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「寝不足か? 一体何発やったんだよ」

 ガラス越しに差し込む眩い朝日に目を細めながら、げっそりした表情で煙草の補充をしている俺の背後を、ケンが揶揄いながら通り過ぎていく。

「ああ。結局夜通し……ね」

「お前……絶倫だったんだな」

 横でレジの箸とスプーンをせっせと準備しながら、ケンが恐れ入りました、と頭を低くする。

 夜通し……と言っても、俺はただ黙って立っていただけ。目の前で黙々とノートにペンを書き殴るアキを見つめながら。お前がくれたお土産と同様、俺の自尊心はズタズタにされてしまった。

「また、今夜もするのかな……」

 俺がぼそりと言うと、お前まだ物足りないのかよ、とケンが呆れながら言った。

「あんまりやり過ぎも体によくないぞ。と、いうことで……今夜は俺に付き合え」

「ごめん。今夜も予定が……」

 じろりと俺を睨むアキの顔が頭に浮かび、咄嗟に断ったもの、ケンも引き下がらない。

「グーさんご指名だぞ。”姫ロス”でお前もガッカリしてるだろうから、最近グイグイ来てる地下アイドルのライブにご招待だ。カノジョもいいけど、たまには同志の集まりにも顔を出しなって」

 ロスどころか……もうお腹いっぱいで胃がもたれそうなんだが。

「いや、でも。待ってるだろうし」

「そんなに遅くまで引き止めねえって。電話一本入れれば大丈夫だろ」

「それが……スマホなくしたらしくて。連絡手段がないんだよ」

「はあ。お前のカノジョ、変な女だなあ」

 お前が神のように崇めていた”姫”のことだよ、とどれだけ言ってやりたかったことか。

「……分かった。ちょっと顔出すだけだぞ」

「そう来なくっちゃ!」

 ネタ合わせの続きしなくちゃいけないけど……昨夜あれだけやったし、少しくらいいいだろう。ていうか、俺何にもしてないし。別にいなくたってできそうな気もするけどなあ。

 頭の中でアキに手を合わせて謝りながら、俺はサンドイッチを持ってレジにやってきた客にいらっしゃいませ、と死んだ目のまま会釈をした。

 今日の仕事……きつい。昨夜は夜通し立ちっぱなしの末、午前四時を過ぎてやっと寝れることになって。シングルのベッドの端に身体を寄せ、スペースを半分開けて”ここで寝ろ”とアピールするアキに、それはまずいだろと全力で抵抗して。結局床で朝を迎えた俺の肩や背中はバキバキになっていた。

 でも……ちょっぴり、いや、正直一緒に寝たかった。本当は誘ってるのかな、アレ。やたら無防備で恥じらいが無いし。

 いや、逆に恥じらいがないからこそ《《意識されてない》》ってことなのか。少しは気があるんなら恥ずかしがって「見ないで」とか言ったりするもんだろう。

「おい、ショウ大丈夫か」

 無言でケースの中のあんまんと肉まんの位置をひたすら入れ替えてる俺に、ケンが心配そうに声を掛ける。

「いや、だめかもしれん」

 そうそう、と人差し指を立てながらケンが俺の肩を叩く。

「耳寄り情報だ。今夜見に行くアイドルは、あの”姫”が所属したことがあるらしいぞ。グーさんたちもそれを耳にして視察に行って、結果的にハマったって経緯があるんだ」

 あのアキが……アイドル? そんな馬鹿な。いくらルックスが整っているとはいえ、人に”媚びる”ということをこの世で一番嫌いそうな人間が。とても信じられない。

「本当か、それ。よく似た女の子じゃないのか?」

「いやまあ、噂程度だからね。グーさんの知り合いの知り合いの後輩の親戚のゲーム仲間の弟の妹がそのグループにいて、アキのことをそのアイドルの事務所で目撃したらしいよ」

 ”目撃”って。アキはネッシーか何かか。

 しかし、そんなこと言われたたら俺も気になってきた。それに……あの訳の分らんネタ合わせから解放される口実も欲しかったところだし。

「じゃ、よろしくな。新たな推しに出会えるかもしれないし。楽しみぃ」

 そう言ってケンは上機嫌に俺の頭をぽんぽん叩き、売り場の品出しへと向かって行く。同じフリーターなのに、日々を満喫しているというか。”好き”なものがある人生というのは、地位や収入がどうであれ、豊かになるんだってことを身を持って証明している気がする。


 地下のライブハウスは満員だった。

 ”HASNON”

 メンバーの名前の頭文字を取ったグループ名がステージ上にライトアップされると、リズムカルなBGMの重低音が会場全体を振動し始める。

 平日の夜という事もあり、仕事帰りが多いのか。ワイシャツの上にグッズのタオルを肩に掛け、《《推し》》の名前やキャッチコピーがプリントされたTシャツを身に(まと)った男たちが肩を揺らし始めるなか、俺は棒立ちのまま漠然とステージの上を見つめていた。

 眩いストロボ。BGMの音量が大きくなり、歌声が聞こえてくる。ポップで、明るく楽し気に。やがてグループカラーの赤黄をモチーフにした、煌びやかでフリフリの衣装を着たメンバーたちが一人ずつステップを踏みながらステージに現れると、会場のあちこちから野太い声援があがった。

「あの子可愛い。なあ、どう思う?」

 ケンが馬鹿でかい声で俺に耳打ちしてくる。指さしているのは、ステージの端にいる背が低くてぱっつんの前髪が特徴的な女の子。少し動きはぎこちないが、一生懸命笑顔を振りまきながら踊っている。

 ソロパートが始まる。歌なのか台詞なのか曖昧な、たどたどしい言葉の羅列。対極とも言える野太い男たちの声が合いの手を打つ。

 ひとりやたら声がでかくて気合入ってる人がいるなあ、と思ったらグーさんだった。激しい動きのせいか、トレードマークのバンダナは既に汗でぐっしょりだ。

 初のソロライブということもあってか。ステージ上のメンバーたちはもちろん、大多数を占めるファンの男たちの気合も尋常ではない。会場が一体となって創り上げるライブの雰囲気の中、俺は割とこの空気を楽しめていたと思う。そう、割と。

 両手を振り、声を枯らし一心不乱に体を揺らす周囲の男たち。ボルテージは最高潮。ケンも、グーさんたちも。――俺がそうなれなかったのは、今日が初めてだからではない。

 もしかしたらアキがこのメンバーたちと共にステージに立っていたのかもしれない、という真偽不明の情報が、ずっと頭の片隅で囁いていたからだ。

 キュートに唇を尖らせ、くるくると回ってジャンプ。白いふとももがちらほら。間奏パートでは機材の上に登ったり最前の客と笑顔でハイタッチしたり縦横無尽。

 アキがこの中に……? いや、ないだろうなあ。

 ステージはトーク、アンコールを経て終幕。興奮冷めやらぬといった様子のグーさんたちに誘われ、俺は公演後の”チェキ会”なるものに参加することになった。五百円払えばお気に入りのメンバーとツーショット写真が撮れるらしい。

 一番人気らしいショートカットの女の子には長蛇の列。グーさんもそこに並んだ。ケンは、ライブ中に言っていた子の元へ。俺は、とりあえず比較的待ち時間が少なそうな子の列に並ぶことにした。

「きょうはありがとー。楽しんでくれたかなあ?」

 クールで、ちょっと台詞っぽい言い方。いわゆる、塩対応というやつか。俺は数十センチという一定の距離を保って真顔のままツーショットのフレームに納まると、勇気を出して口を開いた。そう、俺には聞きたいことがある。

「ちょっといい? ”アキ”ってメンバーの子……以前このグループにいたかな?」

 きょとんとする女の子。いいえ、知らないです、とさっぱり言い切ったところで、俺は係員に”剥がさ”れ、列の外へ。

 一体何を聞いているんだろう。あくまでも噂の域を出ないのに。ふと他の列を見ると、ケンが”推し”と言っていた子とのチェキを鞄に仕舞いこみ、他のメンバーの列にも並んでいた。おいおい、欲張りなやつだな。

 いや、待てよ。お金さえ払えばどの子とも会話できるのか。ならば――。

 俺は隣の列に並び、出番が回ってきたところでチェキを撮り、同じ質問を繰り返した。反応は同じ。一瞬何言ってるの、この人? とばかりに困った表情を見せ、知らないです……と手を振ったところでバリっと剥がされた。めげずに俺は、そのまま隣の列へ。メンバーが五人いるなかで、四人が不発。最後の一人の列に並び、出番が回ってきた。

 会場スタッフさんからは、既に白い目で見られている。これ……ある意味迷惑行為だよな。しかし俺はなりふり構ってはいられなかった。

「今日は来てくれてありがとー! 楽しかったかなあ?」

 ”ヒトミ”という名前の一番人気らしき女の子は、ぎゅっと俺の掌を包み込むような握手をしながら、眩いばかりの笑顔を満開にして俺を出迎えてくれた。さすが。これぞ神対応。

「あ、うん。楽しかったよ」

「そう。よかったー!」

 他の子の列にも並んでいるの、気づいているだろうに。凄いな、この子。照れて目線を逸らしながらも、俺は目的である質問を恐る恐る繰り出した。

「あの……このグループに、”アキ”って子、いなかった?」

 それを聞いて、一瞬うーんと考え込む素振りをしたヒトミは、「あ、そう言えば」と何かを思い出し、人差し指をぴんと立てた。

「去年くらいだったかなあ。夜レッスンしに事務所に行くと、まだ鍵がかかってて。なんでだろうと思って窓から覗いたら、中で知らない女の子とマネージャーが立ったまま言い争ってた。女の子はすっごい可愛いかった。もしかしたら、新メンバー? こんな子が入ったら、グループの人気ももっと上がるかもってワクワクしたけど、結局会ったのはそれっきりだったなあ。マネージャーにきいても全然教えてくれなかったし」

 これは……もしかしたら。仏頂面で待っているアキの顔が、不思議と鮮明に思い浮かんだ。

「その子かどうかは分かんないけど、知ってるのはこのくらいかな。ゴメンね」と可愛らしく言い、腕を組みながらのツーショット。ばいばい、と手を振って別れたときに後ろを振り返ると、俺がチェキ会で最後の客だと気が付いた。

「おいおい、コンプリートかい? 随分気に入ってくれたみたいで嬉しいなあ」

 グーさんたち一行が笑いながら俺を待っていた。

 

 すっかり遅くなった家路。俺は戦々恐々としながら、下北沢の夜道を歩いていた。

 やっぱ怒られるかな。時間がないって言ってたし。でも、決して逃げたわけではなくて……いや、若干それもあるけど。あのネタ合わせはしんどい。苦行だ。

 何て言い訳しようか。ケンに誘われたから……いや、結局断らなかったのは俺だし。無難に、バイトが遅くなったで通す? でも、嘘をつくのは気が引けてしまう。

 それにしても……結局今日はアキのことばかり考えていた気がする。いつからなんだろう。自分の行動の大部分が、アキを中心に決められている。そもそもグーさんの情報がなければアイドルのライブに行くことはなかったし、ましてやメンバー全員とチェキなんて。

 ポケットに手を突っ込み、中にある5枚の写真に指先で触れる。これ、見つかったら絶対殺されるな。何とかしておかないと……。

 飲み屋の明かりがぽつぽつと灯り、街は夜の装い。時折漏れてくる楽し気な笑い声。手を叩く音。その間を縫うように歩く俺の足取りは重い。

 でも、今更仕方ない。ネタ合わせだってこれから挽回すれば……。いや、待てよ。そもそも、アキだって最初の待ち合わせで俺を三時間以上待たせたんだ。ちょっと帰りが遅くなったくらい、いいじゃないか。そうそう。これでおあいこだ。

 あーだこーだと葛藤しているうちに、気が付けばマンションの前。暗証番号を入力し、エレベーターで五階へ上がる。

 薄暗い廊下を、コツコツと足音を鳴らしながら歩く。角を曲がって、部屋のドアを視界に捉える。俺は”何かが”そこに座り込んでいるのに気づき、驚いて立ち止まった。

「えっ。アキ……? 何してんだ?」

 恐る恐る近づき、声を掛ける。俯いて膝を抱えていたアキが、はっとして俺の顔を見上げた。

 重なる視線。アキの大きな瞳が、揺れている。もしかして、泣いてる――? そう思った瞬間、俺の胸にどさっと額を預けたアキが、背中に腕を回し、ぎゅっと身体を抱き寄せた。

 肩が震えている。何も言わず、鼻をすすりあげるアキ。俺はどぎまぎして、あたりをきょろきょろと見回した。誰もいない。

 この静かな世界には、アキと俺の二人だけ。

 アキの涙がTシャツに染み込み、柔らかい髪の匂いに包まれる。

「どうした。大丈夫か?」

 軽く頭を撫でながら、問いかける。アキは何も答えなかったが、やがてゆっくりと右手を持ち上げ、ドアを指さしながら震える声で言った。

「ゴ、ゴ、ゴ……」

「え。何?」

 声がこもっていて良く聞こえない。俺はもう一度聞き返した。

「ゴキブリ……」

「マジか……」

 僅かに空いた玄関から漏れる灯りの向こうに、奴がいる。

 ついさっきまでこの胸に宿り伝った心地よい熱が、瞬く間に恐怖へとすり替わった。

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