恋?甘え?依存?
「荻原さん、これコメント入れたところ修正して。」
「あっ、すみません」
「それから上がってた稟議なんだけど…」
ミスは多い方ではないが、らしくないミスを続けてしまった。
課長からは怒られるどころか心配された。
「すみれちゃん?調子悪い?帰る?私今日は残って代わりにやれるよ」
隣の席の若菜が声をかけてくれる。
「だ、だいじょうぶ…です」
「そう?」
「はい。修正するだけなのでそんなにかからないですし…お子さん、迎えに行ってあげてください」
いつもすみれを気にかけてくれる若菜に、これ以上迷惑をかけられない。
すごい、自己嫌悪だ。
理人の優しさに漬け込んで慰めてもらって、仕事に私情で迷惑をかけて。
コーヒーでもと席を立つと、向かい側から歩いて来た理人に声をかけられる。
「荻原さん、ちょっといいかな」
「えっ、は、はい」
給湯室の前で、立ち止まる。
あのときから、話すのは初めてだ。
泣いて縋って、…キスまでして、何もなかったように目を冷やしてから、家まで送ってもらってしまった。
気まずい。大変気まずい。
「具合悪い?顔色悪いよ。ミスなんて珍しいじゃない」
声を顰めて、理人は聞いた。
「…よく、気が付きますね」
「遠くにいても目が追っちゃうからね」
ーーー好きな人は…どこにいても、遠くても、見つけちゃいます…
ズキンと胸が痛くなる。
すみれが眉を下げると、理人は困ったように微笑んだ。
「ごめんね。困らせるつもりじゃ、なかったんだけど」
それセリフは、今のことなのか、この前のことを言っているのか。
「いえ…理人さんのせいでは…」
…また、甘えてしまいそう。
「今日は早めに帰りなよ」
「はい…」
理人の顔が見れない。
すみれは俯いたまま、手に持った空のマグカップを握りしめる。
「調子悪かったら無理しないでほしいけど…」
理人が一歩踏み出して、理人の靴が視界に入る。
「週末、待ってるから」
そう耳元に落とされて、すみれは弾かれたように顔を上げた。
穏やかに見える理人の表情から、本心は、読み取れない。
でも、その瞳の奥に、すみれが持て余していたような激情を隠していたとしたら?
「…理人さんを、利用してるのに…?」
「すみれが少しでも楽になるのなら、いくらでも。」
困ったように微笑む理人の顔は、見慣れてしまった。
その表情をさせているのは、他でもなくすみれだ。
その理人に返す言葉を探しても、…生憎すみれは持ち合わせていないようだ。
視線を外して、すみれは給湯室に駆け込んだ。
深く息を吐き出して、インスタントコーヒーを計りとった。
「……はぁ」
真紘への恋は終わりにできたんだと思う。
理人のことは、好きだと思う。
抱きしめて、キスもできるくらいに。
理人になら、何をされてもいいと思えるくらいに。
恋?甘え?依存?
…わからない。
◇◆◇
こんな両天秤みたいなの、だめなのに。
理人に失礼なのに。傷付けたくないのに。
…理人は大切な人なのに。
迷いに迷って、金曜日の夜遅くに、メッセージを送った。
“明日もお邪魔していいですか?”と。
理人とのこの時間を、楽しみにしていたのだ。自分でも驚くくらい。
「お邪魔します」
「いらっしゃい」
駅まで迎えにきてくれた。
何事もなかったような理人に、また甘えてしまった。
「今日は何か観たいのある?」
「おまかせで…」
「了解。おいしいチョコあるよ」
「ありがとうございます。…お茶、淹れますね」
「ありがとう」
いつもの休日に安堵して、映画を観ながら眠気に襲われた。
そういえば先週から、眠りが浅かったかもしれない。眠れてはいたはずだが、思っているより消耗していたようだ。
理人のことで悩んでいたはずなのに、理人の隣で安心して肩の力が抜けた。
「いいよ、寝てて」
隣に座る理人に抱き寄せられて、腕に頭を預けた。
また、こうやって甘えちゃった。
ダメなのに。ちゃんと、ケジメもつけなきゃ。
でもこうしてるのが気持ちよくて。
ううん、いいんじゃない?甘えてって言ってくれてるんだし。
だって…
スミマセンとすら口にできないまま、触れた体温に安心して、意識を手放した。
◇◆◇
「へ!?あ…」
「おはよう」
「オハヨウゴザイマス」
パチリと目を開けると、理人が頭を撫でていてくれた。
映画は止められていて、髪をくるくると指で遊んでいたようだ。
「すみれの髪、やわらかくて気持ちいい」
パーマのかからない、ねこっ毛だ。
真紘の彼女みたいにパーマをかけてみたくてやっても、すぐに取れてしまった髪。
「よく手入れされてるなって思ってたんだ」
せめて手入れだけでもと、ケアは頑張って。
理人はその髪の毛を指で撫でる。
視線を上げると、至近距離で目が合い、先週を思い出してしまった。
ぎゅっと目を閉じていると、そっと頬にキスを落とされた。
「そんな注射を我慢するような顔しないでよ」
「す、スミマセン…そういうわけじゃ…」
ふふっと笑ったのが空気でわかった。
子どもっぽいと思われただろうか。
でも。だって。この前は必死だったからこんなこと考えられなかった。
どんな顔したら。
触れた手を握り返して、そろりと目を上げると、
「可愛い」
「んっ」
唇が触れた。
柔らかくて、この前の貪るようなキスではなくて、触れるだけのキス。
「えっ、あ、ぁう…」
「かわいい」
柔らかい感触の残る唇を、手で押さえる。
愛しむように、頬を撫でられる。
頬が赤くなるのがわかる。顔も耳も、全身熱い。
理人の顔が見れない。
「嫌?」
「ヤ…じゃないけど…」
「けど?」
「…ハズカシイ…」
嫌じゃない。嫌じゃないけど。
これは、慰めるキスではなくて、…恋人同士のキスだ。
理人もそれをわかっていて、意識させるように頬に手を触れて、すみれと視線を合わせる。
至近距離で目が合う。
愛しむようにすみれを見下ろす瞳から、目を逸せない。
「もう1回していい?」
「き、聞かないで…」
ふふっと笑って、唇を押さえていた手を恋人繋ぎにされて、また、唇がそっと触れた。
この前のキスを上書きするような、理人を意識させるキス。
「好きだよ」
まるでホンモノの恋人みたいに、何度も触れるだけのキスをした。




