「おばけ退治は恋のあとで~白髪の姫と八尾の月夜~」
神宮寺雫
第一章 転校生は留学生
秋も深まる十月、神道ゆうが通う星見ヶ丘高校に、一人の転校生がやってきた。
「神宮寺雫、十七歳。よろしくお願いしますね」
黒板にそう書いた少女は、白い髪を長く伸ばし、緑がかった瞳を静かに伏せていた。制服の上にベージュのカーディガンを羽織り、首元には古風な緑のリボン。どこか浮世離れしていて、教室中が息を呑む。
ゆうは、ただ一人、彼女の正体を知っていた。
(……あれは、神宮寺家の“雫姫”だ)
神道の名家、神宮寺家。その直系で、しかも“おばけ退治”の当代随一の使い手。ゆうの父が宮司を務める星見神社とも、古くから縁がある。
放課後、境内にある社務所で、雫は無遠慮に上がり込んでいた。
「久しぶりね、神道くん」
「十年ぶりか。……相変わらず、挨拶もそこそこに人の家に入るんだな」
「だって、あなたの家は私の第二の家みたいなものだもの」
雫は微笑みながら、懐から小さな鈴を取り出す。それは“招霊の鈴”――良い霊を呼び、悪い霊を祓う古の神具だった。
「今回は長期滞在よ。日本に、ちょっと厄介な“八つ尾”が出没しているって聞いたから」
八つ尾――九尾になり損ねた、たぬきの化け物。人の願いを食らい、恨みを増幅させ、最後には街ごと呑
み込むと言われる。
ゆうはため息をついた。
「……俺も巻き込まれるのか?」
「もちろん。だって、あなたは私の“相棒”でしょう?」
雫は悪戯っぽく笑った。その笑顔に、ゆうは十年前の夏祭りの夜を思い出した。まだ小学一年生だった雫が、初めて一人で悪霊を祓い、泣きべそをかきながらゆうに抱きついてきた、あの夜を。
第二章 良いおばけと、悪い願い
それから二人は、夜な夜な街を歩くようになった。
雫は驚くほど優しかった。学校の裏山に住む子どもの座敷童を傷つけないよう、わざわざお団子を供えて退散させたり、川辺で泣いていた河童の子どもに、新しい帽子を編んでやったり。
「悪い霊だけを祓えばいいわけじゃないの。良いおばけだって、寂しがってる子はたくさんいる」
そんな彼女の横顔を見ていると、ゆうは胸が締めつけられるような気持ちになった。
ある夜、二人は廃墟となった遊園地に呼ばれた。そこには、三十年前に事故で亡くなった少女の霊が、ずっとメリーゴーランドに乗っていた。
「もう帰らなくちゃ。お母さんが待ってるから」
雫は優しく少女の手を取った。
「うん。でも、最後に……誰かと一緒に乗りたかったな」
少女の願いを聞いた瞬間、ゆうは自分の手を差し出した。
「なら、最後の一回だけ、俺と乗ろうぜ」
メリーゴーランドが回り始める。雫が鈴を鳴らし、少女は涙を浮かべて笑った。
――ありがとう。
光となって昇華していく少女を見送りながら、雫がぽつりと言った。
「神道くんは、本当に優しいね」
「……お前が優しすぎるだけだ」
雫はくすりと笑って、ゆうの腕に自分の腕を絡めた。
「これからも、ずっと一緒にいてくれる?」
その言葉に、ゆうは答えられなかった。答えられない理由が、自分でもわかっていたから。
第三章 八尾の影
十一月に入り、街で異変が続いた。
「誰かに願いを叶えてもらったのに、なぜか不幸になる」
そんな噂が広がり、雫とゆうは原因を突き止めた。
――八つ尾のたぬき。
九尾になれなかった悔しさから、人の願いを歪めて食らう化け物。すでに七つの尾を人の恨みで肥大化させ、最後の一つの尾を完成させようとしていた。
決戦の夜は、満月だった。
場所は、星見神社の裏山――古くから“妖怪の境界”と呼ばれる場所。
八尾のたぬきは、巨大な影となって現れた。
「願いを……もっとよこせ……九尾に……させてくれ……!」
雫は鈴を振り、ゆうは神剣“草薙”を抜いた。
戦いは苛烈だった。八尾の尾の一振りで木々が薙ぎ払われ、雫が吹き飛ばされる。ゆうが庇おうとすると、今度はゆうが血を吐いた。
「神道くん!」
雫の声が震える。
「お前たちに、私の孤独がわかるか? 九尾になれず、永遠に化け物扱いされるだけの存在に……!」
その時、雫は鈴を置いた。武器を捨てて、たぬきの前に歩み寄る。
「……私には、わかるよ」
八尾が驚いたように身を引く。
「私もね、ずっと怖かったの。“おばけ退治の神宮寺”って肩書きばっかりで、誰も本当の私を見てくれないって。だから、良いおばけすら怖がって逃げちゃうって……」
雫はゆっくりと、たぬきの巨大な顔に手を伸ばす。
「でも、この子は違った」
雫はゆうを振り返った。
「神道ゆうは、私のことを“雫”って呼んでくれた。怖い神宮寺家の子じゃなくて、ただの雫として、そばにいてくれた」
ゆうは、血まみれのまま微笑んだ。
「……俺だって、お前がいなきゃ、ただの神社のボンクラ息子だよ」
雫は涙をこぼしながら、たぬきの額に額を寄せた。
「ねえ、あなたも……誰かに名前を呼んでほしいんでしょう?」
八尾の巨大な体が、震えた。
「……たぬ吉……昔は、そう呼ばれてた……」
雫は優しく微笑んだ。
「たぬ吉さん。一緒に、九尾になろう? でも、それは誰かを傷つけるためじゃなくて……誰かを幸せにするための九尾に、なろうよ」
たぬ吉の八つの尾が、光に包まれた。そして、最後の一つの尾が――人の優しさで、純白に染まった。
「ありがとう……雫ちゃん、ゆうくん……」
たぬ吉は小さくなり、昔の可愛らしいたぬきの姿に戻った。そして、満月の下で、本当の九尾の狐へと昇華していった。
最終章 白狐と、神の息子
事件が解決して、数日後。
星見神社の境内、紅葉が舞う中で、雫は言った。
「ねえ、神道くん。私、日本に残ろうかな」
「……どうして?」
「だって、私の大事な人がここにいるから」
雫は恥ずかしそうに微笑みながら、ゆうの手を取った。
「これからも、ずっと一緒に……おばけ退治、しようね」
ゆうは、ようやく素直に答えた。
「ああ。……ずっと、そばにいる」
二人は重ねた手を、ぎゅっと握りしめた。
その向こうで、新しく九尾になったたぬ吉が、こっそり微笑んでいた。
――どうやら、良いおばけも、悪いおばけも、みんな少しだけ寂しかっただけらしい。
そして、星見ヶ丘の秋は、静かに、優しく終わっていった。
(終わり)




