きっともう恋にはならない
「理人さん、あの…」
「うん?」
定位置になったソファで膝を抱えて、すみれは口を開いた。
「すぎ…高藤さんと話したんです」
「…そうなんだ。何て?」
迷ったけど、理人には話したいと思った。
“彼氏”にする話ではないから、ちょっとでも嫌な顔されたら、そこでおしまいにするつもりで。
でも、理人はすみれの言葉を待ってくれた。
「憧れてましたって」
「うん」
「お礼と、おめでとうが、言えました」
ポロンと涙が溢れた。
「あっ、あれ?違くて、そういうことじゃなくて、わたし…」
「うん」
悲しくなかった。
涙は出てこないと思った。
もう泣かないと思った。
もう、大丈夫だって理人に伝えたかったのに。
「頑張ったね」
「ーーーっ」
ポロポロ溢れてきた涙は、失恋の涙では、なかった。
真紘を嫌いにはならない。
きっとずっと好きなままだ。
でも、もう、たぶん。
これまでのように焦がれて熱に浮かされたあの激情は、どこかに消えてしまったのだろう。
そんな予感がした。
「ずっと、すきだったの」
「うん」
違う。伝えたいのはそんな言葉じゃない。
心の大部分を占めていた恋心と、サヨナラできる安堵。
それから、それを手放す寂しさと恐怖だった。
痛くて苦しくて解放されたかったのに、前に進まなければいけないのが怖くてたまらない。
「おれは知ってるよ。見てたから。」
耳元で静かに落とされる言葉に、絶望した。
今まで、どんな気持ちで。
こんなことにも思い至らなかった自分に嫌気が差した。
同じ状況だったら、すみれも同じことをしただろう。
好きな人が目の前で傷付いていたら抱きしめただろう。
心でも体でも、喜んで差し出した。
一方通行の想いは虚しくなるだけでも。
体温を知ったらもっと苦しくなることも、希望がなくても期待してしまう甘い絶望感が、わかっていても。
自分の浅はかさに吐き気がする。
ーーーおれって意地悪だから、荻原さんがもっと狡くなって、おれを利用したらいいのにと思ってる
なんで、こんな優しい人につけ込もうだなんて思えたんだろう。
「…理人さ…」
悶えて吐いてのたうち回っても逃れられないくらい、厄介な感情だと、思い知っていたのに。
「…ごめんなさい…」
理人が息を呑むのを感じたが、すみれは理人の背に腕を回した。
ダメだった。
ちゃんとお断りする方が何倍も優しかった。
簡単に、この人の手を取ってはいけなかった。
やさしいこの人の感情を弄んではいけなかった。
でも、甘えてしまった。
ダメだ。
もう、後戻りできない。
「さみしい」
そう言えば、理人は抱きしめてくれるから。
「いいよ。もっと利用してよ、おれのこと」
理人はすみれを抱きしめ返す。
いつの間にか芽生えていた後ろ暗い感情に、気がついてしまった。
わかっているのに、耐えがたい寂しさを他人に埋めてもらう麻薬のような甘美さを、知ってしまった。
「ごめ…なさ…」
「違うよ、すみれ」
理人が、すみれの背を撫でる。
子どもをあやすように。
こんな大切に優しく抱きしめてもらう権利なんてないのに。
「おれが、弱みに付け込んだんだから、全部おれのせいだよ」
違う。
そんなわけない。
理人にそうさせたのは他でもないすみれ自身だ。
「すみれの罪悪感に、付け込んでる」
見上げた理人は涙で歪んで見えて、両の目の下のホクロもゆらめいて見えた。
理人の頬に手を伸ばす。
「理人さん」
どちらからともなく、唇を合わせた。
やり方なんか知らなかったけど、与えられた体温を必死で食んだ。
「んん…っ」
力が抜けそうになっても、理人にしがみつく。
抱きしめ返されて、口の中も頭の中も侵されていく甘い痺れが心地好い。
どうにかしてほしかった。
寂しさも後ろめたさも、理人に向いている感情も全て。
甘えてごめんなさい。
傷つけてごめんなさい。
中途半端でごめんなさい。
一丁前に狡くてごめんなさい。
同じ熱量で気持ちを返せないくせに、寂しさを埋めてほしくてたまらない。
他でもなく、理人に。
はじめてのキスは、涙の味がした。




