意地悪だから
「あ、起きた?」
飲み会特有の騒めきの中、ぼんやり目を開けた。
座敷の奥に寝かされていたらしかった。
「気持ち悪くない?水飲める?」
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのは理人。
「わ、たし…」
「無理して飲まなくていいのに」
「す、スミマセン…」
緊張でつい。
せっかく真紘と話せるチャンスだったのに。
チャンスを逃した上迷惑までかけて、凹む。
渡された水を飲むと、冷たさが体の中に広がって心地よい。
「杉下くん、ねえ」
「な、なんですかっ」
嫌な予感がした。
だって真紘との接点はそんなにない。
ないはずだ。
「緊張して飲み過ぎたんでしょ」
ただ、すみれが、一方的に目で追っているだけで。
「そんなにアイツがいい?」
喧騒が一瞬で消えた。
心臓がバクバクと鳴る。
「…ぁ、なん…っ」
ボロっと涙がこぼれ落ちた。
ハクハクと、声が音にならない。
今まで、一度も、誰にも、言ったことはなかったのに。
なぜ。
なぜ理人がそれを知っているのか。
理人の陰に隠れて、泣いているのは見えないだろうけど。
誰かに声をかけられるのも時間の問題だ。
見下ろされて、すみれの心まで全部見透かされそうな気持ちになって、顔を手で覆った。
何年もなんの努力も行動もしないで、彼女をただ羨むなんてそんな権利ないんだと。
「…ごめん。帰ろうか。送るね」
理人はすみれの頭にコートを被せて、2人分の荷物を持ってすみれを促した。
「すみれちゃん大丈夫ー?」と心配の声が飛んできても、理人はすみれを庇うように立って連れ出してくれた。
すみれは普段泣かない分、一度泣き出すとなかなか泣き止めない。
「あの…ひとりで帰…」
「帰すわけないでしょ」
「でも…」
目元を押さえたハンカチに吸われても、涙は止まる気配がない。
「泣き止んでからタクシーで帰ろう」
「待っ、そんな、すぐには…」
「ああ、早く泣き止めって意味じゃないから。好きなだけ泣いてからでいいよ」
駅のベンチに座らせられて、目の前に理人が立った。
「ごめん、これおれが100パー悪い」
「そ、んな…」
パタパタと涙が落ちる。
理人は悪くない。
「そんなにわかりやすいですか…?」
みんなに…真紘に…知られてしまっていたとしたら、すみれはどうしたらいいのだろう。
考えるだけで背筋が凍る。
「いや。…勘がいいだけ。誰も気付いてないよ。荻原さんポーカーフェイスだから」
それを聞いて少しだけホッとした。
「あの、これは、誰にも…」
知られてしまったらと思うと震える。
どうしていいかわからなくて、理人のシャツの裾を握った。
「…言うわけないよ。だから安心して」
すみれはコクコクと頷く。
理人が嘘を吐かないのも、意外と口が軽くないのも知っている。
「誰にも、言ったことない…んです」
「うん」
まだ、酔いが覚めてないのかもしれない。
「高校のときから…」
「…うん」
どこかフワフワしていて、ほんとは夢なんじゃないかなと思っている。
「彼女、とっても大切にしてるのも、知ってるんです」
「そっか」
誰かに、聞いて欲しかったのかもしれない。
「わたしは彼女と違ってなんの努力もしないでただ好きで」
「なんの努力もしてないなんて思わないよ」
静かに聞いていた理人に遮られて、ビクリと震える。
話しすぎた。
「あのね」
しゃがみ込んだ理人が、すみれを少し見上げる。
「おれ、荻原さんはすごく努力家だと思ってる」
「でも」
「ひとりで頑張りすぎなの。彼女がいるからアクション起こさないってのは、イコール努力してないじゃないでしょう。」
ポタ。
「荻原さんのことだから、好きな人の幸せを願ってるんじゃないの」
ポタタ。
「それなら、優しさって言うんだよ」
ポタポタポタ。
それだけじゃない。
それを理由に傷付くのから逃げていた。
でもそれと同じくらい、ただ幸せでいて欲しかった。
「こんなずっと…気持ち悪いとか」
「思わないよ。」
「でも」
「一途に想われて、羨ましいくらい」
優しい声音に、いつも助けられていた。
誰も気づかないでほしかった。でも、誰かに気づいてほしかった。
「理人さんが言わなければ、なかったことにできたのに」
こんな感情。
取るに足らない感情。
口にしなれば、誰にも知られなければ、すみれの恋心なんて。
「できるわけないでしょう。」
なかったことで、いいのに。そうしてよ。そうさせてよ。
「こんな泣いちゃうくらい大きい感情、なかったことになんかできないって荻原さんが一番わかってるでしょう」
「ーーーっ」
なのに、理人の両の目の下のホクロもゆるゆると滲んで見えない。
「理人さんは意地悪です」
「うん、そうだよ。意地悪だから、さっさと告白して振られたらいいのにと思ってる」
「ひ、ひど…」
告白したらその通りになるのはわかっているけど、わざわざそんなこと言わなくていいのに。
理人に対して苛立つと、ククッと理人は笑った。
「おれに怒って、全部言っちゃいなよ。ね?全部おれが悪いんだから」
翳された手のひらにグーでパンチすると、理人はしたり顔。
「り、りひとさん、キライ…!」
「ははは、…うん。」
理人の、子どもに言い含める物言いが、有無言わせないところが、全て見透かすような瞳が、嫌いだ。
「涙、とまらな…っ」
「うん。今までの分も泣いときなよ」
ぐすぐすと泣き止まないすみれに飽きることなく付き合い、泣き疲れた頃理人に送られた。