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4-2


「どこでもいいんで、座って下さい」

 つけっぱなしのテレビの音が、1LDK――女子が独りで住むには広すぎる、と言ってもいい空間に騒々しく響いている。アキにそうは言われたものの、俺はリビングの入り口で立ちすくんでいた。こんなに広大な生活空間なのに――座る場所が全くないのだ。

「モノ……多すぎないか。この部屋」

 ベッドの上には服や下着、靴下がうず高く積み上げられ、床はコンビニ弁当の入った袋や、放置された何かの空き箱や包装材でぎゅうぎゅう詰め。机の上には空き缶と蓋の開いたペットボトルがずらりと並んでいる。 

「そうかもしれません」

 意に介さないと言った調子で答えたアキは、ベッドの上からノートパソコンを掘り出して起動する。服の山を足で蹴散らして横になりながら、画面に目を凝らした。

 俺は仕方なくコンビニ袋をいくつか持ち上げて端に寄せると、窮屈そうに床に尻を滑り込ませ、ベッドの傍らに腰を降ろした。

「片づけないのか、これ」

 内心震えあがっていた。俺は奇麗好きだからだ。こんな空間に自分が身を置くなんて……ありえない。

「はあ。これでも片付いている方ですよ」

 顔を上げ、不思議そうな目で俺を見つめるアキ。あまりも早すぎる価値観の相違という壁の出現。

 「ひとつお願いがあるんだが……」

 相方になるということを了承した以上、逃げるわけにはいかない。ここでネタ合わせをするのだ。しかし、この環境だけはどうしても耐えられそうにない。

「掃除を……させてくれ。この通りだ!」

 顔の前で両手を合わせ、深々と頭を下げる俺。「今から?」と不満そうに零すアキ。

「……掃除道具はどこだ。掃除機は。ゴミ袋は!」

 返事を聞く前に勝手に辺りを漁り始めると、足元に埋もれている本やDVDを発見する。どれもお笑い関連だ。

「それは捨てないで下さいよ。あと机の上にあるチョコとジュースも」

「……何をしている。手伝え」

 こちらを一瞥することもなく、パソコンの画面に目を滑らせながらアキが呟いた。

「嫌ですよ。面倒くさい」

 人を動かすというのは、かくも骨が折れることなのか。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。この部屋は俺にとって過酷すぎる環境だ。我慢して乗り切れるラインをとうに超えている。

「じゃあ、選んでもらおうか。俺と一緒にこの部屋を片付けてからネタ合わせを始めるか、今すぐ解散するか」

 アキはノートパソコンを閉じて、うつぶせになったまま俺の顔を見た。またあの目だ。軽く眉を潜め、見開いた眼の中の黒目の大きい瞳が、俺の胸を貫いて心の内を入念に探っている。

「俺は自分の意思でここへ来た。漫才とか、お笑いとか、全然やったことはない。それでも、腹は括ってきたつもりだ。君は……アキはどうする? ここで俺を追い返すのか。それとも、一緒に片づけてネタ合わせを始めるのか。君の意思を示してくれ」

「……帰ってしまうんですか?」

 不満そうだった表情が、今度は不安げに移り変わる。てっきり猛反発されるものだと思っていた俺は、寂しげな態度を見せたアキに驚いた。

「え? ああ。片付けないんなら、そうするよ」

 それを聞いて、むくりとベッドから体を起こしたアキは、何も言わずに床に散らかる缶やペットボトルを、放置されていたレジ袋にまとめ始めた。

 素直……なのか。よく分からない。自分を人質に取るような脅しが効いたのが意外で。

 本当にあんな言い方をしてよかったのか。それも、まだ出会って間もない女の子を相手に。

 黙々と床を整理していくアキの横顔を見ながら、俺は小さな後悔に揺れていた。

「ごめん。もう帰るとか言わない。コンビを組んでいることを盾にするような言い方はするべきじゃなかったな」

 まとめたレジ袋を運ぶのに玄関とリビングを往復しながら、俺は出来立てホヤホヤのモヤモヤを素直に吐き出した。

 アキは器用に指先を使って満タンになったレジ袋の紐をくくりながら答えた。

「いいんですよ。どのみち片付けるつもりでしたから」

 嘘つけい。さっきは片付いてるつもりとか言ってたくせに。やっぱり素直じゃない。

 一通りゴミと思わしきものを集めて玄関に運ぶと、次は整頓に移る。床に散らかっているマジック、辞書、スリッパ……。

「アキ。どうして名前が書いてあるんだ?」

 ベッドの下に顔を突っ込んでいるアキの背中に話しかける。

「私、よく物を無くすんです。家の鍵もありません」

「え。それはやばくないか?」

「だから、テレビつけたまま外出してます」

 ああ成程。だから帰ってきたときつけっぱなしだったのか。

「ちなみに、スマホもなくしました」

「……おい。連絡とるときどうするんだよ」

「どうにかなりますよ」

「……まったく」

 それにしても・・・・・・だからと言ってちょっとやりすぎではないか。パソコンとか本とか靴下とか。持ち運ぶ可能性があるものはまだしも……テレビ、壁に貼ってあるペンキで書き殴ったようなよく分からないセンスの絵、ソファー……よくみると、壁掛け時計やカーテンにもマジックで名前が書き込まれている。

「名前、書いてないのもあるけど。基準はどこにあるんだ?」

 すぽっとベッドの下から顔を出したアキが、乱れた前髪を掻き分けながら目を細める。

「別になくなってもいいものとかには書いてません。これは自分のモノだ、ってしっかり認識したいときには、書かないと落ち着かないんです」

 だからペットボトルとかレジ袋には書いてない、と。そうかそうか。さっぱり分らん。

「じゃあ、とりあえずいるモノといらないモノに分けていこうか」

「嫌です。今ここにあるのは全ているものなので」

 確かに……よく見ると全て記名住みだ。服とかDVDとか。恐ろしくなるほど丁寧にひとつひとつ。

「本当に使ってるのか? 使わないんなら、ばっさり捨てちゃった方が楽だぞ。あとから後悔することってあんまりないし、何ならまた買い直せば済むことだ」

 腰を手に当てて見下ろす俺に、むすっとしたアキの顔がずんずん近づいてくる。

「分かってないですね。名前を書くってことは、魂を分け与えるのと同義です。これは私のモノ。私の一部。そう簡単に捨てるなんて言わないで下さい」

 正直ちょっとだけ面倒くさいと思ってしまったが、彼女の感性を否定することはできない。気持ちが分からないでもないからだ。

「わかったよ。じゃあ、使うものと使わないものに分けよう。使用頻度が低いものは、保管場所を確保してしまっておけばいい」

 一瞬だけじろりと俺を睨んだアキだが、提案に納得してくれたのか、「はあい」と小さく右手をあげた。

 スイッチが入ったのか、集中した様子でてきぱきと手を動かし始めたアキ。床や机、ベッドの上から物がなくなり、自由に歩き回れるようになって来た。

 肩を回しながら立ち上がり、壁掛け時計を見上げる。……今日はここまでかな。

「アキ。そろそろ終電だから」

 両手いっぱいにDVDを抱えて歩くアキに声を掛けると、不思議そうな顔をしながら首を傾げた。

「なんで?」

「なんでって……そろそろ帰らなくちゃ」

 いよいよ訳が分からないと言ったジェスチャー付きで首を振るアキ。

「帰らなくてもいいでしょ。そのために片づけてるんじゃなかったんですか?」

 ちょっと強引な解釈すぎません? 俺は慌ててアキに負けじと大きく首を振ると、明日も朝からバイトだから……と二日連続で同じ切り口の説得を試みた。

「だ、か、ら。ここから通えばいいじゃないですか。わざわざ一度家に戻る必要ありません」

 その点については反論できない。でもなあ。もっとあるでしょ。そう、論理的なこととか……。

「それはそうだ。でも、ちょっと落ち着こう。俺は男で、君は女。しかも若い。付き合ってるわけでもないのに、会ったばかりで女の子の家に泊まるのって、おかしくないか?」

「おかしくありません」

 一言で論破された。アキがそう思わないのなら、確かにそうなんだろうけど。

 俺は胸に手を当てて考えた。可愛い女の子と知り合って、一緒に飯を食べに行って、次の日に待ち合わせて、家に行く。完全な男子なら誰もが夢見る展開で、思わず理性が吹っ飛んで下心も剥き出しになるだろう。

 だか、相手は一条アキだ。彼女をそういう対象として見てはいけない・・・・・・と俺は自分を戒めた。

「やっぱ無理だ。何ていうか……アキは特別なんだよ。芸人として尊敬してるし、とんでもない才能があると思う。だから、俺なんかが易々とプライベートに踏み込んじゃいけないし、汚したくないっていうか」

 アキは持っていたDVDを床に放り投げ、つかつかと俺に歩み寄った。

「汚れません。あなたが私の家で飯を食おうが、風呂に入ろうが、ウンコしようが、オナラをしようが」

 怒ってらっしゃる。そう俺が身構えた瞬間、アキは荒々しく俺の胸ぐらを掴んだ。

「じゃあ逆に聞きますけどね。どうしていちいち離れ離れになる必要があるんですか? 無駄です。バイトは仕方ありませんけど、それ以外の時間は常に一緒にいるべきでしょ。今はこうして掃除してますが、それはあなたがここで快適に過ごす為です。ネタ合わせをしないと。もう時間もないんですから」

「時間がない? 何のことを言っているんだ?」

 俺の胸ぐらから手を離し、壁に掛けてあるカレンダーを指さしてアキが言い放った。

「二週間後にライブがあります。コンビですから、当然あなたも出ます」

 はい?

「ちょっと急すぎるだろ。俺、素人だぞ。もっと研修期間というか……事務所の養成所に通うとかないのか? それに、そもそも急に俺が相方になって、ライブに出れるもんなのか? 事務所的にどうなんだよ」

「今度出るライブは、フリーライブです。参加料さえ払えば出られます。事務所に関してはもう辞めたので関係ありません。養成所もくそもないです」

「え。辞めた?」

「はい」

 あまりにさらっと言ったので、俺はあっけにとられてしまった。

「何で? 今後の活動とか……困るだろう。せっかくあれだけライブにお客さん詰めかけてんのに。ほとんど君目当てだぞ?」

 それを聞いて、アキは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「ここのところうるさかったんですよ。オーディションに行けって。テレビに出して、タレントにして売りたいんでしょうけど。私、そういうの全っ然興味ないんです」

 そりゃそうだ。あのネタ、ルックス。テレビの関係者もほっとかないだろう。事務所の気持ちも分かる。

「アキ。君は何の為にお笑いをやってるんだ?」

 アキはそっと両手を離し、心臓に手を当てながら、真剣な目で俺を見つめた。

「私、ずっと引き籠ってたんです。幼い頃から暗くて狭い部屋の中にひとりぼっちで、テレビやDVD、ネットの情報という光を浴びながらひっそりと生きてきました。でも、次第に私の中に少しずつ蓄積されていた思いがくすぶり始めて、今年になってやっと火が付いたんです。表現がしたい。人を笑わせたい。私はそういう活力となる欲求に従って自由に生きていきたいだけで、誰かに管理され、操り人形になり、やりたくもない仕事を歯を食いしばってしなくちゃいけない芸能界なんかに全く興味はありません」

 俺は何も言えなくなり、迷いのないアキの瞳に釘付けになった。

「正直、別に相方を欲しいとは思っていませんでした。でも、私のネタを見て全く笑わなかったあなたと出会って、悔しくて腹が立ちました。だけど、”笑いたいけど笑えない”って知って、あなたを笑わせるってことが、私の”生きる”という活力のひとつに加わったんです。あなたの力になりたい……こんな感情は初めてですが、あなたの望みを叶えるためなら、私はなんだってしますよ」

 じゃあ別にトイレを我慢しなくてもいいんじゃないかと思ったが……そのくらいの代償を負うのが彼女の美学なんだろうか。

「……分かった。でも、アパートから荷物とか、必要なものを取ってきたいから、今日は帰らせてくれ。明日からここに寝泊まりするよ」

 曇りのない笑顔を浮かべて、アキが何度も頷く。やっぱり可愛いな……照れてとっさに視線を逸らしてしまう。

 本当に俺で良いんだろうかという後ろめたい気持ちは消えないが、彼女が望むのならと、俺は”同棲”……もとい、”コンビによる泊り込みのネタ作り”に同意した。

「仕方ない。今日は帰ることを許可しますが、荷物を整理したらすぐに来ること。寄り道、道草は許しません。分りましたか?」

 俺は子供か。「はいはい」と返事をしつつ、「でもその間トイレは行けよ」と釘を刺した。

「行きません」

「いやいや。我慢は体によくないから、頼むから行けよ」

 しかめっ面で首を振るアキ。話の流れでした約束なんだし、そこは拘ってくれるなと思ったが、とことん頑固だ。

「じゃあ……また明日」

 そういうと、アキはぷいっと踵を返してリビングの奥へ。お見送りはなしか。まあ……別に彼氏彼女でもないし。靴を履いて外に出ると、玄関のドアの閉まる音が、誰もいない薄暗い廊下の床を鋭く這うように広がって行った。


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