001
(SUPURITTUA‘S EYES)
この日は雨が降っていたのを幼い私は、覚えていた。
普段は、煙が立ちこめるこの町もこの日は雨一色だった。
十年前のこの日、私は屋敷にいた。
バレンシア帝国、『コスポポリタン』。この町は、帝国屈指の大都市だ。
七つの区画に、西洋風の町並みと、背景に巨大な山が厳かに立つ。
『ポリタン山』と呼ばれた火山は、町に大きな恩恵をもたらす。
私が住んでいたのは、コスモポリタンのど真ん中にある領主館だ。
きらびやかな屋敷のリビングにいた私たちは、追い詰められていた。
「どうして、何も分かってくれない!」
叫んでいたのは、真っ黒な執事服を着た男。
七三分けの金髪の男は、両手を広げて立ち塞がっていた。
気品のある男の顔は、貫禄があった。私のパパだ。
「お前達は、ガルムと手を組んだのは分かっているんだ!」
市民の一人が、私たちに目がけて叫ぶ。
私たちを囲むのは、多くの人間だ。
彼らはコスモポリタンの市民団体と、ギルドの連中。
皆、敵意をこちらに向けていた。このときの私は七歳だ。
なぜ、みんなは怒っているのだろう。
どうして、帝国の領主である父をここまで責めるのだろう。
七歳だった私は、金髪のショートカットだ。
童顔で赤いフリフリのドレスを着ていた私は、群衆の威圧感に怯えていた。
そんな私を、私よりも大きな女性が優しく宥めた。
紫色のドレスを着た、金髪のロングカールの女性。私のママだ。
「スプリッツアだけは、ママが絶対に守るから」
だけど、私を抱きしめるママも震えていた。
紫のドレスは、セクシーであり、上品にも見えた。
若い女性のママが着ると、どこかの女王のような気品さえあった。
「怖い……よぉ」
「大丈夫、ママがいるから」
小さな私を、何度も抱きしめてくれたママ。
怖い、怖い、怖い。
人間の目線が、怖い。
私たちに浴びせられる罵声も、怖い。
だけど、目の前にいるのは五十人以上の群衆。
屋敷の外にも、多くの人が取り囲んでいた。
男も、子供も、女も、老人も皆私たちに罵声を浴びせた。
だが、その中で一人の人間が先導をしていた。
短い髪で、丸眼鏡をかけた中年の男。
口に髭を蓄えていて、しわのある男だ。
赤と青い服を着ていた男は、不敵に笑っていた。
「彼らこそ、ガルムを操りし黒幕。
彼ら帝国軍『ブロンクス家』こそ、コスモポリタンを破壊しようとした一族。
彼らに正義の粛正を!」
「粛正を!」真ん中の眼鏡の男に煽られて、群衆が大歓声をあげた。
その光景は、異様だった。
うなりのような大きな群衆の声は、恐怖でしかない。
群衆が上げる歓声一つ一つに、私は恐怖を感じた。
死よりも恐ろしい、恐怖の感情。小さな私には、その流れをどうすることも出来ない。
「それは、間違っている」
「ここに来て嘘をつくのか、ガルムの手先よ」
「我々は、断じてガルムの手先ではない!」
パパは、必死に叫んだ。
だけど、その声も群衆の声でかき消されてしまう。
「お前達が、計画を進めた!」
「お前らはガルムの手先だ!」
群衆の声に、圧倒されたパパの声。
「そうだ、お前達はガルムと一緒に計画を進めた。
マイタミ・ブロンクスこそ、計画の主導者なのだ!」
「違うぞ、ロブ・ロイっ!」
「マイタミよ、何を違うというのです?」
丸眼鏡の男『ロブ・ロイ』は、パパ『マイタミ・ブロンクス』を強く否定した。
パパは、怖い顔でロブ・ロイを睨む。
そのまま、腰にあった長い剣を抜いた。
「お前達は、絶対に忘れるな!僕は、何も悪いことはしていない。
ガルムとも関わりは無い」
背中を向けたまま、パパが私たちに叫ぶ。
私とママに向けてのパパの必死な言葉。
そばには、心配そうな顔を見せる従者もいた。
しかし、既に周囲は群衆に取り囲まれていた。
群衆の中には、武器を持ったロブ・ロイの味方も混じっていた。
剣や槍を持った傭兵が、こちらを睨んでいた。
「ええ、分かっているわ。あなたはそんなことをするはずがないもの。
計画は、あくまでガルムの単独によるものよ」
ママは、パパの背中に声をかけた。
前に出たパパは、ロブ・ロイという丸眼鏡男に立ち向かった向かう。
ロブ・ロイを味方する群衆は、ロブ・ロイとパパを取り囲んだ。
「この服に誓い、真偽を証明する」
「ならば私も誓おう、この杖に」
ロブ・ロイが持っていたのは、大きな杖だ。
パパが持つのは、ブロンクス家に伝わる豪華な装飾がされた長い剣。
ロブ・ロイは、詠唱を始めた。
同時に、ロブ・ロイの仲間の傭兵達がパパに迫っていく。
剣や槍を持ち、パパに向かっていく群衆の中か出てきた傭兵達。
だけど、パパは圧倒的に強かった。
次々と、迫る傭兵を斬り捨てていく。
だけど、後ろのロブ・ロイは魔法を完成させた。杖を持ち上げた。
「岩の塊よ、カノ者を潰せっ!『ロックブラスト』っ!」
杖の上から、大きな岩の塊がパパに目がけて飛んでいく。
だけど、パパは両手を広げて立っていた。
岩の塊が、パパの……僅か前にぶつかって粉々に砕けた。
「やはり、その服」
「お前達には、絶対に家族に指一本触れさせん!」
次々と傭兵を倒していくパパは、頼もしかった。
しかし、ロブ・ロイは部下らしき一人に耳打ちをして前を向く。
「マイタミ・ブロンクスよ。
今のお前は殺すことはできない、唯一の方法を覗いてはな」
「お前、まさか……」
再びロブ・ロイが、杖を持って詠唱を続けた。
詠唱をしたロブ・ロイが、杖を両手で握ると間もなくして浮かび上がったのは、黒い霧だ。
パパがロブ・ロイの黒い霧に、包まれていく。
「お前は、普通には死なない。その服を着ている限りは」
「まさか、それって……」
「そう、これこそ……魔法解除の霧」
ロブ・ロイの後ろには、群衆。群衆に紛れて、一人の人間がいた。
それは真っ赤な銃を持った、茶色のジャケットの男。
黄色い帽子を深く被った男が、パパに向けて銃口を向けた。
赤い銃から放たれ銃弾は、パパのいる黒い霧を狙って撃たれた。
そして、黒い霧が晴れた。
晴れた瞬間に、パパは胸を貫かれた。
赤い血を流して、地面にうつ伏せになって倒れていた。
「パパッ!」私は叫んだ。私を抱きしめたママは、泣いていた。
「そいつは罪人だ。ガルムの味方だ」
「そうだ、マイタミは死ねばいい」
「死ねばいい」
群衆の合唱は、どこまでも続いた。
誰もパパの死を、悲しむ者はいない。
幼い私は、ママに抱きしめられながらも見ていた。
「こいつらが……パパを殺したの」
「スプリッツアっ!」
ママは震えて、力が抜けた。
私を抱きしめたママが、その場に崩れてしまった。
「そうだ、俺たちは勝利をしたのだ!帝国軍に!」
この瞬間、コスモポリタンの支配は変わった。
バレンシア帝国の領主であるパパ『マイタミ・ブロンクス』は、ここに死んだ。
群衆の歓喜と、勝利の雄叫び。
その中央に、赤と青い服のロブ・ロイが立っていた。
「さすがロブ・ロイ様。これでコスモポリタンは、平和になるでしょう」
話しかけてきたのは、一人の男。
赤い革鎧を着た男だ。だけど胸には、帝国軍の紋章をつけた男。
彼は裏切った。彼だけじゃない、群衆の中には帝国軍の兵士の裏切り者が多数混じっていた。
「これも、皆の努力のおかげだ。感謝する、皆の者」
「ところで、こちらの家族はどうしましょう?」
「ふむ」ロブ・ロイに、裏切りの帝国軍兵士が話しかけていた。
赤と青い服のロブ・ロイが、怯えるママと私を見下ろした。
ママは私を抱きしめ、私はただロブ・ロイという男を呆然と見上げていた。
「ブロンクス家は、全員牢に閉じ込めておけ。
近々コスモポリタンの平和の象徴のために、民のために処刑をせねばな」
「お願いです、この子だけは。スプリッツアだけは!」
泣き出したママが、必死に懇願していた。
ロブ・ロイという男に、必死に頭を下げていた。
冷めた目で、ロブ・ロイはママを見下す。ロブ・ロイに対して、私は睨みつけた。
「いや、ガキも殺す」
数秒ほどの間があって、ロブ・ロイは言い放った。
言葉と同時に、私は大きな男に捕まった。
子供の私の力では、いくら足掻いてもどうにもならない。
そのまま、暴れる私は男に殴られて気を失っていた。