姉想いの弟
「あのね、あざみ。理人さんと付き合うことになったの」
日曜の夜。
あざみが帰宅してリビングに来たところで声をかけると、眉根を寄せた。
「……いや、朝帰りさせといて付き合わないなら、殴るじゃ済まないけど。」
「あざみ、そういうこと言っちゃ」
「あーはいはい」
あざみは上着を脱いで、バサリと乱暴に椅子の背もたれにかけた。
腕を組んですみれを見下ろす。
「…好きな人はもういいの?あの人じゃないでしょ」
「なっ、なっ、なんでそれ…!」
「何年姉ちゃんの弟やってると思ってんの。バレンタインとか見てればわかるよ。」
言い当てられて、すみれは絶句した。
誰にも知られていないと思ってたのに。
あざみはいつまでも子どものつもりでいたけど、いつの間にか、大人になってるんだなぁ。
「それはそれで…今は理人さんが好きなの」
「ふぅん」
そうは言っても納得しないあざみ。
「理人さん、とっても大事にしてくれるし」
「信用できない」
はぁーと大きい溜め息。
「姉ちゃん危なっかしいし簡単に騙されそう」
そんなことない。
理人は優しいし尊敬できる人だ。
それは、すみれが長年積み上げてきた関係性があるからで、それを理人を知らないあざみにどうやったら伝わるのかわからない。
「会わせて。」
「へっ!?」
「そいつ。俺に、会わせて。」
「え…っと…」
◇◆◇
かくして。
上品なホテルのカフェで、穏やかな仕事仕様の理人と、敵意剥き出しのあざみ。
「すみれさんとお付き合いさせていただいている、三浦理人です」
「…すみれの弟のあざみです。」
理人は気にしなくていいと言ってくれたけど、あざみが失礼なことしないか気が気ではない。
「…遊び、じゃないんですよね」
「もちろん。こう見えて一途ですよ」
「口では何とでも言えます」
「あざみ…」
あまりに不躾なあざみを嗜めようとすると、理人がすみれを止めた。
それですみれが閉口したのがまた面白くなかったらしい。
「何ですみれなんですか。歳だって離れてるし、交友関係だって広いでしょう?より取り見取りじゃないんですか。すみれはちょっと遊んでみようなんてできるタイプじゃないです!」
「はい、結婚も考えていますし、誰よりも幸せにするつもりです。」
理人の言葉に驚いたのはすみれの方だった。
理人を見上げると、よそゆきの笑みで、真意は掴めない。
「姉ちゃんは自分のこと後回しで全部俺のことばっかりで、なのに怒らないお人好しだし!すぐ背負い込んで熱出すし!純粋すぎて人を疑わないし、危なっかしくて」
あざみの目には、うっすら涙が浮かんでいるような気がする。
「俺は…俺が守ってあげなきゃって…大事にしてきたのに、それを簡単に…!あんな騙すみたいに家に連れ込んだりしてる奴に任せられない!」
一気に捲し立てて、息が上がるあざみに、理人は静かに切り返した。
「…そうですね。お人好しで優しくて、純粋で…素敵な方だから、4年もかけてなりふり構わず口説いたんですよ」
「………っ」
「幸せにする覚悟はあります」
すみれは頬が赤くなるのを感じた。
あざみは、傷付いたみたいな顔をして、言い募る。
「姉ちゃんを泣かせたら許さない」
低い声で一言。
なのに、理人は臆せず穏やかだ。
「うーん、それは約束できないかな。」
「は?」
「僕、すみれさんには嬉しいことも悲しいことも全部話してほしいんですよ」
「………」
「だから、僕の前では涙も見せてほしい」
あざみは押し黙り、理人を睨む。
「そうだな、すみれさんを1人で泣かせないっていう約束はどう?」
理人が言うと、3人の間には沈黙が下りる。
すみれは間に入って何かを言うべきなのか迷うが、ついに言葉は見つからなかった。
ざわついたカフェ特有の人の声、茶器の音が遠くで聞こえる。
「ふぅん」
長い沈黙を破ったのは、あざみ。
「姉ちゃん傷つけたら、何がなんでも別れさせる!」
舌打ちと共に、伝票を奪うように持って席を立つあざみ。
「あっあざみ!」
すみれも席を立とうとして、またもや理人に止められた。
静かにあざみの後ろ姿を見送る。
「そっとしておいた方がいい…かな」
「ええっと…?」
「彼の中で消化中なんじゃないかな」
緊張したーなんて、ネクタイを緩めている理人。
…緊張、してたんだ…
そういえば、大きなプレゼンや商談でも、緊張して見えない人だった。
「おれも経験あるからね。ここまでじゃないけど」
「…お姉さん?」
「そうそう。姉に初めて彼氏ができたときは、ショックだったなあ。俺が幸せにできるわけじゃないのはわかってるんだけど、なんかね。」
ふぅと息を吐き出して、理人はぬるくなった紅茶に口をつけた。
そういうものなのか。
あざみが彼女を連れてきたときも、祝福する気持ちもあれど、どこかあざみを奪われたような寂しさがあったことを思い出した。
「あの、あざみ、いつもはあんなんじゃないの。すごくいい子で、優しくて頼りになるの。舌打ちとかも聞いたことなくて…」
「うん」
「言い方は…アレだけど、わたしを心配してくれてあんな…」
「うん、わかるよ。やっぱり、お姉さん想いの優しい弟さんだなと思ったよ」
あざみは、そんなふうに思ってたんだ。
小さくて泣き虫で、そのくせヤンチャですみれがよくよく言い含めてあげないといけなかったのに。
「ちっちゃい頃から、すごく優しい子だったの」
「うん」
だから、理人とのことも認めてもらいたいし、理人にもあざみのよいところをたくさん知ってもらいたいなと思った。




