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「結局どうなったんだ?」
レジの中で接客待ちをしている俺の脇を、揚げ物の補充で通りがかったケンが肘でつんと小突く。思わず動揺して目が泳いだが、すぐにそれがライブ二日目のことだと気づいた。
「ああ・・・・・・面白かったよ。ケンとか、グーさんがあれだけ熱く語ってた意味が分かった気がする」
だろ~? とケンが今度は背中をばしっと叩く。
「あの子、絶対ブレイクするぞ。ルックスもいいし、そのうちテレビとかにもバンバン出て注目されるだろうなあ」
揚げたてのポテトと、コーヒーマシンの匂い。まだ朝早いということもあり、店内には頭にタオルを巻いた現場作業員ぽい若者が飲料コーナーにひとり。お菓子売り場では、面接で「別にお客様は店員に笑顔を求めてないから」と言って躊躇なく俺を採用してくれた店長が、仏頂面で顛末を手に発注作業をしている。
実はさ、ライブの後にドラッグストアのトイレに駆け込んだら、なぜか一条アキも入って来て。その後一緒に牛丼(俺は肉抜き)食って、変な賭けをして、危うくホテルに連れ込まれそうになったんだよ〜。
こんなこと言い出したら、ケンに「ついにおかしくなったか」と笑われるだろう。未だに現実とは認め難い、昨夜の出来事。
「で、結局笑ったのか?」
俺はため息をつきながら、首を横に振る。そう。一連の引き金になったのは、俺がライブでひとりだけ《《笑っていなかった》》からだ。
「そっか。まあ気にすんな。俺が今夜またいいとこ連れてってやるから」
にやにやしながら、小声で耳打ちをしてくる。お笑いライブの次は……いったいどこへ連れて行くつもりなのか。
「ごめん、今夜はちょっと用事があってだな・・・・・・」
ケンは何か怪しいな〜といった顔で俺をじろじろと見つめる。
「へえ。まさかコレ絡みか?」
小指を突き立てる。確かに"女子と待ち合わせ"には違いないが・・・・・・そんな浮ついた感じではない。つい約束してしまったから、行かなくてはいけないだけだ。
客が飲料と弁当を手にレジに来ると、俺は「しゃいませー」と真顔でスキャンを始める。温めますか? と聞いて、弁当をレンジの中へ。その間に会計を済ませ、温まった商品を飲料とは別々に袋に詰める。割りばしとおしぼりも忘れずに添えて、「ありがとうございましたー」と一礼して客を見送った。
俺の手が空くのを見計らって、ケンがレジの奥から出てきてまた話を切り出した。
「やっぱりデートだろ? 隅に置けないやつだなぁ」
ケンが俺の髪を指さす。普段はつけないのに、今日はワックスで固めている。だからと言って女の子と合うとは断定できないはずだが、そういうことに関してだけはこいつは無駄に鼻が利く。
「デートじゃない。悪霊に憑りつかれたもんだと思ってる。関わると、お前も巻き込まれるぞ」
「おいおい。どんな悪霊だよ」
アキの顔を思い浮かべる。まさかあれだけ自分が俺に推していた人間だとは……夢にも思いはすまい。
「トイレに行かない」
え? とケンが聞き返す。俺はぼんやりと雑誌のコーナーで立ち読みをする背広の背中を見つめながら、もう一度呟いた。
「俺に憑りついた悪霊は……トイレに行かないらしい。俺が笑うまではね」
二日前にケンと待ち合わせるはずだった駅前の噴水前。少しだけ遊ばせた毛先を指先で気にしながら、俺は次から次へと入れ替わる人の波の中で、ぽつんと佇んでいる。
かれこれ3時間。最初に来た時はまだ辺りは明るかった。あたりに座る場所もなく、もう足が限界を迎えようとしていた。
昨夜のことを思い返す。ホテルに連れ込み、俺を笑わせるまで監禁しようとしたアキを、「明日のバイト終わりにまた続きをするから」と説得し、どうにか難を逃れた。
スマホを取り出し、画面を見つめる。煌々とした明かりが俺の顔を照らす。待ち合わせ場所、時間はきちんと伝えたのに。……さては。一日経ったらもうどうでもよくなった? 単純に忘れている?
でも、それならそれでもういいのかもしれない。あれだけ才能があって、ルックスにも恵まれている。笑わないフリーターの俺なんかと絡んでいても、彼女にとって何一つ良いことがあるとは思えない。
そう何度も自分に言い聞かせるのだが。何時間経っても、俺はここから離れられずにいる。
連絡先の交換もしていない。もしかしたら、事情があって遅れているだけかもしれない。俺の方から投げ出したら……何だか彼女に悪い気がしたからだ。
「ねえ」
ぼーっとしていた。声が聞こえたのは気づいていたが、一瞬それが現実だとは認識していなかった。二の腕をつんつんする指の感触。首を向けると、Tシャツ姿のアキが、不思議そうな顔をして俺を見つめていた。
「うわ!」
思わず驚いて後ずさる。アキがきょとんとした顔で、俺に歩み寄りながら言った。
「何で……まだ待ってるんですか」
え。第一声がそれ?
「なんでって。約束したからだろ」
ますます分からない、と言った感じで悩まし気な目をして、いつもの調子で上目遣いに俺を見上げる。
「怒らないんですか?」
怒る? そういえば、そういう発想はなかった。
「……じゃあ、怒ってもいい?」
首をふるふると横に振る。嫌なんかい。それにしても、ますます掴みどころがない人だな、と実感する。
「そんなことより……私、いいこと思いついたんです」
噴水の細かい水滴が、心地よく頬を濡らす。辺りにはたくさんの人が行き交っていて、常に入れ替わり立ち代っていく。
そんな状況なのに。次に彼女が口を開くまでの時間――俺と彼女だけの世界が、唐突に出現してしまったように感じた。
「コンビ組みませんか、私たち」
一体この人は何を言っているんだろう。
その一言で、俺を笑わせるつもりだったのだろうか。残念ながら、その試みは失敗だ。斜め上過ぎる提案をどう受け止めていいのか分からず、混乱状態に陥った俺は、ゆっくりと右腕を持ち上げ、自分を指さした。
「相方……になれ、と?」
アキがふるふるうなずく。今度は首を縦に。自信に満ちた顔で。
「何で……俺?」
待ってましたとばかりに口角を上げたアキは、ぐっと両手を伸ばし、俺の頬を掴みながら言った。
「モチベーションですよ。絶対に笑わないあなたという存在が傍にいることで、インスピレーションが次々と沸いてくる。久々に昨日は胸が躍ったし、楽しかった」
至近距離で目を輝かせながら、熱弁するアキ。不覚にも、胸がドキドキしてしまった。いい匂いもするし、顔に触れられているのも恥ずかしくなってきた。
どぎまぎしているのを誤魔化そうと、俺はわざとらしく口を尖らせた。
「それなら……別に友達とかでもいいだろ。相方じゃなくったって」
途端にむすっとした表情に移り変わる。俺の鼻先を指さして、「ムカつく」と悪態をついた。
「私はあなたを笑わせたい。意地でも。どんな手を使ってでも。でも、それじゃあ不公平。同じ苦しみを味あわせなきゃ、納得がいかないと思いまして」
……思いまして?
想像の何倍も邪な理由で、俺は腰の力が抜けてしまった。
「と、いうわけで。行きましょう」
躊躇なく俺の手を取り、歩き始めるアキ。つんのめりながら後をついて行く俺。早い。歩くの早い。
「ちょっと待って。質問、質問」
挙手をしながら早足で歩くアキの前に駆け込んで行く手を阻む。
「はい。何でしょう。手短にどうぞ」
「……どこへ。何しに?」
愚問だなあ、とでも言いたげに鼻で笑いながら、アキは俺の肩に手を置いた。
「ネタ合わせに決まっているでしょう。コンビですから」
いきなり? 展開早すぎるだろ。
「場所はどこだよ。カラオケとか……? 路上は嫌だぞ。恥ずかしいから」
今度はもう片方の手を肩にぽんと置き、涼しい顔をして言い放った。
「違います。私の部屋ですよ。さっさと行きましょう」
私の・・・・・・部屋? めくるめく世界が脳内に充満して、くらくらした。そんなの無理。やばいって。なんていうか、女子の、そんな生活感のある空間に侵入するなんて。……まだホテルの方がましだ。
俺の抵抗虚しく、アキは力強い足取りで手を引きながら進んでいく。
「ていうか、コンビを組むこと自体、まだいいとも何とも言ってないぞ」
アキがスマホを翳し、改札を潜った向こう側で立ち止まる。俺はこっち側の世界で立ち止まり、二人は分断された。
重なり合う靴音。反響する場内アナウンス。通過する列車の轟音。目の前には、無表情のまま、同じ動作をしながら改札を通り抜けていく機械的な人々。その流れの中心で、杭を打ったかのように立ち尽くす俺とアキ。
彼女の唇が、動き出す。
「嫌なんですか?」
とても哀し気に見えた。せっかく遊んでいたおもちゃを取り上げられた子供のように。名残惜しそうに、悔しそうに、こちらを見つめている。
ここで振り返り、逃げてしまえば終わりだ。元通りの日常。昨日みたいに振り回されることも、さんざん心を搔き乱されることもないだろう。
でも、俺は思った。彼女と俺の人生・・・・・・ここで繋がれば、何かが変わるんじゃないか。
笑えない自分と、そんな自分を受け入れてくれない世界。しかし、世界は一つしかない。世界は変わらない。変えられるのは、”自分自身”だけだ。
結局、断るという選択肢は俺の中になかったに違いない。舞台上と客席で、アキと出会った。その時点で、こうなることは運命として決まっていた。
ポケットの中に手を突っ込む。スマホを取り出し、歩き始めた俺は、習慣的動作で改札を潜り抜け、アキの前に立った。
時刻は……午後八時四十分。
何も言わない。いや、言えない俺。でも、こちら側に来てしまった時点で、十分に意思を示してしまった。
「よろしく。相方」
一条アキ。たった今俺のパートナーとなった彼女は、にっこりと笑って俺を迎え入れた。




