表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/38

いつの間にか


一転、冷たい水でも被った気分だった。


「え、理人くん北海道なの?転勤?」

「なんかそうっぽいよ」

「ええー随分遠いね」


化粧室で聞こえてきた女子たちの会話に、個室の鍵を開けようとした手が止まる。


「まぁアイツ何気に優秀だしね。札幌支店業績いいらしいよねー」


理人が忙しいのは知っている。

きっと期待されているのだろうと思う。


でも、先週末も理人に会ったのに、すみれは何も聞かされてない。


今のすみれは理人に何を言えるだろう。


恋人…というには中途半端で。


遠距離恋愛をするにも、着いて行くにも関係が薄い。


すみれに怒る権利もないし、だから理人も言わなかったのではないか。

何て言って離れるか迷っているんじゃないか。


「…っ」


…まずい。


泣きそうになって慌てて口を押さえた。


前にもこんなことがあった。


真紘の惚気話に傷ついて涙が出てきて。そしたら理人が気づいてくれて、おれにしときなよって。


ーーー最近真紘を見たのはいつだった?


先程話した。でもその前は?

いつの間にか、真紘を目で追うことも少なくなっていた。


あれ。


すみれを軽々と抱き上げた腕も、クリスマスもバレンタインも、高校生の頃読むフリをしていた本さえも。


切ない思い出は、全部理人との楽しい思い出に上書きされている。


理人は何かにつけて総務部に立ち寄って、総務部のメンバーと話しているのを見るのが好きで、お菓子をくれれば喜んだ。


朝や帰りに理人と会えば嬉しくて、仕事の話をしながら、秘密を共有している感じが楽しくて。

休みの日に理人の部屋で過ごすのが当たり前になっていた。


どうしよう。


今さら。


何て言おう。

何て聞こう。


…別れようって、言われたら?


終わりにしなきゃ、いけないんだろうか。


理人の負担になりたくない。


仕事に戻らなきゃ。早く。

こういうとき、どうしていたっけ。


思い出すのは、理人がそばにいてくれたことだけで、途方に暮れた。


そんなのもうどうしようもないのに。

とめどなく流れてくる涙を、どうやって止めていいかわからない。


いつの間にか大きく育っていた心を持て余した。





◇◆◇





「荻原さん、ちょっといいかな」


仕事仕様ですみれを廊下に連れ出すと、周りに人がいないのをチラリと確認した。

理人が出入り口側を背にして立っているから、誰かが廊下に出てきても理人の陰になって見えないだろう。


「また、何かあった?」

「あ…」


理人はすみれの頬に触れる。

何かというのは「真紘と」という意味合いだろう。


「さっき、話してたから…」


すみれは無言で首を振る。


「泣いたのかなって」


また、泣きそうになった。

目は赤くなっているけど、メガネだし、背は小さいし、目を合わせなければ誰にもバレないと思ったのに。


「あっ、ち、違います。これは…ちょっと」

「ひとりで泣かないでほしい…は、ワガママかな?」


穏やかな声に、心が波立つ。

もう、こんな風になるのは、すみれをこんな風にするのは、たった1人だけ。


「理人さん、わたし…」

「でさー、さっき部長が」


口を開きかけたところで、人の話し声が聞こえてきた。


すみれは我に返って青ざめる。


ーーー今さら何を言うつもりだった?


「何でもないです」

「週末、待ってる。ごめんね、引き留めて」


前半は小声で、後半は周りにも聞こえる声で。


微笑んだ理人の両の目の下のホクロが、涙みたいに見えた。

胸のあたりがキューと掴まれるように痛んだ。


また、一方通行だ。


泣いたのを気にかけてくれるくらいの情はあっても、きっとすみれは人生の転機を話すほどでもない相手で。


「…つらいな…」


手に入らないと知って、遠目に見る姿に一喜一憂しているときよりも。


知ってしまった体温を、手放す方がずっと。


でも、すみれが悪い。


大事にしてくれた人に甘えて依存して、何も返さなかったのだから。


施されることを当たり前にしてしまった。

泣いちゃダメ。


約束通り新しい恋を教えてもらったんだから。


ちゃんと、話さなきゃ。


終わりにしなきゃ。


優しいあの人の、幸せと、未来のために。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ