかったんだ?」
「私は偶然とはいえ、君の家庭事情を知ってしまった。この時点でフェアじゃない」
だから、と。名雲さんはその顔を意地悪な笑顔に変えて続ける。
「私の邪悪な目的と本性を君に教えることで、同じスタートラインから関係を始めることが出来る。私たちの間にはリードもアドバンテージも無い。公平な距離感。適切な関係だけにしたかったんだ」
「律義なバカじゃん……それを知ったら俺は警戒するだけだぞ。自己満足でフェアであることに拘り続けて、計画が破綻したら元も子も無いだろ」
「かもね。だけど私は、それでも君に『拾われる』自信があったのさ。そしてこれから、その貯金を全部吐き出させるくらいは容易いことだよ?」
分かりやすく言うと、バカでクズだ。
名雲夏菜はそれでも、そんなマイナスを帳消しにしてしまえるような魅力と、根拠のない自信があるんだろう。
父が宝くじを当てて、二億円を貰ってから……俺は世界を嫌うようになっていた。
金があると、良くも悪くも世界は変わってしまう。我が家が離散したように。
だから俺は、人を遠ざけた。自分が大金を持っていることを、誰にも知られないように。
誰とも接点を持たずに、このまま生きて行こうと。そう思っていたけど。
「……上等だ。お前みたいに思い通りの人生を描いて叶えてきた女でも、どうしても手に入らないものがあるって教えてやろうじゃないか」
その熱に。彼女の荒唐無稽な挑戦に、感化されてしまった。
笑顔。
俺の言葉に名雲さんは顔に喜びを浮かばせた。
「言質を取ったよ、空見君。これで私たちの人生は、正式に交わることになったね」
そして通学リュックから一冊のノートを取り出し、表紙に油性ペンを走らせていく。
書き終えて、彼女は俺にそのノートを見せつけてきた。
「あ……? 【空見君通帳】? 何だこのふざけたタイトルは」
「これから私は、君の所有する二億円を一円も残さずに回収する。その記録だよ。空見君が私に捧げたお金を随時記すノートさ」
「意味が分からん。俺はこれから、名雲さんに金を出す気はないぞ」
「今はそれでいいよ。君が私に価値を感じなくてもいい。私が君にとって、価値のある人間だっていうことを証明してみせるからね。あはは」
軽快に笑い飛ばして、名雲さんはリュックを背負う。
それから間もなく靴を履いて、玄関のドアノブに手を掛けて……振り返った。
「明日からの人生、楽しみにしてね。空見君!」
そして、名雲さんは部屋を出ていった。
風みたいな女だった。例えば、締め切った真冬の部屋に、強引に入り込む隙間風。
望んでいないのに入り込んできて、嫌がっているうちにまた出ていく。
「本当に変な女だし、迷惑だったな」
人の貯金を巻き上げる宣言をして、平穏な人生をかき乱そうとするクズ。
もっと楽な方法、例えば脅迫でもすればいいのに。
身勝手にフェアであることを望む自信家の彼女の笑顔が、頭の中から消えるには結構な時間がかかった。
「まあ、いいか。何があっても俺は、名雲さんにお金を渡す気は無い」
そう呟いて、俺は静けさを取り戻した部屋でいつもの日常に時間を溶かす。
就寝する頃にはすっかり、名雲夏菜のことは忘れていた。
だから、だろう。
翌朝に、クズな彼女にまた日常を壊されてしまったのは。




