第10話 母と仕事
「男だらけの家で、好きなこと一つもできない」
京子の最後の言葉はこんなものであった。そして京子は戻ってこなかった。あの時父はこう言っていた。
「約束が違うじゃないか」
父は母親を全うさせるため、京子に子供の世話を見させる代わりに別居を許したのだろう。
――しかし、それも拘束力もない口約束である。
京子が家へ寄らなくなってからは各自で食事を作ることになった。孝道はもともと母親の食事は食えないと言って、自身で作って食べていたから、彼と父は孝道の好きにさせていた。彼も仕方がなく自分のことはすべて自分でするようにした。父は昔から仕事で帰るのが遅かった。だから父も自身で何かを買ってきたり作ったりして食べるようにしていた。そんな生活が半年過ぎ、孝道は高校を出た。それからは孝道は何もしなくなった。中学のころのように家に籠って好きにしていた。
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彼は祖母を寝かせるために着替えを箪笥から出して、部屋着を脱がせ、寝間着を着せたていた。
「あの人は女を知らないのよ」
祖母は突然彼にそう言った。
「フ、フ」 彼は思わず笑ってしまった。
父のことを言っているのはすぐにわかった。
彼は祖母に靴下を履かせているところだった。祖母は少し待つように彼に言った。そしてベッドの横の引き出しから貼り薬を取り出して貼るように言う。 彼は貼り薬を手にしてから祖母に語りかけるように話した。
「母親は兄貴がうるさいからって、家を出たろ。だけどその前から家にほとんどいなくてさ。家を出る前は仕事してたけど、でも家と両立できない無理な仕事してさ」
京子は福祉介護士の資格を取るために施設へ勤めていた。施設には室長がいて、京子とはあまり上手く行っていなかった。父は度々京子の相談にのっていたが、京子の言い分はいつも父を納得させられるものではなかった。つまり京子はいつもやりたくない仕事を室長に命じられてやりきれなくて困るといったことを父に話していた。
「契約外ならちゃんと話して、業務改善させるように」といつものセリフが夜遅くに聞こえる。孝道はそんな話の中でも、ひとり自分の部屋に籠もって「うるせえんだよ!」と喚いている。