第14話 孝道のこころ
そしてまたある日、祖母が彼を部屋まで呼んだ。彼は祖母の部屋まで行ってお菓子をもらった。
「久しぶりだね。干菓子なんて」
「そう――」
「祖父さんのでしょう」
「そう、仏さんもう要らないって――」
「じゃあ頂きます」
そのころまだ祖母は元気にしていて、自分で立ったり、歩いたりもしていたし、毎週通っていた医者に行くのも、買い物に行くのも、自分で生活のあれこれは全部出来ていた。
「タカちゃん、大丈夫?」
「知らない――」
祖母は気遣っていたのかわからない。孝道の話をしたがる祖母を軽くあしらって彼はその干菓子を食らった。黙っていると、祖母も何もできないふうにしていて、テレビに見入っていた。この時の彼にとって孝道の話は気が重かった。
孝道が学校へ行かなくなったことを、母親は幾度となく咎めた。しかし彼もそのことについては孝道を咎めたい気持ちでいっぱいだった。それは幼少のころの暴力と、他人を見下す態度と、祖父母が孝道をよく褒めていたことに対する嫌悪感から来るものだった。家族からずっと蔑ろにされてきたと彼はいつもそう思わざるを得なかった。それが、当たり前とも思える学校に通うという行為を兄は拒絶したのである。彼は更に憎悪を煮やし、なぜ兄ばかり許されるのか私はいったい何者なんだ。と、いつも自己否定に苛まれなければいけなかった。
孝道が登校拒否を続けたことで、京子は毎晩孝道と言い争うようになった。おそらく兄はその時兄ではなくなったのだ。学校からも拒絶され、家族からも、拒絶されたように感じたはずだ。
学校へ通うのをやめたあの頃、孝道を救済したのは祖父母だった。毎晩孝道は祖父母と食事をしていたし、学校側と示談したときも祖父母が孝道のそばで立ち会っていた。父もその時、どうにか孝道を高校まで上げたいと中学の校長に掛け合った。そして京子は「学校なんて行かなくてもいいんだ」と独自の理論を展開した。そのことがこのふたり孝道と京子の先の人生を歪めさせたのは間違いないことだった。親という子供にとって絶対的な存在が、片方で学校に通うことを勧め、もう片方で行く意味もないと言われたとき、子どもである孝道はどう思わなければいけなかっただろう。
引きこもる孝道に一番近い存在の京子がその歪んだ方針を押し付けられた孝道に責められたのは当たり前といえば当たり前だった。
そしてそれが孝道にとって京子を排除する方向を決定づけていた。
そして京子が孝道のもとから逃げ出して、家に全く寄らなくなってから、孝道は荒んだ精神を誰にもぶつけられなくなった。孝道はひとり喚くようになり、夜遅くまでひとり部屋に籠って時々暴れまわるようになった。
――なんだよ、なんなんだよ! ふざけるなよ!
孝道は家にいても何もせず、競馬の中継ばかりを見るか、時々、ぶつぶつと呟いたかと思うと、突然の旺盛に笑いだしたりして家の中を歩き回っていた。
――お前らのせいで、お前らのせいで。 と、くり返し言ったり、肩がこって仕方がないという口実で、風呂を何時間も占領した。