第4話 兄の友達
彼は祖母の話を耳にしつつ、その当時のことをさらに思い出していた。
まだ小学校に通っていて、兄の不登校をあまり深刻には考えていなかった時のことだ。その日学校が終わって、帰宅の中途で、彼は池田に出会った。池田は彼の下校を待ち伏せしていたのだ。その時より前から彼は池田の悪行を聞かされていたし、信用のできない人間だとも思っていた。
池田は兄に連れられて彼の家へ遊びに来ることがあった。その時、池田はからかわれたり、罵られたりしていて、兄の友人たちを追いかけ回したり、とびかかっていたりした。それが何故だか彼も追いかけまわすようになって、彼が嫌がると、池田は余計にムキになって彼の首根っこを掴んで絞めてきたということがあったからだ。
池田は誰にとっても、危ない人間だった。酒とたばこもそうだったが、暴力的なふるまいが顕著だった。殊にそれは親から受ける虐待の反動だという噂があった。兄は時々池田の話をすることがあった。
「アイツは食事もろくに与えられていなっかたし、アイツの母親はしょっちゅうアイツを殴ったり、家の外に締め出していたりして、その度に悪さをして、近所から迷惑がられていた、な――」
そしてそんな男が彼の目の前に現れて、彼のことを待っていたのである。彼には少なからず恐怖心があった。そろりそろりと池田の立っているところのわきを抜けて行こうとした。池田がいつ走り出して彼に突っかかってくるやも知れない。すぐにでも走りだせるような恰好で彼は池田を睨んでいた。
しばらく睨み合ってから池田は一瞬構えたようになった。彼は一瞬ひるんだように後ろへ一歩下がったが、次の瞬間には池田からこう切り出していた。
「兄ちゃん――」
彼はその瞬間、池田の声を聞いてその場から走り出そうとした。が、その声色の弱々しさを感じて立ち止まった。
「兄ちゃん、——元気してるか?」
彼は池田から変な、意外な言葉を聞いたような気がした。 けれども彼は池田を警戒して本当のことを言うつもりがなかった。
「いつもと変わりませんよ。孝道は――」
彼がそう言った後、池田は何かを彼に伝えかへようとした。乾いた唇を開いて、口を丸く開けて、火傷したような右手の甲を突き出して彼に何かすがるような姿勢になっていた。しかしそれ以上に何か言葉にはならないことを池田は知っているようでもあった。
少しの沈黙があったからか、今すぐにでも立ち去りたい気持ちからか、彼はそれだけ言って立ち去ろうとした。
しかし池田は彼の後ろからさらに言葉をつないだ。
「——そうか、それならいいんだ。兄ちゃんによろしくな。」
彼はハッとして振り返ると池田はもう走り出していってしまった。
彼は誰もいない通学路をしばらく眺めていた。彼は自分が嘘ついていることを知っていた。孝道が何も変わっていないわけがなかった。孝道はどう考えてもオカシクなっていたのだ。そしてなにかとてつもない不安感がそこにはあった。